3番目に注目されたシーンは20時40分で、注目度72.7%。御三卿同士の激しいバトルが幕を開けるシーンだ。
「恥を知れ!」突如、田安賢丸(寺田心)の怒声が宴の場に響いた。第8代将軍・徳川吉宗の孫である一橋家当主・一橋治済(生田斗真)の嫡男・豊千代の誕生を祝う席でのことだった。
一橋家は御三卿と呼ばれる家柄である。治済が老中・田沼意次とともに、宴の余興として自ら傀儡(かいらい)を披露したのが、どうやら賢丸の気に障ったらしい。賢丸は治済と同じく吉宗の孫であり、賢丸の父・徳川宗武は治済の父・徳川宗尹の兄である。御三卿の一つである田安家に生まれた賢丸は、武家のあり方に高い理想をもつ若者であった。
傀儡師にでもなるかと言って周囲の笑いをとろうとする治済は、そんな賢丸にとって武士の風上にもおけぬ愚物なのだ。折り合いの合わない2人は、これからも幾度となく衝突を繰り返すこととなる。
全く馬が合わない一橋治済と田安賢丸
ここは、幕府内の人間関係に視聴者の関心が集まったと考えられる。
ひょうひょうとした一橋治済と生真面目な田安賢丸はともに8代将軍・徳川吉宗の孫だが、全く馬が合わないことがよく分かるエピソードだった。若く真面目な賢丸は軽薄な治済が嫌いで仕方がないようだ。幼いころから聡明で知られた賢丸は次期将軍候補に挙がるほどだった。そんな賢丸の苦言を軽くいなす治済。衝突は避けられそうにない。
SNSでは「田安賢丸の堅物な面と、一橋治済の腹黒い面がさっそく垣間見えてるなぁ」「田安賢丸と一橋治済の対立、のちの出来事を予感させるな」「ほくそ笑んだ一橋治済と田安賢丸の立ち去る姿に大河の雰囲気がただよってきた!」と、盛り上がりを見せている。
もともと江戸幕府には、徳川家康の男子を開祖とする尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家といった徳川御三家があった。将軍宗家に次ぐ家格を持ち、徳川の名字を称することを認められていた3つの分家だ。
そして8代将軍・徳川吉宗が将軍家の血筋を保つために用意したのが、田安徳川家・一橋徳川家・清水徳川家の御三卿。家格は御三家に次いで、他の大名よりも上だったが、各地に城は持たず、江戸城内に居住していた。その役割は劇中で治済が語ったとおり、将軍家に後嗣がない際は後継者を提供することだった。
意次が幕政の中心となっていく中、一橋家は家臣団とともに意次と縁戚関係を強めていくが、治済は賢丸とともに反田沼派(この2人が手を組むとはよっぽど意次が嫌いなのだろう)として動いていく。しかし、反田沼として協力した治済と賢丸も、その関係がやがて変わっていくことになる。
意次は経済政策に注力していたが、その1つが「南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)」の発行。南鐐は高品質で精錬された美しい銀という意味で、「朱」は当時の貨幣単位の一つだ。その名の通り、「南鐐二朱銀」の純度は98%と極めて高いものだった。当時は日本各地で様々な種類の銀貨が流通しており、その多くは重さを量って価値を決める秤量貨幣だった。しかし金貨は一枚一枚の額面が固定された計数貨幣だったのだ。
この2種類の間にはレートが定まっていなかったため、経済活動に混乱が生じていた。そこで意次は秤量貨幣ではなく、一枚一枚の額面が固定された計数貨幣を導入することで、貨幣の価値を明確にし、取引を円滑にすることを目指した。当時の貨幣価値は1両=4分=16朱となる。