――半世紀にわたり担当してきて、特に印象に残るパフォーマンスを挙げると何でしょうか?
俺が一番興奮したのは、やりたくてしょうがなかったレイ・チャールズ。「いとしのエリー」を歌ってもらった。それと、これは自分の趣味の部分だけど、ブルーグラスっていうアメリカのカントリーの原点の音楽が大好きで、ビル・モンロー&ザ・ブルーグラス・ボーイズが日本に来たときに、森山良子と共演させたのも良かった。くだらないので面白いのは、千昌夫とオリビア・ニュートン・ジョン。2人で「カントリーロード」を歌いながら、千昌夫が「故郷に帰ろう~」とか言うんだよ(笑)。その後に、オリビアが「フィジカル」歌ってるんだから。
――錚々たる海外アーティストが出演されてきましたよね。
マライア・キャリーは2回出て、2回目に出るときに「客がいないところで歌うのは嫌だ」って言い出したから、急きょヴィーナスフォートに客入れて歌ってもらったよ(笑)
――海外アーティストの出演といえば、先日亡くなった黒木彰一さんも『SMAP×SMAP』などで手がけられていました。石田さんとは班が違いましたが、交流はあったのですか?
あんまりないけど、よく知ってるよ。黒木は俺が『ライヴエイド』(アフリカ難民救済を目的として世界中のミュージシャンが参加したチャリティコンサート)の番組をやったりしてたのがうらやましくて、「僕もやりたい」とか「今に勝ってやる」とか、よく言ってたんだよ(笑)
――黒木さんは、コロナ禍で多くの世界的アーティストが出演した配信のチャリティライブ『One World: Together At Home』を担当されましたからね。
ディレクターが「さりげなく撮る」時代に進化
――60年も番組が続いていくと、放送時間も変遷してきました。
一番最初は、今はドラマのイメージが強いけど月曜9時だった。俺がやりだした頃は火曜9時半だったな。この時間は(プロ野球の)ナイターが押してくることがあるから、延長して9時半から『ミュージックフェア』ができないと飛んじゃうんだよ。だから、レギュラーの30分枠用とは別に15分バージョンっていうのを作ってたんだ。
――繰り下げにならずに、そこで調整されちゃうんですね。
9時45分からでもいいからやらしてくれってね。15分バージョンが日の目を見たのは数本くらいだと思うけど。その後、木曜22時30分、日曜23時と変わってきた。
――2001年に23時台から今の土曜18時台に移動したのは、大きな変化でしたよね。番組の作り方は変えたんですか?
うん。夕方の番組だから、ミュージシャンは日頃何を食べてるのかってロケもやってたんだよ。すぐやめたけどね(笑)
――時代を経て、演出面の変化や進化というのは、どのように感じていますか?
今のディレクターは、なんだかんだうまく処理をする時代になったと思う。それは言い換えると、こだわりすぎないってこと。こだわりすぎると撮り切れないから、さりげなく撮るのがうまいやつが増えてきたっていうことだよね。チーフプロデューサー兼演出になった浜崎綾は、番組を実に爽やかに商品の形にするということにおいて、抜群のセンスがあるよ。俺にはできないな。