1988年10月にレギュラー放送がスタートしたフジテレビ系バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』。タイトルを『―みなさんのおかげでした』に変えながら、この10月で30年目に突入し、きょう9月28日(21:00~)には、それを記念した2時間半のスペシャルが放送される。

番組を立ち上げたのは、現在もエグゼクティブプロデューサーとして腕をふるうフジテレビの石田弘氏。石橋貴明が扮するキャラクター「ダーイシ」のモデルとしても有名な、フジテレビ最年長の名物プロデューサーだ。そんな石田氏が、とんねるずとの出会いから、『みなさん』の大事件、そして今のフジテレビへの思いまで語ってくれた――。

『とんねるずのみなさんのおかげでした』エグゼクティブプロデューサーの石田弘氏

――『みなさん』が、レギュラー放送をスタートして10月で30年目に突入しますね。番組の歴史とともに、まずは石田さんと、とんねるずさんの出会いから伺えればと思います。

最初に、テレビの演出家でデビューしたのは、フジプロダクション(※1)にいた頃で、吉永小百合さんの夫の岡田太郎さんに「お前にピッタリなのがある」って言われたんだよ。「今編成が、日曜日の競馬中継の時間の後に、若い世代のサラリーマンを対象にした生放送をやりたがってるから、それを考えろ」って言われて作ったのが『リブ・ヤング!』っていう番組。そこに、ラジオで一番人気があったキンキン(愛川欽也)を呼んできて、『平凡パンチ』を辞めた今野雄二を呼んできて、LF(ニッポン放送)で番組やってたビーバーを呼んできて立ち上げたのが、自分の本当のレギュラーのテレビ演出家としてのスタートだね。それで、林春生っていうペンネームで欧陽菲菲の「雨の御堂筋」とか作詞した先輩の林良三さんがプロデューサーにいて、「おまえが考えたんだから自分でやれ。番組は俺が守ってやるから」って言ってもらったな。

(※1)…フジテレビ傘下にあった制作会社。当時のフジは、制作部門を切り離して別会社にしていた。

――頼もしい先輩ですね。

当時28歳だったけど、それで、音楽とか洋画とか、自分の人脈が全部できたわけ。吉田拓郎とかユーミン(松任谷由実)とか、それからキャロルをテレビデビューさせて、矢沢永吉と今でも付き合ってる。やがて、ディレクターに王東順が入ってきて、愛川欽也と『なるほど!ザ・ワールド』にもつながっていくんだ。で、『リブ・ヤング!』には女子大生を出演させていて、その数年後に作り直したのが、『オールナイトフジ』だね。

――『オールナイトフジ』が、とんねるずさんとの出会いですか?

そうそう。『オールナイトフジ』が始まって、1年くらいだったかな。秋元(康)から面白いやつがいると聞いた港(浩一・当時ディレクター、現・共同テレビ社長)が言ってきたんだよね。それで『オールナイトフジ』に出してみて、とんねるずとの関係が始まるわけ。

――その後、『夕やけニャンニャン』が始まるわけですね。

『オールナイトフジ』を始めるときは、大学生とか働いてる若い人たちが土曜日の夜中に見てくれると思ってたら、実は中高生が一番見てるということに気がついた。「よしっ、それなら中高生の番組を作ろうぜ」ってなって、日枝(久)編成局長(現・取締役相談役)にやらせてくれって頼んだら、「何やるんだ?」って言われて、「"高校生芸能クラブ"みたいなことをやって、そこでタレント作る」と答えたな。そしたら、「そんなことで数字(視聴率)とれんのか?」って聞かれたんで「とろうと思ってやります」って言って、土曜日の午後に2~3回くらいテストで放送したんだよ。それを見た日枝局長が「月曜から金曜日まで毎日やれ!」って言って、『夕やけニャンニャン』が始まったんだ。

最初、とんねるずは全曜日出てたから、その頃は月曜日から『オールナイトフジ』をやってる土曜日まで、毎日フジテレビに来てたの。でも、あいつら「結局おニャン子クラブ売るためにやってんじゃないか」って気づいてきて(笑)。だんだん放送を抜けていくんだけど、木曜日は港がやってたから、そこだけは出てたね。

『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP』(フジテレビ系、9月28日21:00~23:18)
タモリを迎えて"あの伝説の番組"の完全パロディを展開。ビートたけしは銀座で30周年祝賀会を開催。そして、テレビ初公開のANZEN漫才・みやぞんの自宅にとんねるずがいきなり訪問し、人気芸人が集まって30周年のホームパーティを緊急開催する3本立てで放送される。
(写真は左から)木梨憲武、ビートたけし、石橋貴明 (C)フジテレビ

――そこから、『とんねるずのみなさんのおかげです』につながっていくと。

これは有名な話だけど、ある時(石橋)貴明が、港のデスクにいて、なんか相談してるんだけど、それを聞いた港が「貴明が、局長に直訴したいみたいなんです」って俺に言ってきた。でもいきなり行かせるわけにはいかないから、編成部長だった村上光一さん(元社長)に言ったら「いいよ!」って言ってくれて、「貴明、OKだから行け!」って。

そしたら、貴明はバーって日枝局長のところに行って、「とんねるずの石橋貴明と申します! 僕たちに『火曜ワイドスペシャル』をやらせてください!」と直訴して、日枝局長に「視聴率20%とれるのか?」と聞かれたら、あいつ大風呂敷広げて「30%とります! とれなかったらプロデューサーの石田さんを彫刻の森(※2)に飛ばしてください!」って(笑)。そしたら、編成局のフロアみんなで大笑いして、日枝さんは「バカ! 彫刻の森は出世コースだ!」って言いながら、やらせてもらえることになったんだよ。

(※2)…フジサンケイグループが運営する箱根彫刻の森美術館

――そして、『火曜ワイドスペシャル』での単発をへて、いよいよレギュラー化ですね。

結局、視聴率20%超えちゃったんで、88年にレギュラーにしようということになった。日曜8時か木曜9時かという案があったんだけど、日曜8時は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日テレ)があるから、木曜9時っていうことで、88年10月にスタートするわけ。