JR釧網本線の北浜駅は海辺まで20mほどで、2月は流氷を間近に見られる駅として観光バスも立ち寄るほどの人気スポットになっている。その北浜駅が開業100年を迎えるにあたり、記念の新たな案内板が誕生した。市民ボランティアグループ「MOTレール倶楽部」が企画し、網走市とJR北海道が協議して設置された。

  • 北浜駅に開業100年記念の案内板が設置された。国道側は旧国鉄風のデザイン

国道に面した側は、1980年代初頭に設置された「オホーツク海に一番近い北浜駅」を再現した。鳥居型駅名標を模したデザインで、「貝殻通行証」の立体オブジェが付いている。海側は水彩画で夕景が描かれた。左下には、北浜駅も登場するパソコンゲーム『オホーツクに消ゆ』のパッケージのオブジェが付いている。2月4日に除幕式が開催され、北浜駅をイメージした楽曲「流氷にいちばん近い駅」も披露された。

かつて「やっかいな存在」だった流氷が観光の対象に

北浜駅は1924(大正13)年11月15日に、網走本線(当時)の一時的な終点として開業した。駅名の由来は「北見国の浜」とのこと。網走本線はその後、知床斜里方面へ延伸し南下。一方、釧路方面からは釧網線が北上。両路線がつながり、釧網本線となった。

『北の無人駅から』(北海道新聞社刊)の著者、渡辺一史氏によると、流氷は地元の人々にとって「やっかいな存在」だったという。流氷が押し寄せると重なり合い、ときには高さ10mに達し、線路を覆い尽くすほどだった。それが観光の対象となった理由のひとつに、1950年代からユースホステルが普及したことが挙げられる。ユースホステルは若者の旅を応援するために作られた宿で、そこに集う旅人たちの間でオホーツクの流氷が語り継がれ、広まっていった。静かなブームが始まった。

1980(昭和55)年11月、北浜駅の第19代駅長を務めた木村茂氏が、赤字だった国鉄の増収策として「貝殻通行証」を発案した。浜辺で貝殻を拾い、たわしで磨いて通行証の文字を入れる。そして入場券を買った人にプレゼントした。これが受験や就職試験のお守り「幸福への通行証」として若者たちにビットした。「北浜駅ブーム」「流氷ブーム」の到来である。

次に木村駅長は古材を集めて駅名標風の看板を作り、「オホーツクに一番近い駅・北浜駅」と記した。流氷だと期間が限定されてしまうからだろうか。この案内板が今回、北浜駅の開業100年を記念して「復活」したともいえる。

北浜駅の貝殻通行証は後任の駅長たちにも受け継がれた。1983(昭和58)年には年間2万枚の入場券が発売された。つまり2万個の手作り貝殻通行証が作られたことになる。しかし翌年、ついに合理化のため、北浜駅は無人駅となってしまう。それでも、旅行シーズンになると貝殻通行証と乗車券のセットが販売されていたという。

無人駅となってから2年後の1986(昭和61)年、駅事務室を改造して喫茶店「停車場」が開業した。北浜で食堂を営んでいた藤江良一氏が、無人駅のままではいけないと駅舎を借り受けて、現在も営業中。ホタテカレーが名物となっている。

さらに時は進み、1990年代半ば。藤江氏は駅でスケッチしている青年に声をかけた。東京でシステムエンジニアとして働き、趣味で絵を描いているという。藤江氏は店で彼が描いた絵のポストカードを販売した。このポストカードがきっかけで、青年は水彩画イラストレーターに転身して現在に至る。今回設置された案内板の海側のイラストを描いた鈴木周作氏である。

  • 北浜駅で夕陽が海に落ちる「奇跡の風景」が描かれた

  • 除幕式。北浜駅「停車場」の藤江良一氏、上野利幸氏、フォトライターの矢野直美氏、「MOTレール倶楽部」石黒明氏、網走市観光商工部長の伊倉直樹氏、JR北海道 知床斜里駅長の浅野誠治氏が出席した

鈴木氏は当時、東京に住み、北海道に何度も通った。後に札幌へ移り住み、打ち合わせで東京へ通うようになる。その交通手段が寝台特急「北斗星」だった。『北斗星乗車456回の記録』の著者であり、本誌連載「鉄道トリビア」でも、第27回「寝台特急『北斗星』に……344回も乗った人がいる!」、第294回「『北斗星』に456回乗った鈴木さんと『457回目の旅』をした!」で鈴木氏を紹介している。

鈴木氏が描いた北浜駅は、流氷の時期ではない。北浜駅と海に沈む夕陽が描かれている。じつは、このように海に日が沈む日は珍しく、年間で数日のみ。北浜駅を発車して遠ざかるキハ54形も描かれ、ホームに人はいない。鈴木氏によると、「観た人の思いを妨げないため」だという。そんな中、猫が1匹佇んでいる。かつて北浜駅周辺に住んでいた「ニャンタロ」で、野良猫ながら駅のマスコットとして人気だった。

北浜駅のテーマ曲は『オホーツクに消ゆ』の縁で実現

北浜駅が無人駅となった1984(昭和59)年、同駅が登場するパソコンゲームが発売された。『オホーツクに消ゆ ~北海道連鎖殺人~』である。北海道が舞台となる連続殺人事件を主軸に、人々の愛憎を描く物語だった。北浜駅の他に、網走港やウトロなどが事件現場として登場する。まるでサスペンスドラマのような展開で、こども向けばかりだったゲーム業界に新しい潮流を作った。原作は、後に『ドラゴンクエスト』シリーズを手がける堀井雄二氏である。

  • ゲームソフトのパッケージをイメージしたオブジェ

網走~知床斜里間を走る観光列車「流氷物語号」は、2021年から『オホーツクに消ゆ』とのコラボレーションを行っている。ヘッドマークとサボ(行先表示版)にファミコン版(1987年発売)のキャラクターが描かれ、さまざまな記念品を車内で販売している。コラボの発案者は、ボランティアグループ「MOTレール倶楽部」の石黒明氏。『オホーツクに消ゆ』のファンだった石黒氏は、新聞に連載していたコラムでコラボを熱望した。その声がSNSを通じて、原作者の堀井雄二氏、キャラクター作画の荒井清和氏、BGM作曲者の上野利幸氏に届いた。

2023年から、網走駅で「流氷物語1号」が発車する際、『オホーツクに消ゆ』のアレンジバージョンが流れている。車内でも、ボランティアによる観光案内放送の前に、上野氏作曲のチャイムが流れる。ゲームミュージックが流れる駅は、おそらく世界でもここだけだろう。

「網走駅の放送は静かなオーブニングからゲームで盛り上がる場面をイメージして、旅立ちのワクワク感を演出しました。車内チャイムはゲームのエンディングのイメージです。つまり、乗車前から発車した後でゲームが完結する感じになっています」(上野氏)

「流氷物語号」は1日2往復運転され、網走発は「流氷物語1号」だけでなく、「流氷物語3号」もある。しかし駅のBGMは「流氷物語1号」だけ。なぜかというと、「流氷物語3号」の発車時刻と、旭川行の特急「大雪」の発車時刻が近く、BGMを流すと「大雪」の案内放送ができなくなるからだという。テーマ曲も聴きたいなら「流氷物語1号」に乗ると良いだろう。

今年、上野氏は北浜駅100年記念テーマ曲「流氷にいちばん近い駅」を発表した。『オホーツクに消ゆ』が結んだ縁だが、「流氷にいちばん近い駅」はオリジナル曲となった。静かな北浜駅に列車が近づいて、去って行く。レールの響きがリズムを刻み、ラストに汽笛で締めくくる。旅情あふれる楽曲に仕上がった。北浜駅の駅構内に音楽を流す設備がないため、ポータブル音源を「流氷物語号」に持ち込み、北浜駅の停車中にホームで曲を流している。

ゲームのキャラクターが、いまは「流氷物語号」のキャラクターに

「流氷物語号」と『オホーツクに消ゆ』のコラボは2021年冬に始まった。コロナ禍の真っ最中で、全国的に外出自粛の雰囲気だった。当時の北海道は緊急事態宣言から外れて「集中対策期間」だったこともあり、「流氷物語号」の運行が決定する。それでも乗客は少なく、『オホーツクに消ゆ』のファンが多かった。

コラボ4年目となる2024年冬は、各種制限が解除され、国内外の観光客が増えた。そうなると、『オホーツクに消ゆ』を知らない乗客のほうが多い。それでもキャラクターのヘッドマークやサボと記念撮影し、グッズを買っていく人もいた。訪日外国人観光客は、このキャラクターたちがゲーム由来であることを知らず、この列車のキャラクターだと思っているようだった。

  • もはやゲームを超えて、列車のイメージキャラクターに!?

それは国内観光客も同じで、筆者と相席になった親子に聞いてみたら、どちらも『オホーツクに消ゆ』を知らないという。それも仕方ない。こどもはもちろん、親のほうも生まれる前に流行ったゲームだろうと思われる。筆者も各地でアニメやゲームとコラボした列車を見かける。コラボした作品を知らなくても、「こういう人気作品があるのだな」と思う程度で、違和感はない。「流氷物語号」も、そんな感覚で利用する観光客が多いかもしれない。

ただし、『オホーツクに消ゆ』を知らない人は、キャラクターたちの服装に違和感を持つかもしれない。ニポポは地元で有名だから良しとする。女性キャラクターも長袖だから冬服として解釈できる。しかし、青年は上着を脱ぎ、腕をまくっている。とても流氷の時期とは思えない。なぜだろうと『オホーツクに消ゆ』を調べたら、40年近く前に発売されたゲームソフトだと知る。その気持ちを想像すると面白い。

もっとも、この登場人物はもはや「流氷物語号」のキャラクターでもある。「流氷物語号」のコラボが続いている間に『オホーツクに消ゆ』のリメイク版や続編を発表してほしいところだが、なくてもキャラクターたちは元気な姿を見せている。「流氷がテーマの列車なのに、なぜかキャラクターが上着を脱いで腕まくり」。これは「オホーツクの七不思議」に数えられるかもしれない。

「流氷物語号」と『オホーツクに消ゆ』のコラボ、あと何年続けられるか

心配事があるとすれば、「流氷物語号」の今後である。2026年4月以降をめどに、JR北海道が新たな観光車両を導入すると報道された。豪華版と普及版の2種類を用意し、周遊列車向けに使用する一方、「くしろ湿原ノロッコ号」などの置換えもめざす。これらの車両が「流氷物語号」に代わって運行されるかもしれない。なにしろ「流氷物語号」に使われているキハ40形は、製造終了から40年以上も経っている。「新たな流氷物語」の幕が上がることも考えられる。

  • 北浜駅展望台から「流氷物語号」を見る。海は流氷で埋め尽くされていた

新たな観光列車と『オホーツクに消ゆ』のコラボは可能だろうか。できればこのまま「流氷物語号」と共存してほしい。「流氷物語号」がなくなった場合は、コラボの舞台を普通列車に移しても良さそうに思える。いずれにしても、『オホーツクに消ゆ』のファンは2026年冬までに現地へ赴き、「流氷物語号」に乗ることをおすすめしたい。