今年6月に結成20周年を迎えたお笑いコンビのプラス・マイナス(岩橋良昌、兼光タカシ)。劇場で大いに笑いを取るも、賞レースを制したことがなく“無冠の帝王”と呼ばれていた2人が、5月に「上方漫才大賞」に輝き、ついに称号を手に入れた。受賞と20周年を祝うお笑いライブ「W祝!! 上方漫才大賞受賞&結成20周年 プラマイ寄席」を10月7日に開催する2人にインタビュー。すると、「大賞をもらってなかったら解散していたかもしれない」と口をそろえ、受賞直前の解散危機が明らかに。「上方漫才大賞」がもたらした変化や今後について話を聞いた。

  • プラス・マイナス

    プラス・マイナスの兼光タカシ(左)と岩橋良昌 撮影:蔦野裕

■結成20周年! 給与明細を見て「芸人になってよかった」と実感

――20周年を迎えた心境からお聞かせください。

岩橋:「もう20年も経ったんだ」という感じです。3年目ぐらいからバイトもせず、お笑いで食ってこられたんだなと。振り返ると長いようであっという間でした。

兼光:今年45歳なので、人生の半分近く一緒に漫才をやってきたと考えたら、ほんまにすごいなと思います。

――高校の同級生ということで、出会ってからだともっと長いですね。

兼光:出会ってからだと30年。

岩橋:ネタは大学生のときからやっていて、そこを芸歴スタートとすると20年以上です。

――兼光さんはバーミヤンの内定をもらっていたそうですね。

兼光:内定式にも出ましたが、相方が声かけてくれて、悩んだ挙げ句、NSCに入りました。

――別の人生もあった中、漫才師になってよかったなって感じる瞬間を教えてください。

兼光:サラリーマンの方たちより給料をもらっているなと思うときです。「サラリーマンの平均給料」みたいな記事を見て、「よし、超えてる!」って(笑)

岩橋:僕が誘ったので、バーミヤンに入ったらもらっていたであろう収入を超えていると思ってもらえているのは、ほっとします。

――岩橋さんはどんなときにお笑いをやっていてよかったなと感じますか?

岩橋:やっぱり給与明細ですね(笑)。給与明細を見ると、「この道で正解だったんだよ」と言われているような気がします。

  • プラス・マイナス

■初戴冠で得た自信と心の余裕 「ずっと漫才を続けよう」と決意新た

――お金の話になりましたが、もちろんお笑い自体のやりがいも?

岩橋:そうですね。ただ、同期のジャルジャルは『キングオブコント』で優勝し、銀シャリも『M-1』で優勝しましたが、僕たちは賞レースの決勝すら行ったことがなく、「上方漫才大賞」をいただくまでは劣等感や焦りがありました。俺たちは一体なんなんやろうと属性がわかりませんでしたが、大賞をいただいて寄席芸人というのがはっきりわかったので、テレビは出られたらラッキーぐらいで、健康である限りずっと漫才をやっていこうと思うようになりました。

――漫才師として決意を新たに。

岩橋:定年ないですし。年を重ねれば重ねるほど、いただくお金も増えていくと思うので、最終的にお金を使いきれないおじいちゃんになってやろうと(笑)

――兼光さんも大賞をとったことによる変化は大きかったですか?

兼光:むちゃくちゃ大きかったです。人生変わったと言っても過言ではない。漫才師の中ではかなり大きい賞で、本当にうれしかったですし、自信と心の余裕が得られました。

岩橋:前回はM-1王者のミルクボーイ、前々回はキングオブコント王者のかまいたちで、その2組がもらう意味合いと、無冠でテレビにもそんなに出ていない僕たちがもらう意味合い……「お前らの受賞は値打ちがある」と師匠や社員さんたちから言ってもらい、実際にグリーン車になったり、大賞の恩恵をすごく浴びたコンビだと思います。

――いろいろな賞レースがある中で、「上方漫才大賞」への思いは特に強かったですか?

岩橋:強かったです。関西では一番歴史があって権威のある賞なので、50歳ぐらいまでにもらえればいいかなと思っていました。そうしたら、マネージャーから受賞の連絡があって、「嘘つくな!」ってちょっと怒ったら、「本当です」って(笑)。『M-1』で優勝した人がテレビで活躍し、劇場にお客さんを呼び、そのご褒美でもらえる大賞だと思っていましたが、このパターンあるんやと。

――ちゃんと劇場での活躍を見てくれていたわけですね。

兼光:それはすごく思いました。

――きっと劇場を中心に頑張っている後輩芸人にも勇気を与える受賞に。

岩橋:賞レースの結果を受けて辞めるコンビがたくさんいるので、賞レースだけじゃないというのを後輩に伝えられたら。無責任に「諦めないで」とは言えませんが、いろんな上り方があるということを少し伝えられたかなと思います。