戦国大河の人気エピソードのひとつ「本能寺の変」。天下統一を目前に織田信長が、突如、明智光秀に討たれる悲劇である。大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)でも満を持して描かれたそれは、これまでの「本能寺の変」とはずいぶん印象を異にするものであった。

  • 徳川家康役の松本潤(左)と織田信長役の岡田准一

第28回「本能寺の変」で描かれた信長(岡田准一)と家康(松本潤)の切っても切れない濃密な絆は、第1回からドラマを応援してきた視聴者にとっては涙なくしては見られないものであった。「本能寺の恋」という言葉をSNSで見かけたが、ちょっとそんな感じもする。が、それはいわゆるBLとはまた違う、ある道を極めた者たちが、馴れ合わず、相手を認め、これだけの実力者であれば、自分を打ち負かすことを許せる。道の先を進むことを託していいと思えるほどの、相手へのリスペクトである。これぞ求道者の考え方。純度の高い感情である。

道を極める者たちの生き方は過酷である。第1回から信長は家康を厳しく鍛えていた。それは結果的に家康を育てることとなった。第28回で、家康は信長のおかげで、己のなかの「虎」を呼び覚まし、戦国を生きながらえてこられたことを自覚する。

ただ、その表現があまりに屈折していて、理解しにくい。父・信秀(藤岡弘、)に「心を許すのは、ひとりだけにしておけ」「こいつになら殺されても悔いはないと思える友をひとりだけ」と言われ育てられた信長が、その「ひとり」に選んだのが家康だった。

人質として不要になったため、信秀に殺されかけた家康をさらい、命を助けた。その後、延々、家康を「白兎」と呼び、諧謔的な扱いをし続けたが、命を助けたことは事実なのだ。

本当はふつうに友達を作ったりしたかったかもしれない信長。孤独に懸命に耐えてきた。そんな本音は出さず、ひたすら家康に強く当たってきた信長。時々、気遣っている面も見せるが、残念ながら家康にはピンと来ない。信長の妹・お市(北川景子)に、あの頃、一緒に相撲をとっていたときが、信長の唯一の楽しい時間であったのだろうと聞かされなければ、信長の屈折に気づくことはできなかっただろう。

第26回から第28回まで、信長と家康がすれ違いながら、やがて近づいて、かけがえのない者だと共鳴し合う様がたっぷり描かれていたが、脚本家・古沢良太氏の執筆した台本をもとにしたノベライズでは少し違う部分がある。ここでは、その違いに注目してみよう。

第26回、家康が信長を富士遊覧でもてなし、「海老すくい」を披露するエピソードは、ドラマでは悲しみや怒りを隠して陽気に踊る家康が強調されて胸を打つ場面になった。松本潤の名演によってそれはとてもすばらしかった。その回が掲載されたノベライズ3巻では、信長が踊りの最中、あるリアクションをする。信長の隠していた本心がうっかり漏れそうになったこの瞬間が、その後、信長がそれまで抑え込んできた感情が徐々に徐々に溢れて、本能寺の変で一気に噴出するスイッチになったように感じる。

一方、ノベライズの家康は、おもてなしの時点ではまだ本心を隠し陽気に振る舞っていて、ラストで家臣たちに本音を吐露する。そうだったのか、という驚きがそこにある。

そして、第27回。信長と家康が対峙したとき、信長が家康にある指摘をする。それによって、家康に気持ちが理解されない苛立ちを抱える信長もまた、家康の気持ちに気づけていないことがあらわになり、すれ違いの苦さが広がる。信長が本音を話しだすのはそこからだ。

ノベライズでは、第26回の信長のリアクションも、第27回の信長の指摘にも、彼の人間らしい面が垣間見える。ちょっと近づいたかと思ってまただめになる落胆もあってこれはこれで古沢脚本の良さだと思う。

一方、ドラマでは、徹底的に威厳ある信長になっている。最後まで本音や弱みを見せないからこそ、悲しみが募る。最後の最後まで、本音を言わず、第28回の本能寺で光秀(酒向芳)率いる軍に襲撃され、白い着物が血で赤く染まったことで、ようやく昔の信長(熱田海岸の近くをたまり場にしていた頃、赤い装束だった)に戻るというふうに見えて、岡田が演じる信長はとことんストイックで、自分を見せない、忍耐の(あるいは強がりな)人になったと感じる。

体を鍛えることも、役に関して深く掘り下げることも、おそらく人一倍行っているであろう岡田准一だからこそ、前述した求道者的な感情が際立った。近江八幡で行われた岡田のトークショーの模様が『本能寺の変 直前SP』として放送されたが、そこで岡田は「部下を競争させて、部下が育っていく」「競争社会を作ってみんなが登っていく(ように)」「強烈に相手にプレッシャーを与えることは実際にあったと思うので強めに演じた」というような方法論を信長が持っていたのではないかという自身の解釈を語っていた。自分も成長し、周囲も成長させる、力と力で鍛え合うやり方である。現代の感覚でいえば、叱って伸ばすやり方だろう。それで強くなっていく人もいるが、そういうやり方は近年、好まれない。叱らず、プレッシャーをかけないやり方で育んでいく方法がよしとされている。

『どうする家康』の信長は旧時代の人物で、部下を仲間のように扱って失敗しても気にしない、「弱ければこそできることがある」と信じる家康が、新時代的な人物ということなのだろう。時代によって価値観が変わっていくものなのだ。

また、『土スタ』にゲストで出た岡田は、緒形拳さん、渡哲也さん、田村正和さんなどの先輩たちから「感情が動く」ことが芝居であると学んだので、『どうする家康』の現場でも、後輩の松本潤に、強めにプレッシャーを与えていったと語っていた。その方法論は、信長が家康にプレッシャーを与えていったことと重なって見えてくるし、実際、その強い圧で、松本の心が震える様を感じることができた。

信長を演じるために信長を追求し、信長は山城が好きとか、西洋文化のみならず日本文化も大事にしていたのではないかとか、岡田がすごくいろいろ考えていることがトークショーで感じられた。岡田には岡田の、信長には信長の信念があるだろう。戦国武将として言いたい台詞があったという岡田。“俺の信長”もいつかぜひ。

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