――ちなみに、ムロさんが「思わずスカウトしたくなる役者」を挙げるとするなら?

もしお芝居にも流派というものが存在するんだとしたら、やっぱり自分と近いものを求めてしまうでしょうね。僕のなかでの理想はナチュラルというか、ちゃんと会話が出来る人。

――「会話が出来る」というのは?

要は、台本上の会話をしっかりと自分のものにした上で、自然な会話ができるかどうか。セリフを話すときに自分の中にある"欲"をちゃんと消せるとか、もしくは逆にそれをあえて活かしてお芝居するとか。そういったことが出来て初めて僕は「会話が成立している」と思えるんですが、これまで現場で出会ってきた役者さんで僕が初めから「会話力」を感じたのは、(伊藤)沙莉さんや(仲野)太賀さん、濱田岳さんなんかがそうでしたね。どうしても自分よりも若い世代の人たちの方が鮮明に覚えてますけど、もう少し近い年齢の役者を挙げるなら江口(のりこ)さん。江口さんと初めて一緒にお芝居した時は、「すごいな」と思った。初めて会って会話力を感じた役者には同じ何かがあるんですよ。会話の受け皿の力というのかな。

――江口さんを除くと、子役からやっている方が多いですね。

僕も自然体の子役の芝居を目指してるからなのか、どうしてもそこに目がいってしまいますね。きっと彼らもこれまで相当失敗もしてるだろうし、役者人生において周りからいろんな感想や感情が降りかかってきたこともあったでしょうけど、その上で自分の頭で考えて、意志を持って、あの場所に立っているからこそのお芝居でもあるのかな、と思ったり。

――ムロさんが思う、プロの世界で生き抜くために必要な力とは?

僕は野心だと思うけど、「俺にはもうこれしかねぇや」って、ある意味"諦め"の境地で素晴らしいお芝居をされる先輩もいらっしゃるので。人によっていろんな形があるでしょうね。

――でも、野心を持ち続けるのも意外と難しかったりしますよね?

それこそ僕も、「この職業でご飯を食べられるようになりたい」という夢が叶って3年ぐらい経ったときに、自分の野心の形が1回わからなくなってしまったことがあったんです。それで「また新たな野心を育てるためにはどうしたらいいんだろうか」と自問自答するなかで、「muro式.」という自主公演を始めてみたり、「恥ずかしい」と感じるくらい、自分の頭の中や心の中を芝居を通じて観客に見せてみたり……。そうやって試行錯誤しながら得られた、成功体験ではなくむしろ失敗体験の方を通じて、この仕事の楽しい部分と怖い部分をもう一度確認して、確認して、確認して……さらに自分に無茶を課すことで、かつて僕が持っていた野心とはまたちょっと違った形の"新たな野心"を構築しつつあるのかもしれません。その結果として、ようやくここ1、2年でまた少しずつ、自分の知らない自分に期待する時間が増えてきたというか。経験を通じて自然と湧き上がってくる計算を一旦全て無視して、何も計算しないでカメラの前に立ってみることができるようになってきて。

――なるほど。新たな野心を持ったムロツヨシが、『ドラフトキング』でも楽しめますね。

今回の『ドラフトキング』では、俳優部の真ん中に立たせていただいて。「僕が背負います!」とあえてみんなの前で言う、という覚悟を持って臨んだ現場でもあったので、僕が「muro式.」を作っているときの座長感もちょっとだけ取り入れつつ、監督やスタッフさんたちと、郷原のウィッグ1つとってもじっくりと対話を重ねながらやらせてもらいました。