1973年にスタートした子ども向け番組『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ)で生まれたガチャピンとムックが、4月2日で誕生50周年を迎えた。ヒマラヤ登山からスキューバダイビング、さらには宇宙への旅と果敢にチャレンジにして成功してきたガチャピンと、それを献身的に支え応援し続けてきたムックの名コンビは、今やテレビ局やメディアの垣根を越えて活躍する人気ぶりだ。
そんな彼らは、なぜ国民的なキャラクターになったのか。マネジメントを手がけるフジテレビ ライツ事業戦略部の石橋広大氏と『ポンキッキーズ』シリーズを担当していた山田洋久氏に、これまでの歴史をひも解いてもらいながら、長年にわたって愛される秘密、さらには今後の展望なども含め、話を聞いた――。
■子どもたちの代わりの存在として誕生
50年前、民放各局では軒並み子ども向け番組を編成していた。そうした中、“幼児教育番組”というテーマで、大学教授ら専門家も議論に入って、テレビを見ることによって子どもたちの情報処理能力を高めるためのカリキュラムを作ってスタートしたのが『ひらけ!ポンキッキ』だった。
それまでの子ども向け番組では、“お姉さん”や“お兄さん”とともに子どもたちが出演するのが定番だったが、『ポンキッキ』では子どもたちの代わりの存在としてガチャピンとムックというキャラクターが誕生した。
具体的にどのようなキャラクターにするかは、相当難航したのだそう。『ポンキッキーズ』がスタートした93年から担当した山田氏は「当時は、映画監督で知られる五社英雄さんがプロデューサー、SF作家でも知られる野田昌宏さんがディレクターで、関係者スタッフがみんな集まって、テーブルの上にいろんなアイデアを出して考えていたそうなんですが、なかなか決まらなかったそうです」と伝え聞いている。
そうした苦難の末生まれたのが、“恐竜の子ども”ガチャピンと、“雪男の子ども”ムック。その背景には、「SF作家だった野田さんの影響があったんだと思います」(山田氏)と推測する。
■「最初は何もできなくて、失敗ばかりするんです」
ガチャピンとムックに与えられた使命は、様々な体験をして、それを見た子どもたちが“自分もやってみよう”と行動に起こすこと。例えば、家にある道具を使って何か音を出す…といった具合だが、番組が始まってすぐに、ヨーロッパのアルプスでスキーに挑戦していた。
さらに、タンクを付けて海に潜って魚を見るという体験など、キャラクターとは思えない挑戦は初期の頃から行っており、これが後に「ガチャピン チャレンジシリーズ」として確立されることになる。
「『ひらけ!ポンキッキ』から『ポンキッキーズ』になったときに、“元気・勇気・ポンキッキーズ”というテーマがあったので、子どもたちにもいろんな挑戦をしてもらいたいということで、“チャレンジ”を前面に出すことになりました」(山田氏)
ガチャピンはスポーツ万能で何でもできる才能の持ち主と思われがちだが、山田氏は「最初は何もできなくて、失敗ばかりするんです。でも、ムックが一生懸命応援して、一生懸命練習して成功する。この体験を、子どもたちに見てもらいたいんです」と強調。
だが、この「チャレンジシリーズ」が盛り上がって人気シリーズになった要因は大人だといい、「結局、大人が子どもとは違う目線で“すごい!”と興奮すると、それを見た子どもも“すごいんだ!”と思えて共感できるんです。だから、年齢を問わずすごいと思えるもの、感動できるものにチャレンジしてきました」(山田氏)と、挑戦の選定基準を明かした。