空誓上人(市川右團次)の「阿呆に銭を貢いでも、阿呆は戦にしか使わん。死に金じゃ」は、なかなか辛辣なセリフである。家康(松本潤)は「国を守るために、民を守るために……」と反論するが……。現代にも通じるような議論がされた大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)、第7回「わしの家」(演出:小野見知)。この回のテーマは“家”だった。

  • 空誓上人役の市川右團次(左)と徳川家康役の松本潤

松平元康(松本潤)が“家康”と改名した。三河をひとつの“家”にしたいという願いをこめた名前である。家康は、妻・瀬名(有村架純)の、父母と帰る家を亡くした深い悲しみを癒やそうと、三河を平和なひとつの家にしたいと考え始める。少し前までは、いくら故郷とはいえ貧しい岡崎より、豊かな人質先・駿府がいいと思っていた家康だが、いまやすっかり地元愛に目覚めている。

ほんわかした妻、愛くるしい子供たち、ちょっと口うるさい母・於大(松嶋菜々子)、親切な近隣の人(家臣)たちと、いつまでも穏やかなのほほんとした日々を続けたいと家康は考える。彼のなかでは家はちょっと広がって「国」となる。だが、誰にとっても良い「家」、良い「国」を作りたいという理想は容易にかなわない。織田信長(岡田准一)と木下藤吉郎(ムロツヨシ)は残虐で、家康の甘い理想を嘲笑う。

理想と現実の間で葛藤する家康が遭遇する最初の最大の試練――それが一向宗との関わりである。一向宗の寺のひとつ・本證寺は独自の共同体を築いていた。松平家の先代が寺に「不入の権」を認めたためで、寺は年貢を納めないで済んでいる。度重なる戦や高い年貢に生活が苦しい民衆たちは当然ながら本證寺にすがる。

本證寺を中心にした地域は「堀や土塁」に囲まれ「堅牢な城下町」のようなところ。堀に当たる部分は蓮池のようで、霧がたちこめ、別世界のようだ。そのなかでは武士も農民も罪人も遊び女も平等で、年貢を取り立てられることもなく、豊かに楽しく過ごしている。

この地への案内人である土屋長吉重治(田村健太郎)は吃音がある。最近のドラマは聴覚障害者が登場するものが増えているが、大河では発話障害者を登場させた。これも多様性を大事にする時代ゆえであろうか。吃音について個性であるというかのように、ドラマのなかで彼の特徴を説明する人はいないし、気にかける人もいない。長吉はほがらかで、この地に詳しい頼れる人物として描かれている。

本證寺は、武士も農民も罪人も遊び女も、話し方に個性のある人も、みんな平等に生きることができる。つまり、家康の求める家族の幸福な家をさらに広げた、みんなが幸せな場所なのだ。寺の住職・空誓上人は「助け合って支え合ってみんなで暮らしていくんじゃ」と民衆に唱える。

瀬名も寺はすてきなところとすっかり好感を持つが、家康は認めることができない。寺から無理やり年貢をとることを決めた家康は民衆の敵に見える。だが、前述のように、戦をしないと三河がほかの国にとられ、この極楽もやがてなくなってしまうかもしれない。それを家康は心配しているのだ。ほのぼのした家庭、みんなが平等な寺町という共同体、さらに大きな国……と世界が広がれば広がるほど、悩みは大きくなり、守らなくてはいけない大きなものを抱えてしまった家康の苦しみも重くなるばかりだ。

お寺の言い分もあるし、家康の言い分もある。その矛盾が寺町の描写に表れているように見える。夢のような極楽と表するには堀はどこかおどろおどろしい雰囲気もある。極楽の象徴のような蓮が咲いてはいるが、水は暗く濁って見えるし、なかも青空は見えず薄暗い。なかで踊っている人たちも、夜、クラブで踊っているような刹那的なムードがある。そこに瀬名や於大や登与(猫背椿)がこっそり遊びに来て日頃のウサを晴らそうとする。家康たち男たちが守ろうとしている家庭の平和にじつは女たちは満足していないということである。たまにはもっと羽目を外したい瀬名を見て家康は面白くなく感じる。

正しいと思っていることが一方にとってはそうでもない世の中の矛盾を、脚本家・古沢良太氏はかつて、法廷ドラマ『リーガル・ハイ』シリーズ(2012年~)であぶり出し、高い評価を得ていた。そこでは、毒舌で金にうるさい弁護士の主人公・古美門研介(堺雅人)が、美しき理想社会の欺瞞を次々に暴いていた。主人公にしては清廉潔白ではなく、むしろ悪人のようなのに、彼の言うことは意外と正論で、美談に曇った眼が開かれる、新しい視点のドラマであった。『どうする家康』ではまだ古美門のように理路整然と世の道理を痛快に言語化できるほど人間が進化していない。賢くずるがしこい本多正信(松山ケンイチ)がやや古美門的な存在に近い気がしているが……。

ここから家康が、どのように混沌とした人間の欲望を腑分けして細分化して社会制度を整えていくのだろうか。古沢氏の乾いた感覚が、戦国時代にどのように発揮されるか、これが成功したら『どうする家康』は傑作になるだろう。

さて、お寺で空誓とも通じている歩き巫女・千代(古川琴音)が、武田の忍者・望月千代女ではないかとSNSでは歴史好きな人たちが想像を広げていた。千代は、家康たちに戦を仕掛けるべく民衆を煽る。なんとなく怪しい人物ではある。

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