大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で圧倒的な存在感を見せた俳優・小栗旬が魅せるシェイクスピア演劇、『ジョン王』が上演されている(東京公演:Bunkamuraシアターコクーンにて1月22日まで、埼玉公演:埼玉会館 大ホールにて2月17日~2月24日)。同作は1998年のスタート以来、芸術監督・蜷川幸雄のもとでシェイクスピア全37戯曲の完全上演を目指し、国内外に次々と話題作を発表してきた彩の国シェイクスピア・シリーズの最後を飾る作品となる。
2017年12月、シリーズ2代目芸術監督に就任した俳優・吉田鋼太郎が演出する『アテネのタイモン』でシリーズが再開され、2019年2月に『ヘンリー五世』、2020年2月に『ヘンリー八世』を上演し、『ジョン王』が、完結目前の第36弾として2020年6月に上演予定であったが、緊急事態宣言の影響で敢え無く中止に。2021年5月に上演された第37弾『終わりよければすべてよし』でいったんのシリーズ完結を迎えたが、『ジョン王』を上演しないことにはシリーズは終われないという吉田の強い想いから、改めて上演が決定した。
小栗が演じるのは、生命力とユーモアにあふれ世の中をシニカルに見つめる若者“私生児”。16年ぶりにシリーズに復帰で、本作がシリーズ4作品目の出演となる。東京公演ではタイトルロールの“ジョン王”役に吉原光夫、演出も兼ねる吉田鋼太郎がジョン王と敵対する“フランス王”役で出演する中で、小栗が何を感じているのか、話を聞いた。
■『鎌倉殿の13人』が終わってすぐ稽古に
――大河ドラマの撮影が終わってすぐ『ジョン王』の稽古に入られたとのことで、率直にどういう気持ちで臨まれていたんですか?
全然、やりたくなかったです(笑)。でもやるしかないから頑張っています。もちろん上演を渇望していたところだったんですけど、やっぱり『鎌倉殿の13人』の撮影が終わって2週間ぐらいで稽古開始だったので、さすがにきついなあ! と。もうちょっと、ぼ〜っとしてたかったんです。1週間ぐらいしかゆっくりできず、次の週からすぐに準備を始めなきゃいけなかったので、どうしても「もうセリフを覚えたくない……」という気持ちはありました。
――ちなみに今の髪型は役に関係あるのでしょうか?
2年間ずっと黒髪で伸ばしていたので、イメチェンしたかっただけです(笑)
――『鎌倉殿の13人』もシェイクスピア劇に近いと言われていましたが、共通するものは感じましたか?
たしかに三谷さんがシェイクスピア劇と重なる部分があるとおっしゃってました。例えば実朝と和田義盛の関係が『ヘンリー四世』のハル王子とフォルスタッフみたいだということとか。どこかでシェイクスピア劇の中での人物像を、鎌倉に置き換えられていると思うんです。でも言葉も全然違うし、演じる方としては、とにかくシェイクスピアは基本的にセリフが長いんだと実感しています(笑)
――たしかに、戯曲を読み込むのも一苦労ですよね。
ただそこは演出の鋼太郎さんが素晴らしい読み解き方をされていて、鋼太郎さんの説明によって自分たちの中でも輪郭が見えてくるんです。セリフを覚えながら台本を読んでた時には「これ、なんなんだろう」と思っていたような箇所が、減っています。
ある意味、もしコロナで中止にならず2年前にこの公演をやっていたら、こういう読み解き方とか受け取り方って、僕らもたぶんしなかっただろうなと思うんです。やっぱりコロナというもので、1度中止になり、そこから自国ではないにしろ戦争というものを身近に感じているわけで、改めて思うのは『ジョン王』は戦争をテーマにした物語だということです。
正直そのまま読んでいくと、物語に対してどうしてこうなるんだ、と思うところもあるんですが、演じてみると思った以上に群像劇のようにみんなに見せ場があって、常軌を逸した状況の中で人間らしさみたいなものが浮き彫りになってくる。自分は演じる“私生児”というキャラクターにある種の客観性も持たせながら話を進めていって、客席と作品の世界をつなぐ存在みたいな感じだと思っています。作品を通して、結局戦争ってあまりに人の人生を変えるものなんだということを、お客さんに近い形で受け取ってもらえるようになっているのではないかと思っています。ここまでエネルギーのある芝居は、最近なかなかないんじゃないかなと思うんですよね。例えるとすると、”ラーメン二郎”みたいなことだと思います。コッテリ味に全部のせ、みたいな感じなのにもう1度食べたいと思わせるみたいな。
■「勉強」は客に見せる手前の段階
――小栗さんは蜷川幸雄さんから「古典をやろう」と言われたことがあったそうですが、実際に俳優としてシェイクスピアのような古典演劇をやる意義は、どのようなところにあると思いますか?
古典って、何百年経っても作品が残り、それでいて今でも必ず上演されていると思うと、やっぱりすごいパワーを持っているんですよね。結局、数百年前から人間ってさして変わらないんじゃん! みたいな。新作が生まれても、結局どこかで古典を踏襲していたり、オマージュであるということがつきまとう世の中で、原点に還ると思うと面白いですし、特にシェイクスピアってとにかくしゃべらなきゃいけない、しゃべって人を面白がらせる戯曲なので、なかなか現代劇では同じようなものはないと思うんです。それを楽しんでできるのは、本当にやる意義があることだなと思います。
――若手の俳優の方も「挑戦したい」と言うこともあるかと思いますが、そこについてはどう思われますか?
それはもう……やりたい人だけやればいいと思います。今やお芝居の形も、やれることも、本当にいろんな方向がありますからね。わざわざ無理して古典をやる必要もないと思うし。僕が昔から非常に思ってることは、ある時から、若い子たちがみんな舞台に出ることを「勉強」みたいに言ってるんじゃないか、と。いやいや、お客さんがいる時点で勉強なんかしてる場合じゃないよ、と思っている自分もいるんです。
――確かに! 小栗さん自身はそういう感覚はないまま挑まれていたのでしょうか?
僕はいつのまにか蜷川塾みたいなところに入って、勉強したくもないのに無理矢理勉強させられたみたいなところがあったのかもしれません(笑)。本当にノウハウも教えてもらったし、今となったら財産でありがたいことだなと思っています。でもどうしてそういうことになるのかというと、結局現代に生きる僕たちが、あまりに演劇に対する素養がなさすぎるというか、素地がないというか、そういう状況だから、どうしても「勉強します」という環境になっちゃうんだろうな、と。もちろん学ぶ場所は探せばどこにでもあって、舞台で学ぶこともたくさんありますけど、でもやっぱり「学ぶ」って、お客さんに見せる手前の段階だと思うんです。だから演劇を学びの場だと思ってるなら、違うんだぞ! といつでも考えてはいます。
――一方で、客席で観る方としてもあまり素養がないのかも…と感じてしまうこともありますが…。
でも、観た方はどんな風に受け取ってもいいと思うんですよね。別に何かを知ってなければいけないとか、ない。単純に観た人にとって面白いか、面白くないかで判断すればいいだけだと思うんです。だからたとえば時代背景とか、この表現にある種のオマージュがあるとか、時代に対するアンチテーゼなんだとか、そういう意図は作ってる側が意識するだけでよくて。
観て面白いと思ったら、違う枝葉が生まれて興味が広がっていくと思うので、そこを楽しんでもらえればいいと思います。今は演劇もいろんな視聴方法がある状況で、全てはお客さんに委ねられていて、僕たち作り手はそこに迎合するしかない環境の中にいるんです。でも演劇ってやっぱり足を運んでもらって、一緒に空間を共有するということが素晴らしい体験だと僕は思っています。
演じる僕らもそうですけど、集まったお客さんのエネルギーがすごいパワーをもってくるし、僕たちはそれを上回るパワーでいなきゃいけないと思っているんです。だから、その気持ちをしっかり受け取って帰ってもらったらうれしいです。
■小栗旬
1982年12月26日生まれ、東京都出身。98年、ドラマ『GTO』で連続ドラマレギュラーデビュー。03年、蜷川幸雄演出の舞台『ハムレット』に初出演し、以降は蜷川作品の常連となる。主な出演作はドラマ『花より男子』シリーズ(05~07年)、『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』(07年)、『信長協奏曲』(14年)、『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』(17年)、『日本沈没-希望のひと-』(21年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(22年)、映画『クローズZERO』シリーズ(07/09年)、『銀魂』シリーズ(17/18年)、『人間失格 太宰治と3人の女たち』(19年)、『罪の声』(20年)、『キャラクター』(21年)など。