秋元康氏のプロデュースにより結成され、数々の記録を打ち立てたアイドルグループ・AKB48。その凄まじい活躍ぶりは「AKB現象」とも呼ばれ、まさに社会現象を巻き起こしたわけだが、東京・秋葉原48劇場で行われたデビュー公演の観客はわずか7人であったことが語り草となっているなど、ブレイクまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。

そんなAKB48の1期生メンバーとして激動のアイドル時代を駆け抜け、今年5月に結婚を発表したことでも話題の“シンディー”こと浦野一美は今、フリーランスでタレント活動のほか、YouTuberや17LIVEのイチナナライバーとしても精力的に活動している。

マイナビニュースでは、浦野にインタビュー。AKB48時代の秘話、アイドルの婚活、17LIVEにてライブ配信をはじめるまでの葛藤などについて話を聞いた。

  • 浦野一美 撮影:島本絵梨佳 ヘアメイク:Violet 武者ひなの

■チラシ配りがきっかけでデビュー

――ツイッターのプロフィールにも書かれていますが、シンディーさんはAKB48加入前、デパートで受付の仕事をされていたとか。

そうなんです! 高校を卒業してからすぐに都内のデパートに就職して、埼玉から電車で通っていました。

――その時はまだ、芸能のお仕事をしようとは考えていなかったんですか?

元々芸能の道には進みたかったんですけど、二十歳になってから芸能界に入るんだという漠然としたビジョンが自分のなかであって。もし芸能界に入って人気者になれたら、普通のことが普通にできなくなっちゃうんじゃないかなと思っていたんです。それなら芸能とは全く違う場所で社会人経験を積んで、一般常識を身につけてから、芸能界に入って夢を叶えようと。それはすごく大事なことなんじゃないかという思いがあって、一年ほどデパートで働きました。

――そして社会人を経験したあと、思い描いていたとおりに二十歳でAKB48のメンバーとして芸能界デビューされたわけですね。シンディーさんは1期生で、当時はまだAKB48の存在も世間には認知されていなかったと思うのですが、オーディションはどんな風に知ったんですか?

デパートの受付として勤めたあとに、催事場でチラシを配る単発のアルバイトをしていたのですが、そのチラシがAKB48のオーディション募集のチラシだったんです!

――そんな知り方があるとは(笑)!

すごい特殊ですよね(笑)。

■よくアイドルになれたなって(笑)

――導かれるように加入したAKB48としての活動は当初いかがでしたか?

ダンスが本当に大変で、たかみな(高橋みなみ)と一緒によく居残りしてました。「なんで入っちゃったんだろう……」と思うくらい、しんどかったです。今でも思うのですが、ダンスがこんなにも苦手なのに、よくアイドルになれたなって(笑)。選抜に入れたのも本当にファンの皆さんのおかげです。

不得意なことがあっても、自分の得意なことを最大限に生かせるのがAKB48なのかなと。「ダンスもできないのにアイドル!? それもチームリーダー!?」と驚く人もいると思うんです。たかみなはすごく頑張ってダンスもできるようになったけど、私はどんなに頑張っても全然ダメで……それでもグループのなかで自分の可能性を見出せるポジションを与えてくれたのが秋元先生で、「AKB48ってすごいな」と改めて思いますね。

――メンバーをまとめる上で、意識されていたことはありますか?

気持ちの面でサポートしながら、社会人として基本的なことを伝えてあげられたらと思っていました。小さなことなんですけど、「楽屋が散らかったままになっていたら、片付けようね」「挨拶はちゃんとしようね」と注意したり。まだすごく若くて、アルバイトもしたことがない子たちも多かったので、社会人経験のある自分が教えてあげなきゃなって。

――AKB48加入前の社会人経験が見事に生きたわけですね。ご自身がダンスに苦労するなかで、リーダーとしての役割も果たすのは大変ではなかったんですか?

自分ができないことは、他の誰かが助けてくれるから大丈夫だと思っていました。チームのメンバーが「シンディーはダンスができないから」と言って教えてくれたり、ダンスの先生も私用に優しい振りを作ってくれて、それでもプロとして成立するものにしてくれたり。みんなの支えがなかったら、リーダーも続けられなかったかもしれません。でも、今のAKB48だったら、私はそもそもグループに入れていなかっただろうなと思います(笑)。それくらい、今の子たちはダンスのクオリティがすごくて。