――『脱力タイムズ』などをやってる(名城)ラリータさんに、『いいとも』には、オーディションの一般参加者をすごく大事にする文化があるという話を聞きました。例えば、そっくりさんコンテストに何百人来ても、全員リハーサルで本番ギリギリまでアルタの舞台に立ってもらうことで、番組のファンになってもらうんだと。

永峰:それは、『笑ってる場合ですよ!』からの伝統だと思いますね。

――「勝ち抜きブス合戦」とかあったんですよね(笑)

永峰:そうそう、今は絶対できないけど(笑)。そういうふうにいろんなコンテストをやってたんで、みんなにアルタにもらうっていうベースを作ったのは、『笑ってる場合ですよ!』ですよね。そこに来てくれる人を大切にして、一緒に番組を作ろうよっていうのは、『いいとも』でできた独特な感覚だと思います。

吉田:実は、『いいとも』にはいろんな流儀が入ってるんですよ。萩本欽一さんをルーツとする素人さんをどうやって面白く見せていくかという技法とか、『THE MANZAI』的なお客さんをイジって笑いを取る手法とか、そういうノウハウが結集された番組でもありましたよね。オーディションの思い出としてあるのは、「激突!食べるマッチ」(※)で、もう処理しきれないくらいの大行列になったときに、及川(俊明ディレクター)さんが、生放送始まってもそのままオーディション続けようって言って、それを番組本編でも放送したんですよ。あれはドキドキしましたね。ディレクターがやると言えばやるという、思い切りの良さと権限委譲があったんですよね。

(※)…大食い企画のコーナー。実況は古舘伊知郎。

小林:ディレクターとしては、やっぱり刺激がほしいんですよ。番組に対してはもちろんですが、自分に対しても。一般のオーディションで「はいダメ、はいダメ、ここで終わり」って言っちゃうと、何か掘り出し物を逃してるかもしれないと思っちゃう。必ずどこかに宝石があるはずだというスケベ心もあったかもしれない(笑)

永峰:『欽ドン』で素人さんの面白さを萩本さんが楽しんでくれるかという目線で粘って見つけるとか、そういうところのルーツなんでしょうね。

■ADが前説を行う伝統

――「テレフォンショッキング」のタモリさんと客席の「そうですね!」のレスポンスは、片岡飛鳥さん(『めちゃ×イケてるッ!』総監督)が始められたんですよね。

吉田:そうです。ADだった飛鳥が前説でやったんですけど、ADが前説をやるというのは『欽ドン』からですかね。今はどの番組でも芸人さんが前説をやってるけど、萩本さんの考えで当たり前のようにADがやってたんですよ。

小林:僕らの言葉で「お客さんを温める」って言うんですけど、お客さんも「『欽ドン』見られて楽しみだな」と思いながら、やっぱり緊張しているので、それを和らげるためにやるんです。テレ朝(『欽ちゃんのどこまでやるの!』)だと、当時まだそこまで売れてなかった小堺(一機)とか関根(勤)とかがやってましたけど、『夜ヒット(夜のヒットスタジオ)』もADがやってたから、フジの伝統かもしれないですね。三宅恵介っていうのが、ものすごく前説が上手かったんですよ。

吉田:三宅さんはね、最初は高田文夫先生が台本書いてたんです(笑)

永峰:そうそう、頼んでたんです。「あちらから、1カメ、2カメ、3カメ、オカメ」って、「べっぴんさん、べっぴんさん、1人飛ばしてべっぴんさん」みたいな持ちネタがあって(笑)

――前説の反対で、「後説」も『いいとも』の名物でしたよね。『増刊号』でよくOAしていました。

小林:あれは、最初からあったと思う。生放送が終わったときに、タモさんがダラダラとしゃべりだしたんだよね。

永峰:ただ、後ろに『いただきます』(※)があったときはできなかったんです。それがなくなって、また自由にできるようになったんですよね。

(※)…84年10月から90年12月まで、直後に小堺一機司会の『ライオンのいただきます』が、引き続きスタジオアルタから生放送されていた。

次回予告…生放送のハプニングも“ドキュメンタリー”に

●小林豊
1951年生まれ、静岡県出身。専修大学卒業後、74年に制作会社・フジポニーに入社。80年に制作部門を復活させるフジテレビジョンに転籍。『欽ドン!』シリーズや『笑ってる場合ですよ!』『笑っていいとも!』『ライオンのいただきます』『所さんのただものではない!』などを担当し、92年営業局に異動。営業局長、スポーツ局長、取締役を経て、09年から19年までテレビ静岡社長を務めた。21年に旭日小綬章を受賞。

●永峰明
1954年生まれ、東京都出身。制作会社・フジポニーにアルバイトから入り、80年に制作部門を復活させたフジテレビジョンに転籍。『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』『冗談画報』などを担当し、89年に退社。フリーの演出家として活動し、東京NSCの講師、『キングオブコント』の審査員も務める。13年からワタナベコメディスクールの講師を務め、同事務所のライブの監修を行い、芸人育成を担当している。

●吉田正樹
1959年生まれ、兵庫県出身。東京大学卒業後、83年にフジテレビジョン入社。『笑っていいとも!』『夢で逢えたら』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『笑う犬の生活』『ネプリーグ』『トリビアの泉』などを制作し、編成制作局バラエティ制作センター部長、デジタルコンテンツ局デジタル企画室部長も兼務。09年にフジテレビを退職、吉田正樹事務所を設立し、ワタナベエンターテインメント会長に就任(現職)。