「鎌倉殿が何度も出てきて話がわからなくなります」(義時) 初代鎌倉殿・頼朝(大泉洋)が亡くなり、2代目鎌倉殿・頼家(金子大地)が引き継いだため、時々どっちの「鎌倉殿」がわからなくなる。それを義時が指摘するくだりはやっぱり喜劇作家・三谷幸喜ならではの可笑しさだ。

  • 『鎌倉殿の13人』第27回「鎌倉殿と十三人」の場面写真

北条時政、北条義時、安達盛長、三浦義澄、和田義盛、梶原景時、比企能員、足立遠元、八田知家、大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政。2代目鎌倉殿・頼家のために運命の13人が集結した大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第27回「鎌倉殿と十三人」(脚本:三谷幸喜 演出:吉永創)はこれから前途多難になりそうなプロローグ。それは「鎌倉殿」がこんがらがるどころではなく数多の人間関係がこんがらがっていく。権力を手に入れたい者たちは、当事者たちはいたって真剣だが傍から見たらいじましく滑稽だ。

まだ若い頼家をサポートするための役割決めが主導権争いを呼び起こす。まずは頼家の乳母の家・比企能員(佐藤二朗)が主張をしはじめ、それに祖父である北条時政(坂東彌十郎)が対抗する。北条家対比企家。さらにそこに梶原景時(中村獅童)が参戦。頼家に、家に関係なく力のあるものを登用していくという入れ知恵を授け、自身を優位に持っていこうとする。

頼朝は自分以外の御家人を信じていなかったとうそぶく景時。それを遠くから用心深く見ている義時。視聴者は頼朝が信じていたのは義時だけだったことを知っているのだが。

頼朝は誰に対しても一番信頼しているという風に振る舞って味方を増やしていった。そこで義時にだけは嘘ではなく信頼していると明かす場面があり、死の直前も改めて信頼を語っている。だがそれが本当の記憶なのかわからない。『吾妻鏡』を元に書かれた『鎌倉殿』である。義時だけは信じていたことを真実として物語化するのか、義時が偽って『吾妻鏡』を残したことを物語化しているのか、いまのところどちらとも言えない。

頼朝は口がうまいし人たらしだから嘘をつかれた人たちは自分こそが最も信用されていたと信じて疑わなくても仕方ない。でも景時は、死人に口なしとばかり、自分の都合のいいように主張し過ぎているような……。いつの時代でもカリスマが亡くなった後は、こういう輩がうようよ出てきて厄介である。

そんななか、義時は頼家から共に政(まつりごと)を行う「若くて力のあるもの」を集めろと言われて、頼時(坂口健太郎)と時連(瀬戸康史)に声をかける。このときのやりとりも喜劇的だ。

時連「これでも太郎(頼時)の叔父です」
政子「顔立ちが幼いから大丈夫よ」

時連は24歳。頼時は16歳。この時代はわからないがいまの感覚で言ったら10代と20代では心身ともにだいぶ差があるだろう。ちなみに瀬戸康史は34歳、坂口健太郎は31歳。

こうして若手代表となった時連と頼時が蹴鞠を練習していると、「そこまでじゃ」と頼家が血相を変えて近寄って来る。優秀な者を引き立てるといいながら父・頼朝のように優秀な者を粛清していくのでは……とびくりとなるが、そうではなかった。

初代鎌倉殿(頼朝)は自分の邪魔になる者を次々と殺していったが、第27回は2代目鎌倉殿(頼家)に役立つ者(というか鎌倉殿を利用しようとする者)が順に増えていく流れになっている。でもこの13人が今後徐々に減っていくと思うと陰鬱な気持ちになる。だからこそ、今のうちは喜劇仕立てにしているのだろうか。

13人は時連、頼時たちのような若手ではなく中高年の集まりだ。彼らを選ぶとき「じいさんはやめておきましょう」と三浦義村(山本耕史)が釘を刺すセリフも面白かった。打倒・頼朝に燃えたこともある血気盛んだったじいさんたちはすでに亡くなったりもうすぐ亡くなりそうだったりしていて、世代交代を感じる。3世代のうち、高齢者はアウト、中高年と若手がしのぎを削る状況だ。頼家は若手を集めて、13人に対抗しようとする。旧世代対新世代の対決に目が離せない。

いささか滑稽な権力争いを象徴するのにふさわしい小道具は亡き頼朝の残した髑髏である。頼家が2代目鎌倉殿になったとき、尼になった政子(小池栄子)が頼朝がはじめて挙兵するときに支えとなった髑髏を頼家に「上に立つ者の証」と託す。

髑髏は文覚(市川猿之助)が頼朝の父・義朝の髑髏だと言って持ってきたものだが実際は誰だかわからない。頼家は髑髏は預かったものの文覚を「知らぬ」「これ以上の関わりは無用」と相手にしないのも皮肉めいている。

半信半疑の頼家に義時は「すべてがこの髑髏から始まったのです。偽物が人々の心を突き動かした」と真顔で諭す。「嘘から出た誠」「嘘も方便」と嘘も悪いばかりではない。

冒頭、後鳥羽上皇(尾上松也)が、頼朝の急死の理由、隠しとおさないといけない理由を蹴鞠しながら推理している。飲水の病(糖尿病)でめまいを起こして武家の棟梁らしからぬ落馬したのではないかと、頼時と並ぶ名推理を見せる。本当のところは誰もわからない。誰もが真実を気にして噂をするなか、最適な真実を残すことが残された者の仕事になる。

誰のものともわからない髑髏を源氏の権力の象徴として大切にするのも同じこと。胡散臭い髑髏を象徴にしていることからして、鎌倉殿の威光は極めて空虚である。

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