大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第25回「天が望んだ男」(脚本:三谷幸喜 演出:吉田照幸)は、源頼朝(大泉洋)が「死ぬかと思った」と視聴者も思った。冒頭は幽体離脱して自分の亡骸を見つめる頼朝、中盤は餅を喉につまらせ「死ぬかと思った」と焦る頼朝、ラストは落馬する頼朝。このまま頼朝は退場するのか……。

  • 『鎌倉殿の13人』北条義時役の小栗旬

第25回で着目したいのは印象的な鈴の音とりくのセリフ「野山の鹿を追うのに足が汚れるのをいやがる犬のよう」。鈴の音は何なのか、そしてりくのセリフから滲むシェイクスピア色の濃さである。

建久9年12月、すっかり覇気のなくなった頼朝。でも「死にたくない」と抗う。全定(新納慎也)に良き方法を聞き、出任せに彼が言った、赤が良くないとか旧知の人が久しぶりに訪ねてきたら良くないとか、昔を振り返ったり人に先を託したりすることは良くないとか、仏事神事は欠かさないこと、赤子を抱くと命を吸い取られるなどのあらゆることを鵜呑みにする。

これだけで頼朝が追い詰められていることがよくわかる。赤が不吉というのなら建物の朱塗り部分も塗り直さないといけなくて大変そうだ。乳母・比企尼(草笛光子)が寝ているだけなのに責められているみたいに見えてしまうのも頼朝の心の弱さの現れだろう。

頼朝の肝の小ささと頼朝亡き後をどうするかで主に比企能員(佐藤二朗)が野心をたぎらせる様子が会社の出世争いみたいに矮小化されて愉快だった。これまで粛清に次ぐ粛清でいつ寝首をかかれるかわからないとびくついていた人たちとは思えない。それも頼朝の力が弱まってきたと思ってのことなのだろう。それにしても比企。蒲殿こと範頼(迫田孝也)といい今回の三善康信(小林隆)といい、誰かに罪をなすりつける卑怯さ。こういう人、いる。

目下、頼家(金子大地)の息子・一幡が比企家の血筋なので強気になっている。でも、比企が蒲殿の一件と関係あったのではと時政(坂東彌十郎)が噂を流していた。昼行灯的だがやるときはやるキャラだった時政。序盤からそこは変わっていない。

ちょうど頼家がほかの女性に目がいっているため、北条家はそれを利用して比企を出し抜こうとする。北条義時(小栗旬)をはじめとしていかにも悪だくみという顔をしないでまるで日常業務のようなムードだが、17分40~42秒の義時が横を向いたときの顔はぼやけているがかなり悪だくみの顔に見える。ここは見逃せないポイントだろう。

油断は禁物。ほんのちょっとのうっかり発言が危険だ。金剛(坂口健太郎)は畠山重忠(中川大志)を御家人のなかで「すべてを兼ね備えているのは畠山様だと思います」と言い、くだらないことを考えるのはよしなさいと制される。うっかりしたことを言うと粛清されてしまう。金剛は巻狩のときもそうだったがそういうことをまったく考えない無邪気である。坂口健太郎が演じているからものの道理がわかった大人に見えるが実際はまだ十代の少年だ。巻狩(建久4年)の頃で10歳くらいなので建久9年には15歳か。

仏事(橋供養)の際、りく(宮沢りえ)が頼朝と語り合う。「野山の鹿を追うのに足が汚れるのをいやがる犬のよう」と言うセリフはマクベス夫人が夫マクベスを焚きつける「魚は食いたいが脚はぬらしたくないという猫のように、『やるぞ』と言っては『やれない』と嘆くのね?」(小田島雄志訳より)のオマージュであろう。丹後局(鈴木京香)や道(堀内敬子)など『鎌倉殿』に出てくる女性にはマクベス夫人の属性が少なくない。つまり、己の野心のために夫を手練手管で炊きつける。ただ、政子(小池栄子)は頼朝の御し方はうまいが悪事を焚き付けることはない。

さて。頼朝はあれだけ不吉なことをしないように用心していたのに梶原景時(中村獅童)に「頼家を頼むぞ」と頼む。さらに政子と義時にも頼家のことを頼む。“人に先を託すこと”をしてしまっていることになぜか躊躇がない。頼朝は「人の命は定められたもの。あらがってどうする。甘んじて受け入れようではないか。受け入れたうえで好きに生きる。神仏にすがっておびえて過ごすのは時の無駄じゃ」とすっかり澄んだ心地で義時に語るのだ。

大事なことをいつも義時にだけ打ち明けてきた頼朝。長らく付き従ってきた藤九郎こと安達盛長(野添義弘)と2人だけで御所に帰る。修羅の道を歩んできた頼朝が最後に義時と藤九郎にだけ素顔を見せる。そして不意に落馬してしまう。史実によれば落馬したのは暮れで亡くなったのは年が明けてからだ。

この回、SNSで考察が盛り上がったのは鈴の音。鈴の音が聞こえた者と聞こえない者の違いは何かということだった。鈴が鳴ったのは冒頭、幽体離脱したとき、ほおずきを片付けているとき、八田知家(市原隼人)の工事現場と落馬するとき。頼朝以外に鈴の音が聞こえたのは、政子、畠山重忠、頼家、和田義盛、三浦義村(山本耕史)、大江広元(栗原英雄)、梶原景時、比企能員、りく。頼朝亡き後、今後のプレイヤーになっていく人物たちにゲームの開始を告げる鈴の音であろうか。野田秀樹の戯曲『パンドラの鐘』に鈴は金へんに「令」、命令する音だというようなセリフがある。戦や殺戮の神様が戦う命令の鈴を鳴らしていると考えるとゾクゾクする。粛々と神に祈る義時には鈴の音は鳴らない。最も誠実に見える義時が鈴を鳴らしていると想像したらちょっと怖い。

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