テレビ朝日系料理番組『おかずのクッキング』(毎週土曜4:55~5:20)最終回の収録がこのほど行われ、収録後のセレモニーで土井善晴氏が番組への感謝を伝えた。最終回は3月26日に放送される。

  • 土井善晴氏=テレビ朝日提供

“おふくろの味”という言葉を世に広めた料理研究家の土井勝氏から2代目・土井善晴氏まで48年間続いてきた長寿料理番組『おかずのクッキング』。勝氏による『土井勝テレビお料理教室』は1974年4月にスタート。善晴氏は1988年4月に31歳で番組初出演を果たし、1993年春に司会を引き継ぐと約34年にわたっておかずの作り方を伝授してきた。

最終回で紹介するのは、せりの菜飯、筍のお吸いもの、だし巻き卵という、シンプルながらさわやかな春の一汁一菜。冒頭、善晴氏は「きょうが“最後の晩餐”ですからね、みなさん」とカメラに向かって語りかけ、「……これ、言おうと思っていたんですよ(笑)」とニヤリ。だし巻き卵をかえす際には「そう簡単にはできませんよ!」と難しさを強調しつつ、「でも、時々やっていたらできるようになる。それが人間のすごいところなんですよ」と、料理する人をやさしく応援する言葉も。

アシスタントの堂真理子アナウンサーから花束を贈られた善晴氏は「最初はカメラに向かって微笑みかけることができなくて、アナウンサーの人はすごいなと思っていたんです。それが34年やってきて、最近ようやくできてきたかなと思います」と満面の笑みを浮かべ、「とにかく“一汁一菜”でみなさんが元気に幸せになって、自分たちらしい豊かさを作ってほしい。料理を作って食べるという基本に本当の幸せがあると思います」とメッセージを送った。

収録後は番組48年の歴史をたたえるセレモニーが行われ、過去にアシスタントを務めた渡辺宜嗣、藤井暁、櫻井健介、久保田直子アナウンサーなど番組にゆかりのあるメンバーが集結。アシスタント就任時、料理経験ゼロだった渡辺が舞茸をほぐすよう頼まれ、粉々にちぎってしまったという“舞茸事件”を振り返る場面も。善晴氏は「キノコを潰す、なんて料理人には絶対できないことだったんです。でも、おかげであれから舞茸をみじん切りにした“舞茸そぼろ”など料理のバリエーションが広がりました」と懐かしそうに語った。最後に「『おかずのクッキング』がなかったら、今の私はありません」と感謝を述べると、スタジオからは大きな拍手がわき起こった。

なお番組テキスト『おかずのクッキング2月3月号』(最終号)は発売直後から品切れが続出し、異例の増刷が決定している。

■土井善晴氏コメント

『おかずのクッキング』は、父の代からはじまって48年続きました。振り返ってみれば48年前、私は高校生でした。その後、父が体調を崩して、私が番組を受け継ぎましたが、当時、私は修業を終えて2、3年しか経っておらず、血気盛んな若者でした。

当時は月曜から金曜までの帯番組で、テキストに掲載する分も合わせて2カ月で60ほどのレシピを考えなければならず、毎号毎号、とにかく何か新しいことをやらなければという思いで苦しみました。1週間に1回は必ず徹夜という状況でなかなか大変だったのですが、何よりもそれが私を鍛えてくれたと思います。ですから、『おかずのクッキング』がなかったら、今の私はありません。

そして、“一汁一菜”という提案は、『おかずのクッキング』をきっかけに生まれました。この考えはコロナ禍の今、多くの人のなぐさめとなり、料理をする意味、家庭の意味を改めて思い返すところまで広がりを見せています。番組は終わりますが、“一汁一菜から始めましょう”というテーマが伝わったのなら、何も言うことはありません。とにかく一汁一菜でみなさんが元気に幸せになってほしい。そして、料理をする人を大切にしてください。それが家族の中でいちばん大事なことだと思います。 

また、日々、手料理を作ることはフードロスにも持続可能な社会にもつながります。さらに、“手洗い”も日本の食文化のはじまり。料理はそういった面でも人間の健康、身を守ることにつながっています。日本の食文化を伝え、残していくために、私もまだまだ頑張っていきたいと思っています。