ザ・モンキーズのギタリスト、マイケル・ネスミスが10日(金)死去しました。安らかな自然死により息をひきとったのだそうです。日本で放送されていた『ザ・モンキーズ・ショー』も大人気でしたね。マイケルはカントリー・ロックのミュージシャンとしてもヒットを飛ばし、映像制作者としてグラミー賞を受賞するほど、才能ある人でした。

  • 『THE MONKEES Greatest Hits / ザ・モンキーズ』(Rhino)一番上のトレードマークの緑のニットキャップをかぶっているのが、ギターのマイケル・ネスミス。中央左がドラムスのミッキー・ドレンツ、中央右がベースのピーター・トーク、一番下がヴォーカルのデイヴィ・ジョーンズ。今見ても、カラフルな感じがいいですね

口ずさめる名曲がたくさん、ザ・モンキーズ

1942年12月30日生まれのザ・モンキーズのギタリスト、マイケル・ネスミスが2021年12月10日に死去しました。享年78でした。遺族より「無尽の愛と共にマイケル・ネスミスが今朝、自宅で家族らに見守られながら亡くなったことをお知らせします。自然死による安らかなものでした」と声明が発表されました。近年、うっ血性心不全のため心臓バイパス手術を受けており、だいぶ回復したとのニュースもあったのですが、急に体調が悪化したんですかねぇ。いずれにしろ、ご冥福をお祈りします。ヒット曲がたくさんあるザ・モンキーズは、何度もリバイバル的なブームを呼んだ、長く愛されたバンドでした。

「Daydream Believer/ザ・モンキーズ」ザ・タイマーズのカバー版の方が有名かもしれませんが、なんといっても名曲。どうだい、この屈託のない4人の笑顔は

主演コメディは日本でも大人気、みんな演技も上手でした

日本のお茶の間への露出としては、これでしょうね『ザ・モンキーズ・ショー』。ロサンゼルス・ビーチウッドで、売れないバンドの4人がひとつ屋根の下でドタバタするコメディ。当時、日本語吹き替えされた海外ドラマがテレビでたくさんやっていて、よく観たもんです。スタジオ見学者の笑い声が合間合間にインサートされる、あのスタイルも大好きでした。放課後に駄菓子食べながら公園で遊んだ後、大人たちの観るテレビ番組がはじまる夕食前のちょっとした時間に、宿題をやっつけながら観てました。友達同士が楽器持ち寄って演奏して、そして自分たちの車で移動して……アメリカってかっこいいぜ、と思いましたね、心から。彼らは等身大の自分を演じていたわけですが、やらされている感はなく、自然でよかったですね。フランク・ザッパがゲスト出演していたのは知りませんでしたが。

『ザ・モンキーズ・ショー』名曲「モンキーズのテーマ」をバックに、楽しげにドタバタします。このオープニングを観るたび、ワクワクしたもんです

ミュージシャンとしての才能があるがゆえに、ビジネス的な葛藤にまみれた

1966年にデビューしたザ・モンキーズですが、実は映画会社やレコード会社がビジネス的に仕掛けたものでした。ビートルズのポップ・スター的な人気を見て、映画監督のボブ・ラフェルソンと映画プロデューサーのバート・シュナイダーの2人が、「スターワナビーな若者を集めてバンドを作れば売れるぞ」と思いついたのがきっかけと言われています。

なので最初から、映像的プロモーションありきだったわけです。300人ほどのオーディション応募者の中から選ばれた4人を、デビュー直後からバンドの宣伝としてコメディ・ドラマに出演させていたのは、いわばメディアミックスのハシリですし、後のバックストリート・ボーイズやワン・ダイレクションなどのボーイズグループの元祖でもあります。マーチャンダイズも盛んだったので、「the Monkees Memorabilia」とかで画像検索してもらうと、いい感じのグッズがたくさん見つかりますよ。

成功を収めるようなバンドは、大なり小なり大人たちの戦略があるもんですが、ウッドストックな60年代ムード全盛という当時にあっては、彼らは「作られたスター」と認識され、他のアーティストよりは下に見られていたわけです。メンバーはジミヘンやビートルズとも交友があったようなので、そりゃつらかったでしょうね。

デビュ-前からオリジナル曲をガンガン演奏していたマイケル・ネスミスは、そもそもミュージシャンとしての才能があり、当然、その自覚もかなりあったのだろうと思われます。ツアーだテレビだと忙殺される毎日の中で、彼は仕掛け人側とバチバチに戦い、モンキーズを脱退することになります。そして、脱退後に彼が結成したカントリー・ロック・バンド、ザ・ファースト・ナショナル・バンドで「シルバー・ムーン」などのヒット曲を生み、その才能を証明しました。

さらには映像制作者としても活躍し、『Elephant Parts』というテレビ番組を制作して、1981年にグラミー賞を受賞しています。ブラックジョークを含んだ彼の都会なコメディセンスには、今観てもニヤリとさせられますね。さらには、映画『レポマン』の製作責任者を務めるなど、グレイトなキャリアを残しました。

映画『レポマン』(1984)個人的にも1年に1回は観るようにしている、超名作。ドライでディストピア感がありながらも暗くならない独特のセンスが大好きです

つい最近までツアーを行い、最後までミュージシャンとして生きた

戦い終わって日が暮れて。かつてのメンバーとも復縁して、つい最近まで、モンキーズのドラマーだったミッキー・ドレンツと一緒に「The Monkees Farewell Tour with Michael Nesmith & Mickey Dolenz」というツアーをやってました。雑な言い方ですが、いわば「(舞台の)板の上で死んだ」わけで、こっちはさびしい想いですが、音楽を愛した彼にとっては、ミュージシャンとしての幸せな晩年だったんじゃないかと思います。

「The Christmas Song/The Monkees」2018年に発売されたアルバム『CHRISTMAS PARTY』より、最後まで現役でしたね

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    ありし日の4人。一番左がマイケル。これでミッキー以外の3人は鬼籍に。さびしいなぁ (C)BANG Media International