選手、スコアラー、査定担当、編成担当…多様な役割を担いながら、40年間にわたって読売巨人軍に尽力した三井康浩氏。なかでもスコアラーとしての手腕は特に評価が高く、2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会では野球日本代表・侍ジャパンのチーフスコアラーとして世界一に大きく貢献した。

三井氏は、1986年〜2007年の22年間の長きにわたって巨人のスコアラーを務めた。その間、巨人ベンチから見つめていたのは、いま球界で大きな注目を集めている野球人の現役時代だ。「ミスタードラゴンズ」として知られ、ついに中日の新監督に就任した立浪和義氏もそのひとりである。

■高卒1年目のルーキー時代からやっかいな打者

野球解説者として活動していた立浪和義新監督が古巣・中日のユニフォームに袖を通すのは、2009年以来のこと。選手としての最後の2年間となった2008~2009年には打撃コーチを兼任していたが、専任でのコーチ経験はこれまでにない。

現場を長く離れていたことに加えて、専任コーチ未経験での監督就任ということを不安視する声もないわけではないが、三井氏は監督・立浪和義をどう見ているのか。まずはその現役時代についての話から聞く。

——巨人のスコアラーという立場から、立浪和義という選手をどのように見ていましたか?
三井 立浪という選手は、PL学園からプロ入りして1年目からいきなり遊撃のレギュラーに定着しました。もちろん守備もうまかったのですが、なんといってもバッティングですよ。ミート率がとても高く、はじめて対戦する投手のボールにもなんなくアジャストしてくるし、身体は小さいのに長打もある。

本当に高卒1年目からプロで何年も飯を食ってきたかのような雰囲気があって、対戦する側からすると凄くやりにくくてやっかいな打者でした。

——ミート力というのは、天性という部分も大きいのでしょうか。
三井 もちろん、練習でもある程度のところまでは伸びるでしょう。でも、それはやはり「ある程度」止まりです。少し表現が難しいのですが、わたしなりにいうとミート力が高いというのは、「打席のなかで相手投手との間合いがいい」ということです。

その間合い、タイミングのとり方というものに多くの選手が苦労するのですが、わたしから見ると立浪はその苦労をしたことがないんじゃないのかと思うほどでした。

また、立浪の打撃フォームは足を高く上げるタイプです。基本的にタイミングのとり方が悪い選手には、足を上げるタイプが多いのです。それなのに、立浪はうまかった。一本足でしっかり立って軸がまったくブレない。その体幹とか体の芯といったものの強さも彼の天性なのでしょう。いくら泳がされようが差し込まれようが、どんな球にでもアジャストしてくるという怖さがありましたね。

■普通の「いい打者」ではなく、普通とはかけ離れた「いい打者」

——しかも、ポジションはショートですね。
三井 それがまた凄い。「守備の要」というと捕手がいますが、ショートはそれに劣らず重要なポジションです。そのショートを1年目から普通に、むしろ普通以上にこなすのですから、やっぱり並の選手ではありません。

今年、ようやく小園(海斗/広島)がレギュラーといえるほどになりましたよね。もちろん立浪とは打撃面の違いもありますが、高校の頃からあれだけ守備を高く評価されていた小園でもプロ3年目でやっと、という感じです。それを思えば、やはり立浪というのはとんでもない選手だったと実感します。

——いまでこそ守備の評価が高い坂本勇人(巨人)も、ショートのレギュラーに抜擢された当初は、守備については酷評する声もありました。
三井 坂本だけじゃなく、今宮(健太/ソフトバンク)もそうでした。いまのふたりの守備は抜群です。そういうふうに、どんなに守備がいい選手でも普通は成長の過程というものが見えるんです。でも、立浪は最初からなんでもできていた。高卒1年目からすぐにショートでプロレベルのプレーができるというのは驚異的なことです。

——そんな立浪に対して、巨人はどのような対策をとっていたのでしょう。
三井 ミート力が高くて極端に穴が少ない選手ですから、とにかくボールを散りばめるといった対策を取っていました。内角を際どく突いてストラクゾーンに対する意識を散漫にさせる、足元を攻めてしっかり踏ん張らせないようにさせるなど、ストライクゾーンを広く使った配球で崩すしかなかったのですが、これがなかなか崩れない…(苦笑)。

足元を攻めたあとに、「これは大丈夫だろう」というボールを外角ギリギリに投げ込んでもそのボールを拾ってくるだけの下半身の粘りもあった。

少しでもボールが甘く入ると打ってくるというのは、いわば普通の「いいバッター」ですが、立浪はその括りには入れられません。投手がきっちりといいコースに投げ込んでもそれをヒットゾーンに運ぶ技術を持った、普通からかけ離れた「いいバッター」でしたね。

  • 1988年04月17日、中日対巨人。6回裏中日二死、立浪が右越えにプロ入り初本塁打 (写真:毎日新聞社)

■「10.8」のヘッドスライディングに見た、立浪の思い

——立浪というと、1994年に巨人と中日がリーグ優勝をかけて直接対決した、いわゆる「10.8決戦」にも3番・遊撃で出場していました。
三井 あのときはびっくりしましたよね。8回裏に桑田(真澄/元巨人)から三塁へ内野安打を放った立浪が、一塁にヘッドスライディングをした際に左肩を脱臼してそのまま負傷退場。あれほど必死な立浪の姿はそれまで見たことがありませんでした。

——それこそ、立浪の野球人生ではじめてのヘッドスライディングだったそうです。
三井 巨人に3点をリードされ、あの立浪がヘッドスライディングをするほど「なんとかしなければ」と必死だったのでしょう。もちろん立浪だけでなく、巨人と中日のすべての選手があの一戦に対して本当に強い思いを抱いて臨んでいました。まさに激戦でしたね。

——あの試合はレギュラーシーズンの1試合に過ぎないかもしれませんが、間違いなく大舞台でした。立浪への対策はふだんとはなにか変わったのでしょうか。
三井 特にいつもと変わりませんでした。先にもお話したように、普通とはかけ離れたいいバッターですから、立浪に打たれてしまったら仕方ないとあきらめるしかないわけです。

ただ救いだったのは、当時の中日打線は立浪さえ抑えておけばあとはけっこう淡白な打者が多く抑えることができたということ。立浪ひとりに出塁を許してもあとが続かないから大量失点するようなことはないだろうと予測できたわけです。ですから、立浪の前に走者を出さないことだけを意識していました。

むしろ、中日打線をどう抑えるかということより、先発の今中(慎二/元中日)をどう打つかということが重要でした。今中攻略がすべてで、今中を打てば勝てる、打てなければ負けるという認識でしたね。

■「打の中日」という新たなチームカラーを生むことに期待

——その立浪がついに中日の監督に就任しました。現時点で判断するのは難しいかもしれませんが、立浪監督はどんなタイプの監督になると思いますか?
三井 守備でいうと、立浪が内野手上がりということでいろいろとバリエーション豊富な作戦をとってくるというのはあるでしょう。

守備体形ひとつとっても、状況によって的確な判断を下してこまかく変えてくるはずです。もしかしたら、他の監督より大胆な作戦を決行したりシフトを組んだりしてくるということもあるかもしれません。

——「内野手上がり」ということが大きい。
三井 特にセカンドやショートというのは、各ポジションのなかでいちばんフォーメーションを詳しく知っておかなければならないポジションです。内野はもちろん外野との連携も多いために、守備のすべてに目が行き届きます。しかも、なかでも立浪はショートの名手でした。そういう強みは監督としての手腕にも表れると見て間違いないと思います。

——打撃に関してはどうですか? 中日は、打力が長年の大きな課題とされています。
三井 打撃についての立浪の話を見聞きすると、凄く説得力があるように感じます。本人は天才肌ではあるものの、他人の打撃のメカニズムについてしっかりと分析できるのでしょう。だからこそ、選手に対してこまかいアドバイスを送ることができる。中日というチームはなかなか打線にスポットライトがあたらないチームですが、それが大きく変わる可能性もあるのではないでしょうか。

根尾(昂)や石川(昂弥)など、若手にもいい素材はいるんです。彼らの考え方も変わるでしょう。打撃コーチにノリ(中村紀洋/元近鉄他)と森野(将彦/元中日)が就任しました。ノリのイケイケ具合に立浪と森野の緻密さが加われば、それがいいミックスとなって選手の打撃に対する考え方は必ず変わります。

——最後に、立浪監督にどんなことを期待しますか?
三井 やはり、「打ち勝つ野球」を目指してほしい。先の「今中攻略がすべてだった」話ではありませんが、中日は基本的にずっと投手が中心のチームです。もちろん、それもひとつのチームカラーですが、ファンからすると投手戦ばかりではやっぱり面白くないですよ。

中日にとっての立浪は、たとえ結果が出なくとも1年や2年で監督を辞めさせられるような人間ではありません。しっかりと打ち勝てる打線をつくり上げるためなら、1年目は負けたっていいと思うほどです。ファンも立浪が監督なら納得して待ってくれます。

投手陣が打ち込まれても相手より1点でも2点でも多く点を奪って打ち勝つ—そんな「打の中日」をつくり上げることを期待したいですね。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人