Z世代にとってSNSは、公私共に欠かせないコミュニケーションツールです。ところが、本来便利なはずのSNSも、使い方次第で自己肯定感にマイナスの影響を与えることも。SNSとの適切な距離感や、複数アカウントの存在意義とは何か。

  • 現代では必要不可欠なSNSとのつきあい方について考える。

「人生に生きづらさを感じる方のメンタルヘルス」をライフワークとする、秋葉原内科saveクリニック院長「Dr.ゆうすけ」こと、鈴木裕介さんに話をうかがいました。

Q.SNSを利用するときに気をつけたいことは?

個人的には、SNSを使うのは、「自分の幸福度を上げるため」という基本スタンスを崩さないようにしています。僕は医師なので、多少なりとも誰かの役に立てることを発信するように心がけています。興味を持ってくれた方と思いがけない出会いがもたらされることがあってチャンスが広がる一方で、リスクや手間がかかることも増えます。

僕は今、スマホからtwitterのアプリを消しているのですが、自分が目にする情報の量を制限することも大事だと思います。SNSでは他人が発信する「華々しい成果」「幸せそうなシーン」を目にする機会も増え、つい自分の人生と比較して不安になったり、「あったかもしれない選択肢」が見えてしまって落ち込んだりということもあるでしょう。

また、SNSも含めて、つながりには「量と質」があると思っています。フォロワーが増えたことで、「どういう自分がフォロワーに歓迎されるのか」という視点にとらわれ過ぎてしまって、かえって疲れてしまうということもあると思います。つながりの量を維持するのにはとてもコストがかかります。

僕はお互いのことがわかっている関係性の中での「質の高いコミュニケーション」のほうが、安心感や活力をもらえると考えているので、SNSばかりやって自分にとって安心できる人との交流の時間が減るというのは本末転倒のような気がしています。要は、自分がどのようなつながりを志向するのか、という点を理解しておくことが重要なのではないでしょうか。

Q.嫌なことがあるとSNSで愚痴ってしまうのですが、やめた方がいいですか?

今の若い人は、SNSで他人とのつながりをコントロールしています。自分のアカウントにもソーシャルな人格もあれば、プライベートな人格もある。公的なアカウントでは絶対に言えないことも、いわゆる「裏アカ」や「鍵アカ」ではつぶやいているようですが、それは自然なことだと思います。

精神科医の北山修先生は、「現代から“裏”が奪われている」とおっしゃっています。人間には裏と表があるのに、裏をさらけ出す場所が無くなってしまった、と。SNSで24時間相互監視のようにつながっていたら、さらにそういった場所は限られてしまいます。

人間というのはそもそもグロテスクな存在であり、気持ち悪いものやいかがわしい部分を兼ね備えていることが当たり前だと思うんです。自分の中のマイナスの感情を否定せず、それが裏アカで吐き出せるというなら、そうすればいいと思います。

ただし、「裏」を出す場所で他人と盛り上がる必要はありません。自分の怒りや批判の気持ちをウィットを効かせた言葉でつぶやくと、「面白い」とみるみるレスが集まったりします。でも、悪口大喜利で快感を得るような方向性では、幸福度は上がりにくいと思います。

  • SNSは自分の幸福度を上げるために利用する。

Q.「裏」の部分をリアルな人間関係で見せるのはNGですか?

一口に「裏」と言っても、他人に見せられる面もあれば、とても見せられないザラついた面もあります。その「磨いていない」本当の自分で人と接し、つながることができれば安心感を感じやすくなる一方で、自己を開示することには嫌われたりするリスクもある。だから、深くつながらないようにするという人もいますし、それは防衛手段として否定されるべきものではないと思います。

ただ、もしも「もっと深くつながりたい」「本音で話したい」と心から感じる時が来たら、それはそれまでの自分の「人間観」を変えるチャンスになりえます。それまで怖くて到底見せられなかった部分を、まずは信頼できる人に小出しにしてみましょう。「そんな人、いない」という場合も、今の人間関係がすべてではないですし、人間にはいつでも“キャラ変”できる可能性があります。

  • 「もっと本音で話したい」と感じる時が来たら、今までの「人間観」を変えるチャンス。