ロックバンドのSUPER BEAVERが、2日に放送された日本テレビ系音楽番組『MUSIC BLOOD』(23:25~)に出演した。

  • SUPER BEAVER=日本テレビ提供

オープニングトークで早速、MCの田中圭が「今日のゲストは夏フェスの出場回数第1位のバンドということですが、雄大はフェス好き?」と聞くと、千葉雄大は「フェスは好きですけど、今日のゲストさんを生で拝見するのは初めてなのでうれしいです」と回答。すると、田中は「じゃあ、今日のゲストの方を動きで表現するとどんな感じになるか、ちょっとやってみてよ」と早くもムチャ振りを発令し、千葉は何かを高速でかじるような動きでビーバーのマネを必死でやって見せた。自分でお願いしておきながら、田中は「そんなにふざけていたら後で絶対に怒られるよ」とバッサリ。

SUPER BEAVERは、過去にバンド崩壊の危機があったことに言及。結成4年目にしてメジャーデビューを果たし、しかもデビュー曲が人気アニメのエンディングテーマになるなど、一躍人気アーティストの仲間入りを果たしたが、その後、運命の歯車が狂い出す。

渋谷龍太は「一言で言うと、当時の自分たちは社会経験が少なすぎたということです。その頃は色々な大人からアドバイスをされていたわけですが、自分たちの音楽よりも大人たちが『やれ』と言ったことを優先してやってきてしまったんです。そのうち、自分たちの音楽と折り合いがつかなくなってしまい、レコーディングの最中に自分の声を聴いたら気持ち悪くなって、その場で倒れてしまいました。あの当時は自分を守ることで精いっぱいで、メンバーとも会話が全くなく、色んなことが処理できなくなっていました。そして、目が覚めた時に『もう音楽をやめる』って言ったんです」と振り返った。

その時の様子を他のメンバーが語る。

「(当時のマネージャーが)やめるのもいいけど、とりあえずメンバー同士で話あったら?と言いました」(柳沢亮太)

「その時はみんな、自分のことだけでいっぱいだったので、倒れた時は正直、何倒れてんの? お前がいなきゃどうすんだよっていう。そんな考えが思い浮かんでしまうくらい、みんなヤバかったです(笑)」(上杉研太)

「本当に会話がなかったので、当時はそれぞれが何を考えているのかわからなかった。4人で話あったことで初めて色々とわかり合えた」(藤原“33才”広明)

それを聞いた田中は「ある意味、倒れることは必要なことだったのかも」と、しんみり。そしてこの話し合いの末、所属事務所を辞めて、自分たちの音楽をゼロから作っていくことを選択したそうだ。

その後の活動について、渋谷は「自分たちにとっては、ここからが本当の出発という感じでした。音楽活動をしながらバイトもしなきゃいけなくて、今思うとすごく大変な時期でしたが、当時は自分たちの足で全国のライブハウスに足を運んで、スタッフの方と直接交渉してということが、楽しくて仕方なかったです。そういう経験を経て今があるというのも、すごく感慨深いです。そうそう、ある日、富山の現場まで自走で向かったのですが、到着した瞬間に車が故障して、専門の人に見てもらったのですが、もう廃車にするしかないって言われたんです。でもその現場に、車のローンを組んでいた柳沢がたまたま入院していて、その場にいなかったという(笑)。そういうことも含めて、全てが良い思い出です」とかたった。