大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第18回「一橋の懐」(脚本:大森美香 演出:川野秀昭)。これまで名コンビだった篤太夫(吉沢亮)と成一郎(高良健吾)は別々に活動をはじめた。篤太夫は手柄をあげ出世し、終盤では「日本近代経済の父」と呼ばれた渋沢栄一(篤太夫)の片鱗を見せた。子供の頃から経済感覚が発達していた篤太夫が、社会の中でいよいよ本領を発揮していく。

  • 『青天を衝け』第18回の場面写真

一橋家では過激な攘夷思考をもった天狗党を討伐するための準備をはじめていた。篤太夫は初陣に出る支度をして待機。成一郎は雪の降る中、上洛しようとしている天狗党に、上洛を諦めるように書いた慶喜(草なぎ剛)からの密書を届けに行く。弟・松平昭徳(板垣李光人)と共に討伐に向かった慶喜だが、いきなり討伐ではなく、考え直す猶予を与えているところに水戸への情を感じる。

手紙を読んだ武田耕雲斎(津田寛治)は「(慶喜を)これほどまでに追い詰めてしまった」と反省し上洛を諦める。でも藤田小四郎(藤原季節)は「あいつ(篤太夫)が言ったんだ」と悔しそうである。まさに「承服できねえ」気持ちであろう。かつて篤太夫は小四郎を焚きつけたことがあったのだ。

結局、武田耕雲斎たちは捕まり、首を撥ねられる。慶喜が命を助けてほしいと頼んだにもかかわらず無視された。「幕府に侮られたんだ!」と成一郎。兵のいない一橋が天狗党の面々を取り込んで幕府に反旗を翻すかもしれない。その心配をあらかじめ潰すため天狗党を滅ぼした。もつれあう敵と味方。幕末ものはこの複雑さが面白くもあり、難しくもある。

篤太夫だって元は攘夷派である。しかも血気盛んに小四郎を焚きつけてもいる。それを「俺が焚きつけたんだ」と後悔するが、成一郎は「うぬぼれるんでねえ」「あれが俺たちの信じた攘夷のなれの果てだ」「俺は攘夷などどうでもいい。一橋を守るために生きる」と篤太夫に宣言する。成一郎もあんなに攘夷に燃えていたのに……。円四郎(堤真一)が殺されたことも影響しているのであろうか。

篤太夫も成一郎も完璧な人間ではない。迷い間違うこともある。大事なのは、自分の目で見て、聞いて、何をすべきか判断すること。篤太夫と成一郎はその機会を得ることができたのだ。

こうして攘夷は幕を下ろす。耕雲斎が首を撥ねられる瞬間の断末魔の表情をハイスピードのスローモーションで見せた場面、津田寛治の表情はカメラの速度に対応できる、ものすごく細かい変化を見せて、悔しさと哀しみと殿への忠誠と……様々な感情が画面いっぱいに広がった。名優である。

篤太夫は歩兵隊を作りたいと慶喜に言って、歩兵組立御用役人となり備中に向かう。ここで篤太夫は主人公らしい活躍をする。備中に志願兵を募りに行き、調子のいい口調で若者に演説するがひとりも手を挙げる者がいない。おかしいと思ったら、一橋領代官・稲垣練造(おかやまはじめ)と庄屋が組んで、志願させないようにしていた。それを篤太夫は見破ってたくさんの志願兵を集めることに成功する。備中はいまの岡山県。余談だがおかやまはじめは岡山出身ではなく宮城県出身。

「どこの国も代官というのは厄介だのう」

岡部藩代官・利根吉春(酒向芳)といい、備中の代官といい「悪代官」のイメージはいかにも昔ながらの時代劇である。主人公が私腹を肥やす悪代官をこらしめるストーリーは親しみ易い。ムード的に土曜日にNHK BSで放送している、庶民の日常を描く世話物的時代劇のようでもある。嫁・千代(橋本愛)を想い他の女性には目を向けないように自分を律するところとか、若者が集まらなくて焦るところや、成一郎に代わって篤太夫と行動を共にしている血洗島・中の家の作男・伝蔵(萩原護)が「みぃんなが大変なんだでぇ」とゑい(和久井映見)のマネをすると「かっさまみたいな口ぶりすんな」と言うところ等々……吉沢亮が軽妙な芝居をして楽しませてくれた。

とりわけ、篤太夫の発言によって慶喜が風神になった父(竹中直人)のことを想像して笑ってしまうところ。ただそれだけだと土曜時代劇で十分となってしまうところ、大河ドラマらしい歴史的大事件(今回は天狗党の最期や長州征伐)と並行して描いているところが『青天を衝け』の面白いところである。

無事兵を集めたが篤太夫はそれで満足しない。「借りた金では懐は豊かになりません」「懐具合を整えたいのでございます」と慶喜に提言。天狗党も精神論だけが先行しお金がなかったから飢えてやせ細り、とても戦に勝てるものではなかった。先立つものは金である。こうして篤太夫は経済との関わりを強めていく。

一方、幕府にも経済活動に力を入れようと動き出している者がいた。勘定奉行・小栗忠順(武田真治)である。彼はフランスとコンパニー設立の策を練っている。長州や薩摩や朝廷の動きを封じてしまいましょうと徳川家茂(磯村勇斗)に持ちかける。ネジ釘をつまんでニヤリと笑う顔が不敵だった。小栗は1860年、遣米使節としてアメリカに行ったときに一本のネジ釘を持ち帰りそれが群馬県高崎市の東善寺に保存されているという。幕府の小栗、一橋の渋沢。時代は経済!

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