「フェアな殺人者」より=2006年1月4日放送 (C)フジテレビ

第1シリーズの当時、カメラ・音声・照明など技術スタッフに田村さんと長年組んできたベテランがそろっている中、河野氏ら演出家が一番若いチームだったといい、田村さんからは演出術を学ぶことも多かったと打ち明ける。

「正和さんがずっとカメラに背中を向けて犯人に話し、最後に振り返るシーンがよくありますよね。こっちとしては、役者の顔を撮りたいので、リハーサルのときに正和さんの向く先からカメラを撮るという意思表示をするんですけど、そっちに回ると正和さんがまた違う方を向いて背中を見せるんです。なので、こっちはまた顔を狙う意思表示をするんだけど、それも背けてしまう。そのとき、これは正和さんが『ここはまだ背中を撮れ』と言っているんだと気づいて。口では言わないんですが、背中を長く見せておいて、“最後に振り返る一番いいセリフはここだ”というのが、あうんの呼吸のようにだんだん決まってきて、それがうれしかったですね。こんな駆け出しの僕にも語りかけてくれたような気がして」

■“舞台的”な撮影手法――NGを出さない理由

古畑はあれだけの長セリフであるにもかかわらず、田村さんはNGを出さないことで知られていた。そこにも、こだわりがあったという。

「特に『古畑』のときがそうだったのかもしれませんが、正和さんは長いセリフを話しているテンションが、カットが細切れになることによって合わなくなってしまうのを嫌ったんです。NGを出したら途中から撮り直すということになるので、せっかく高揚した芝居をしていたのに、そこにつながらなくなってしまう。この考え方はすごく“舞台的”で、カメラを何台か使って同時に撮っていき、多少アングルが悪くても芝居のテンションを優先していくという意識でやっていました。スタジオはともかく、ロケのときは大変でしたけどね(笑)」

ちなみに、遅筆で知られる三谷氏の脚本だが、台本が上がってから撮影まで最低1週間は空けるという約束があったため、セリフを覚える時間は確保されていたそう。

だが、第3シリーズの最終回(江口洋介ゲスト回「最も危険なゲーム」)は前・後編の放送で、前編の台本しかでき上がっていない状態で撮り始めることになってしまったそうで、「後編分は1週間空けられなかったのですが、正和さんはやってくれましたね」と柔軟に対応してくれたそうだ。河野氏にとっても、「長い演出家人生の中で、前・後編のもので後編の最後のオチを知らないまま撮り始めるなんていうのは、最初で最後です(笑)」という異例の経験だった。