コロナ禍の中で、ひとりカラオケに行く回数が増えた。人前で大きな声が出せない今の世の中、誰かの目を気にせず歌うのはとにかく気持ちがいい。そう言えばあれもあった、これもあったと、かつて好きだった曲を掘り下げていたら、いつの間にか、毎回KANの曲を歌うのが定番になった。

  • aiko

しかし、なぜ私はKANの曲をこんなに覚えているのだろう。直撃世代とはいえ、積極的なファンだったわけではない。いろいろと考えを巡らして、ようやく思い出した。そうだ、オールナイトニッポンの中でaikoが敬愛するアーティストとして紹介していたからだ。カラオケの予約履歴を改めて眺めてみたら、ほとんどの曲がラジオ絡みで知ったものばかり。私は人生の大半でラジオを通して新しい曲たちと出会ってきた。

今やサブスクリプションによる音楽配信サービス全盛の時代。好きな曲を好きなだけ気軽に聴けるようになった。自分の好みにあった曲もレコメンドしてくれる。本当に便利になった。一方、ラジオから流れてくるのは、その時、その放送局にチューニングを合わせていなければ、知り得なかった曲たちだ。そんな出会い方はとてもアナログだけれども、だからこそ新鮮な驚きがある。さきほど例に出したKANの曲も、それを教えてくれたaikoの曲もラジオを通じて深く自分の心に刻まれた。

パーソナリティの選曲やリスナーのリクエストが絡めば、そこに他人の思いが乗ってくるから、スッと自分の心の中に入ってくる。番組のオープニング&エンディングやコーナーのテーマ曲になると勝手な思い入れも強くなる。私が世代の違う歌謡曲を知っているのも、日本語ラップにちょっとだけ詳しくなったのも、すべてラジオのおかげだ。最近ラジオを聴くようになった人たちから「ラジオで知らない曲に出会えるのが楽しい」という意見をよく聞く。ラジオで未知の曲に出会うという行為は1周回って感覚的に新しいものになっているのかもしれない。

ラジオのヘビーリスナーならば理解してもらえると思うが、ラジオで曲に出会う際には“人柄先行”になることがある。通常なら、まずは何かしらの形で曲を耳にし、それからテレビや動画サイトなどでアーティストが歌う姿を見て興味を深め、最後に人柄に触れてファンになるというのが一般的だろう。

しかし、ラジオから知った場合はそれが真逆になるのだ。最初にパーソナリティであるアーティストの人柄に惚れ込み、内面だけでファンになる。それから曲に興味を持つようになり、遅れて外見を知る。場合によっては「外見をまったく知らないままファンになる」こともあるし、もっと言うと、「パーソナリティとして好きだけど、曲にはそんなに興味がない」ということもありうる。この感覚はお笑い芸人や俳優、アイドル、作家などがパーソナリティになった場合も同じだ。

私にとってそんな風に“人柄先行”で好きになったのが、さきほど名前の出たaikoだ。大ヒット曲「花火」から彼女の存在は知っていたが、テレビで見ても特に引っ掛からず、その他大勢のアーティストのひとり、という位置づけだった。しかし、オールナイトニッポンのパーソナリティを担当するようになってから、その存在はまったく違うものになった。

当時、20歳そこそこでフリーター兼通信制大学生だった私は、将来への不安や人間関係の悩みを抱えていた。いつも悶々として、眠れない夜を過ごしていた。そんな私に、適度な明るさと真面目さと馬鹿馬鹿しさとヌルさが同居した『aikoのオールナイトニッポン』はピタリとハマった。毎日のように、強めのアルコールを口にしながら、眠りにつくかつかないかの狭間を行き来し、睡魔に襲われるのを必死に待っていたあの頃、よく聴いていたのは彼女のラジオだった。そのトークや弾き語りに、ささくれだった心が癒された。彼女自身がラジオのヘビーリスナーであることにも共感した。

ラジオ番組を長期間聴き続けていくと、ゆっくりとパーソナリティへの思い入れが生まれて、いつの間にかその人となりが好きになってくる。過去の思い出話をたくさん聞き、触れてきたカルチャーを知り、繰り返す日々から生まれる何気ない感情にまで触れていく。リスナーもハガキやメールで反応はできるとはいえ、あくまでも一方通行。偶然出会った曲に心を打ち抜かれて、一目惚れするようなドラマチックな展開ではない。けれど、時間をかけてゆっくりと愛情を育てていくから、パーソナリティはとても近しい存在になる。生活の中にいつもいるような、そんな感じだ。

「親友」と呼ぶのはちょっと違う。たまに会うと良くしてくれる年上のいとことか、飲み屋で会うと話を聞いてくれる本名を知らないオジサンとか、数年に1回しか会わないけど、顔を合わした瞬間に昔の空気で話せる同級生とか、そういう距離感。よくパーソナリティが「一般のファンとは違って、ラジオのリスナーは目立たないように、小さい声で『リスナーです』と伝えてくる」という話をするが、それもこの微妙で、ラジオを知らない人からすると奇妙な距離感ゆえのことだ。

私にとってaikoはそういう存在だった。CDを全部買い揃えるほど前のめりではないし、ライブに行ったこともない。テレビで見かけると、「あっ、知っている人が出ている」と嬉しくなるが、直接は会いたくないような気もする。そういう意味では、ファンと言うには失礼にあたるかもしれない。

でも、時間をかけて生まれた思い入れは、そう簡単には消えない。『aikoのオールナイトニッポン』が終了したあとも、それはずっと続いている。私はAMの深夜ラジオ中心のリスナーだが、様々なシチュエーションで、私のような「ファンと言えるほどではないけど、aikoを身近な存在だと感じている」というラジオリスナーがたくさんいるはずだ。

『ナインティナインのオールナイトニッポン』の存在もその思いに大きく関わっている。aikoは定期的にゲスト出演しているが、本人がいない時にもよく話題に挙がっていて、コーナーでネタにされることが多い。aiko本人もこの番組の古参リスナーで、ナインティナインとの関係も20年以上続いている。先日、aikoが『しゃべくり007』に出演した際、自分のことを「ただのヘビーリスナー」だと当たり前のように語っていた。

今週木曜日も番組にゲスト出演。昨年10月に岡村隆史が結婚発表した時以来の登場となったが、スポーツ新聞記者よろしく“aikoスポーツ”として、岡村の新婚生活を根掘り葉掘り聞き出していた。

岡村も「aikoやから……」と他では明かさなかった詳細な家庭事情まで語っていく。帰宅時の対応、朝食事情、洗濯物のたたみ方、散歩する時の何気ない会話の内容……。どんな凄腕芸能記者も、それこそ相方の矢部浩之でさえも、ここまで話を聞き出すことはできなかっただろう。

前のめりで岡村に質問し、「愛やわあ」「いい日やわ、今日」「やっぱ結婚したんやと思いました。表情が全然違う」と感嘆の声を上げるaiko。たぶん彼女とナインティナインにもリスナーとパーソナリティの間に生まれる心地良い距離感があるのだろう。だからこそ、それを聴いているリスナー側も幸せな気分になる。この3人のトークは「お笑い芸人×アーティスト」ではなく、「パーソナリティ×リスナー代表」なのだ。ゲストコーナーが終了したあとも、ネタコーナーでaikoは散々いじられ倒していたが、本人は帰りの車の中で、ニヤニヤしていたに違いない。

『ナインティナインのオールナイトニッポン』だけではない。改編情報に揺れたこの1週間、深夜ラジオでは各局でaikoの「磁石」がオンエアされた。そんな風にプッシュされるのは特別なことだけれど、aikoの歌声はあまりにもラジオに馴染んでいて、そこにいるのが当たり前のように感じるから不思議だ。この1週間で彼女の歌声を聴き、初めてaikoという存在を知ったリスナーもいれば、私のように「やっぱりラジオと合うんだよなあ」と温かい気持ちになっているリスナーもいるのだろう。久しぶりに購入した新しいCDを聴きながら、そんなことを考えた。

時間をかけてゆっくりと人や物事と向き合い、好きになっていくという姿勢は、もはや自分の考え方の根幹になっている気がする。それを教えてくれたのは、aikoをはじめとするパーソナリティたちだ。時間が経てば番組に関する記憶は薄れていってしまうけれど、他愛もないことの積み重ねで生まれた思い入れは、たぶん、生涯忘れることはない。これからもラジオを通じていろいろな曲に出会いつつ、たまにaikoの歌声を耳にしては、優しい気持ちになるのだろう。そんな風に思えることが、とても嬉しい。