――「孤独」や「悲しみ」はすぐに思い浮かんだテーマだったんですか?

喜怒哀楽がはっきりして、自分の中で解消することが多いタイプです。かかえこみすぎて一人で泣くこともあったし、人に相談することも苦手。でも、助けてくれる人は自分の周りにたくさんいるということを25年間生きていて気づくことができました。それも含めてファンの方への相談じゃないですけど、最初にメッセージとして伝えたかったのが、「孤独」や「悲しみ」。ネガティブな部分を入れるか悩みましたが、そこも含めて人間味。アイドルをやっているといろいろな経験があるし、楽しいだけじゃない。そこを伝えるために「孤独」と「悲しみ」を最初に入れました。

悲しい時はとことん落ち込むタイプ。お風呂でもわんわん泣いたり! そうやって悲しんでる自分のことが笑えてきて、泣くとスッキリします。そうやって生きてきたことも、伝えられればいいなと思って。せっかちな性格なのですぐに切り替えたいんですけど、そうやって落ち込まないと楽しさにも気づけない。悲しいと感じたら泣こう、溜め込まないと心に決めて。卒業して一人になりましたけど、誰も助けてくれないわけではない。家族やファンもいて、相談すれば助けてくれる人もいる。だからこそ一人の時間も大事だと受け止めています。

――印象的だったのは「やり遂げる」という言葉。その「やり遂げる」原動力は何だったのでしょうか?

私は母子家庭で育ちました。三姉妹の真ん中なんですけど、姉は小さい頃から身体が弱かったので、「私がお父さんにならなきゃ!」みたいな思いが小さい頃からあって。それも勝手に思っていただけで別に嫌なわけではななくて、「ママの助けになりたい」「褒められたい」と。どうやったら周りに認めてもらえるのかを考えながら生きてきたので、そういう我慢強さとかはアイドルの世界でも生かされたのかなとも思います。

あとは小さいことを気にしなくなりました。「寂しい思いをしてきたよね」とか「つらい経験だよね」みたいにそういう経験をしたことがない人から気を使われることもあるんですが、私の中では母子家庭は全然悪いことではないし、むしろ家族があってありがたい。経験できてよかったと前向きに捉えています。

楽しいことの方が、逆に多かった。母子家庭で三姉妹なので、当たり前なんですが家に女しかいないんですよ(笑)。いろんな話をするし、本当に自由。そして家族の絆がとにかく強いです。

――家族への感謝の思いも、しっかりと伝わる文面でした。

母は仕事をしながら私たちを育ててくれました。口癖は、「自分で何でもできるようになりなさい」。ご飯も作れるようになって、妹の面倒を見たり、姉の手助けをしたり。それが自然と身についていたので良かったのかなと思います。

■多忙なAKB48時代の記憶

――AKB48で多忙な時期は、どのような生活だったんですか?

中学2年から3年にかけてが一番忙しくて、学校行事もなかなか出ることができませんでした。早退して仕事に行って、帰って来たらまた朝から学校に行って……みたいな生活。次の日まで覚えなければいけない振り付けDVDをもらって、学校行って早退して、本番やって、レッスン、撮影……そんな毎日です。

母も仕事をしていたので、今思うと私を支えるのも本当に大変だっただろうなと思います。それでも、「やりたい」と言ったことを応援して、励ましてくれました。当時は余裕がなくて、「私だってがんばってるのに。自分で稼いでなんとかしようとしてるのに」みたいに不満を抱いてしまうこともありましたが、今思うと、送り迎えだったり、周りの支えがないと成立しなかった。でも、その時は全然気づけなかったんですよね。

落ち着いてから感じるようになったし、当時から言われてはいたんですけど、反抗期もあって聞き入れられなくて(笑)。せっかくお母さんがご飯作ってくれているのに、それを食べずに寝てしまったり。そういうのって、お母さんも精神的につらかったと思うし、私もいっぱいいっぱいだった。そういうことを大人になってから気づくことができました。

――「一刻も早くお金を稼いで楽させてあげたかった」とも書いてありましたが、そこもモチベーションだったんですか?

そうですね。でも、例えば授業料や車の免許とかも、自分の人生だから自分で払って当たり前だと思っていました。母も私のためにいろいろやってくれていたんですけど、自分でやらなきゃいけないなと。そういうことも含めて、早めに仕事をして自立したかったんです。高校生だったらアルバイトできますが、私はできなかったので、小さい頃から仕事をして積み重ねていけばなんとかなるかなと思っていました。でも、甘くない世界です。安定もしないので、母からは細かい節約術も教わっていました(笑)。

お母さんのこと大好きで、本当は甘えたいのに甘える時間もなくて。AKB48に入る前から、お姉ちゃんにつきっきりだったり、お母さんは末っ子の妹を見てて、「私って放置されてるな」みたいに勝手に思って。それが高校生ぐらいで一番出てしまって、でもお母さんからしてみれば、「その歳で何言ってるの」みたいな(笑)。反抗したと思ったら甘えるし、お母さんもすごく振り回されたんじゃないかなと思います(笑)。

――ステージ上での笑顔の裏には、そんなドラマがあったんですね。アイドル時代に、つらいと感じることは他にありましたか?

「つらい」というほどではないんですけど、普通の生活ができなかったことですかね。青春がないというか、中学校も運動会に1度も出られなかったので。学校に行くと、みんな運動会の練習してたりするんですよ。でも、私は何の種目をするのかも分からないまま見学をして、迷惑をかけることばかりで。そういう意味でつらいというか、普通の生活ができませんでしたね。でも、友達がノートを全部とってくれていたりとか、周りの支えもたくさん感じられたのかなと思います。

授業参観では知らない人が見に来たりするんですよ。「あの子、AKBだよ」とか聞こえてきて、学校以外でもどんなところに行っても、まわりからはAKBや推しメンの話題。どこで誰が見ているか分からない状態で生きていたので、ずっと緊張状態でした。それはそれでつらいなと思うこともあったんですけど、母からは「自分で選んだ道でしょ!」と言われて(笑)。あとは、妹も「あの子、AKBの前田亜美の妹だよ」とかいつも言われていたみたいなので、家族に迷惑をかけて申し訳ないという思いもありました。