"どんでん返しの帝王"の異名を持ち、これまでに数々の作品が映像化されてきた作家・中山七里の報道サスペンス小説が、11月22日よりWOWOWプライムにて『連続ドラマW 夜がどれほど暗くても』(毎週日曜 22:00~ 全4話 ※1話のみ無料放送)として上川隆也主演でドラマ化される。デビュー作『さよならドビュッシー』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞して以来、良質なヒューマンミステリーをコンスタントに世に送り出し、今年1月にデビュー10周年を迎えた中山。綾野剛×北川景子共演の映画『ドクター・デスの遺産 -BLACK FILE-』(11月13日公開)、佐藤健主演の映画『護られなかった者たちへ』など、自作の映像化が相次ぐ中山に、本作の誕生秘話やミステリー作家の創作の舞台裏、作家生活10年目を迎えた現在の心境について聞いた。

  • 作家の中山七里

    中山七里(なかやま しちり)
    1961年生まれ。岐阜県出身。『さよならドビュッシー』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し2010年にデビュー。悪辣弁護士の活躍を描く御子柴礼司シリーズほか、刑事犬養隼人シリーズなど著書多数で、映像化された作品も多い

――今年、中山さんの小説が続々と映像化されていますね。

どの作品を書く時も、映像化については本当に考えていないんです。むしろ「映像化されてたまるか」という気持ちで書いているので、うれしい反面、「不思議だなぁ」というのが最初にあります。「どうして映像化してくれるのだろう?」と。というのも、わざと映像化に向かないテーマや、映像化できないような要素を入れているつもりなんですが、「これはさすがに無理だろう」と思った作品ほど、なぜか映像化されているんですよ。

映像化を狙っている作品には"匂い"がする

――プロデューサーの方々が、あえて難題に挑もうとされるからでしょうか?

おそらくチャレンジャーな方が多いんだと思います。最初から映像化ありきで書いたものというのは、どうしてもスケールが小さくまとまってしまう気もするんです。例えば、思想にしても、ロケーションにしても、人間の書き方にしても、扱うテーマにしてもそうですけれど、「これは月9の帯に入るなぁ」みたいなことを考えて書いていたら、当然スケールもテーマも小さくまとまらざるを得ないですよ。そうなると、当然小説の面白みも減ってくるわけで、僕は逆に映像化できないものの方が、スケールが大きくなるんじゃないかと考えるようになりました。聞くところによると、映像化を狙っている作品というのは、どうやら読むと"匂い"がするらしいですよ(笑)。「映像化できそうにないものほど闘志が湧く」という話も聞いて「そういうものなのかな」と思いましたね。そもそも予定調和ばかりでは、興味が惹かれないじゃないですか。

――中山七里作品は過去にもドラマ化されていますが、地上波とはひと足違う切り込み方ができるのは、WOWOWならではだと感じられますか?

スポンサーがいらっしゃると、どうしても気にしなければいけないことが出てきますよね。たとえそれが作品の根幹部分に関わるものでなくても、どこかでバイアスがかかることで腰が引けるというのはきっとあるんでしょう。それは作品に必ず反映されてしまうんです。

――『夜がどれほど~』と『セイレーンの懺悔』はいずれも週刊誌やテレビの記者の話ですが、この2つが同時期に映像化されることについては、ご自身としてはどう感じていますか?

『セイレーン~』は2014年の1月に、『夜がどれほどに~』ついては2018年の10月に書いたので、実は4年間くらい間が空いてるんですよ。今回偶然2作品が並んだだけで、もともと発想の時期はそれだけ違うんですね。『セイレーン~』を執筆していた当時は、さまざまな放送局でやらせ問題が起きていたんです。サンゴ礁に傷をつけたことがあったじゃないですか。そして、小学館さんからのオファーをいただいたのですが、掲載誌が『きらら』という女性の読者が多い媒体でしたから、女性を主人公にした、という経緯がありました。マスコミに対する視聴者の不信感をテーマに広げていったのが『セイレーン~』なんです。一方『夜がどれほど~』については、きっと皆さんもご存知でしょうけれど、ある雑誌でいろいろな人が問題発言をしたために、廃刊に追い込まれたことがあったんです。さらに、とある芸能人の不倫の問題に鋭く切り込んでいったら薮蛇になってしまったといったこともあり、世間の人たちがマスコミを毛嫌いするような大きな波が、2014年と2018年にあったんです。そこでこれらの作品を書いた、というのが実情なんですよ。

  • 『連続ドラマW 夜がどれほど暗くても』

――それがたまたまWOWOWで同時期に映像化される、というわけなんですね。

まぁ、必然ではあったんですよ。だって、こんなネタを地上波がドラマ化するわけないですもん。「WOWOWさんにしかできない」ということで、必然的にこの2作品が選ばれたんだろうな、と自分では思っています。

――『夜がどれほど~』では、『テミスの剣』に続いて上川隆也さんが主演を務められます。原作者としてどう感じていらっしゃいますか?

『テミス~』を拝見していたものですから、上川さんが主演されると聞いたときに、「何も心配しなくていいな」というところに落ち着いてしまったんです。もう全幅の信頼ですよ。

――上川さんなら誠実に演じていただけるだろうという確信があったわけですね?

もともと僕は映像化作品にあれこれ言うタイプでは全くないんですけれども、主演が上川さんということでしたら、より顕著ですよね。「僕は何もせず、ただぼーっとしてればいいんだな」という感覚でした。

――WOWOWの連続ドラマWの魅力については、どう感じますか?

予算とかキャスティングの問題もあるんですけど、それよりはやっぱり自由度が大きいですよね。スポンサーに忖度しなくてもいいっていうことでは、ポジションとしては映画なんですよ。「映画館に足を運ばなくてもいい映画」というような感覚です。

――ご自身の原作であってもなくても、映像に対しては、一視聴者として客観的にご覧になりますか? それともやはりご自身の作品だと違う視点でご覧になりますか?

基本私は原稿を書いて版元さんに渡したら、もう自分のものじゃないという感覚なんです。だからまったくの別物ですよね。他の人の作品を楽しむのと同じ感覚で見ていますね。

常に「どうやって人を殺そうか」と殺害方法を考えながら

――中山さんはプロットを作る時点で、最後の一行どころか、「!」の位置まで決まっているというお話を過去に拝読したことがあるのですが、この作品においても最後まで見えていたんでしょうか?

はい。芸能人の不倫を追いかけている記者の方々がいらっしゃるじゃないですか。ある日、ふと想像したんですよ。「もし取材中の記者さんにスマホを向けたら、彼らはどういう反応をするんだろうか」と。僕は昔から「人を撃っていい人間は、自分も撃たれる覚悟がある人間だ」と思っているんですよね。「いつも取材する人間が取材される側に回ったら、いったいどうなるんだろう」というのが、本作の取っ掛かりだったんです。それさえ決まってしまえば、あとはもう簡単にストーリーができていく。

――取材記者の矜持を描くという意味では、『セイレーン~』とも共通している部分も感じます。

『セイレーン~』の場合は、正直職業は何でもよかったんですよ。きっと皆さんそうだと思うんですけれども、その世界に初めて入った時は一生懸命で、とにかく覚えることがたくさんあってがむしゃらだったはす。それが2年目3年目になってくると「このままでいいんだろうか」と疑問に思い始めたり、自分のやりたいこととやっていることとの乖離が気になったり、いろんな雑念が入ってくるんですよね。中には「仕事辞めちゃおうかなぁ」みたいな人もいると思うんです。でも本当は障害を一つ一つ乗り越えていったところに、また新しいステージがあるんですよね。残酷な現実と向かい合いながらも、それでも成長していく若者の姿を描きたかったんです。

  • 『連続ドラマW セイレーンの懺悔』

――中山さんは小説を執筆される際に取材をされないことで有名ですが、普段どういったところから物語の着想を得ていますか?

僕は、今まで読んだ小説や見た映画を、全部ストーリーとして分類しているきらいがあるんですね。例えば、「こういう話だったら、こういう山と谷を作っていけば、こういった感動を得られる」というのが自分の感覚としてあるんですよ。僕はもともと28年間サラリーマンをやってきて、その間に見てきた人間のことも「こういう人はこういうことを言って、こういうことを考えて、こういう仕草をするものだ」と分類している。つまり、ストーリーラインについては今まで読んだ本と映画で補って、キャラクター造形については現実に見てきた人間を当てはめている、といった感じなんです。

――聞くところによると、常に「どうやって人を殺そうか」と殺害方法を考えながら道を歩いているそうですね。

ミステリーを書いている人間というのは、多かれ少なかれそういう人間でしてね。殺し方だとかトリックだとか、人のごまかし方というのは、既に出尽くしているところがあるので、一日中考えないと新しいものは出てこないんですよ。横溝正史さんがトリックを考えているときに田んぼの畦道を兵児帯がほとんどはずれた状態で難しい顔をして歩いているのを見て、近所の人が薄気味悪かったそうですが、そういった話を聞くと、やっぱり推理小説作家っていうのは、こうじゃないとダメだなぁと思ってしまいますね。

――これまで「書きたいものを書いたためしがない」というのは本当ですか?

僕にとって、書きたいものほど書きたくないものはないんです。自分の書きたいものを書いているときは確かに楽しいのですが、どうしたって客観性がなくなってしまうんです。過去に、割と自分が興味のあるテーマを題材にしてみたこともあったのですが、正直、全く興味がないものを書いたときの方が読者の反応がよかったので、それ以来「自分の興味があるものは一切書かんとこう」と割り切りました。

――無類の映画好きだと伺っております。ご自宅の書斎は大型スクリーンや音響装置を完備したシアタールーム仕様で、膨大な数のDVDコレクションを所有されているそうですね。かつて映画を撮られたこともあったそうですが、ご自身で映像化したいというお気持ちにはならないのでしょうか?

絶対にならないです。やってみるとわかるんですけれど、小説を書くのと映像化するのとでは、手段も違えば、ありとあらゆるものが違うんです。よく「カメラを回すように小説を書く」という人もいますが、実際にやってみると小説ではできたことが、映像ではできなかったりするし、またその逆もあるんですよね。今のところ僕は、そんな大それたことを考えたりはしていません。

――デビュー10周年を迎えた今年、映像化が相次いでいる現状について思うことは?

僕は自分のことは単なる下請けだと思ってるんですよ。下請けであるならば、クライアントには利益をもたらさなければ、明日から仕事がないじゃないですか。デビューして10年も経つと、版元さんが新人さんや新しい才能を発掘して、世に広められるようなお手伝いをしなければ、バチが当たると思っているんです。だから僕の場合は、むしろ映像化による恩恵を出版業界の皆さんに還元することで「恩返ししたい」という側面の方が大きいんです。