読書界に衝撃を与えたニッポン・ノワール『不夜城』をひっさげ、鮮烈に作家デビュー。以来25年、つねに第一線の作家として、数多くの著作とともにジャンルにこだわらない多彩な作風で多くのファンを持つ馳星周さん。2020年には第163回直木賞を受賞した馳さんに、デビューまでの歩みや、新宿ゴールデン街の日々などを通して人生の転機を語ってもらった。

  • 心の闇を照らし出す、ノワールの世界観に魅せられて/作家・馳星周

    写真提供:文藝春秋

震災の物語は、これからも書き続けていく

――まずは直木賞受賞、おめでとうございます。これまで何度も候補になっておられますが、今回ついに受賞されました。

正直、僕自身は3回目あたりからどうでもいい、いっそ候補になるのを辞退してもいいくらいだと思っていました。ただ、本というのは世に出るまでに作者だけでなく、出版社の編集者をはじめいろいろな人が関わっています。そんな彼らの「馳星周に直木賞を獲ってほしい」という積年の願いに応えられたことは素直に嬉しいですね。

  • 写真提供:文藝春秋

――受賞作の『少年と犬』は、東日本大震災の被災地である釜石から熊本まで、一頭の犬とさまざまな人とが織りなす物語です。着想はどこから得られたのですか。

5年ほど前に犬を主題にした海外の小説が日本でも話題になりましたが、読んでみて「何が面白いんだ、俺ならもっとうまく表現できるぞ」と負けん気が湧きあがったのがきっかけかな(笑)。もう一つは震災を背景にした小説を書きたかったからです。東日本大震災が起きたとき「この目で確かめなければ」という思いに駆られ、実際に半年後くらいに宮城の被災地まで足を運びました。言葉を失いましたね。映像や写真では絶対に伝わらないすさまじさに「日本人全員が現地に来て、目に焼きつけるべきだ」と強く思いました。あれは日本人が決して忘れてはいけない災害のひとつです。作家として折りに触れて取り上げるようにしています。

書くことしかできないから、この道を選んだ

――小説家になることは昔からの夢だったのですか。

本を読むのは小さい頃から大好きだったけど、大学卒業後に一度小さな出版社に就職したときは、作家になろうなんてこれっぽっちも思っていませんでした。でもそこが嫌な会社でね、我慢できずに辞めてフリーライターに。あの頃はバブルのまっただなかで何をしても食えるという時代だったので、後先考えずに行動できたんですよ。

――フリーライターから作家に転身された理由は。

直接のきっかけは、よく書かせてもらっていた雑誌が休刊したことです。その頃には業界のこともわかってきたので、フリーランスの行く末もある程度想像できました。若い編集者に「使えないジジイだな」と呆れられながら細々とライター稼業を続けるか、編集プロダクションを立ち上げて若いライターをこき使うか、どちらかしか道はない(笑)。でも一方でその頃には、自分には書く仕事しかできないとわかっていました。だったら一度、本気で小説を書いてみよう。そうやって書き始めたのがデビュー作の『不夜城』です。

――『不夜城』は日本では珍しい、本格的なノワール小説(※)としてかなり話題になりました。

単作ではいくつかノワール的な世界観の小説はありましたが、意識的にノワール小説を書いている作家は当時いなかったと思います。ならばそこを狙おうと。もちろん一読者としてもノワール小説は好んで読んでいて、ジェイムズ・エルロイやアンドリュー・ヴァクスといった海外の作家に影響を受けました。関連するジャンルにハードボイルド小説がありますが、ハードボイルドに漂う〝おとぎ話感〟に比べてノワールはもっとリアルで冷徹な物語。自分が読みたいものを書こうという気持ちでしたね。

※ノワール小説:犯罪や暗黒街を主な題材に物語を展開する小説形式。暗黒小説とも。

新宿ゴールデン街のアツイ青春

――ハードボイルド小説を「おとぎ話」と感じるようになったのはどうしてですか。

新宿のゴールデン街でバーテンダーをしていたのですが、あの経験があれば、誰でもそう思いますよ。永遠の愛や友情、フェアプレイの精神、「タフでやさしく」なんて嘘っぱち。「俺はケンカに負けたことがない」と自慢するお客さんを見ていたら、相手が横を向いた瞬間に灰皿で殴るのが得意の戦法だとか。そりゃ負けるわけないですよね。とにかくあの頃の新宿ゴールデン街に集っていたのは、嘘つきでエゴが肥大した男たちばかり。男の優しさや友情なんて「ふざけるなよ」って感じです(笑)。

――馳さんが大学生の頃ですね。確かに当時のゴールデン街はかなりヤバイ印象でした(笑)。

東京の人だって大半は行かないのに、北海道のど田舎から上京して、いきなりアルバイトを始めたのですからね。とてつもないカルチャーショックでした。ただ、普通の18歳から22歳では経験できないことをたくさん味わったので、振り返るとゴールデン街の経験がなければ作家になっていなかっただろうな、と思います。酔っ払いの相手にヘキエキしつつ、こっちも毎日ウイスキーをボトルで飲んで酔っ払って。またアルバイト先は読書好きのお客さんが集まる酒場だったので、場を盛り上げようと毎日かならず1冊は新刊を読破していました。20代に限らずですが、とにかく本を読みまくり、映画を観まくっていたことも作家としての糧になっています。

――一逆に、20代の頃にこうしておけばよかったと思うことはありますか。

寝る前の歯磨きですね(笑)。どんなに酔っ払っていても歯を磨いて寝るべきだった。中年になってから虫歯の治療が大変だったので、そこは本当に後悔しています。