5月3日、世界遺産登録を目指す「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県・熊本県)に、諮問機関・イコモスから「登録」勧告が出された。これにより、本遺産の世界遺産登録が大きく近づいたと言える。

  • 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の中でも、"信徒発見"の舞台「大浦天主堂」は特別な資産だ

    「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の中でも、"信徒発見"の舞台「大浦天主堂」は特別な資産だ

今回、登録勧告が出された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とは、どのような遺産なのだろうか。"潜伏キリシタン"や新しい取り組みであるアドバイザー契約とは? 世界遺産に詳しい世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局の主任研究員である宮澤光さんにうかがった。

"かくれキリシタン"ではダメなわけ

――はじめに、今回出された諮問機関(イコモス)の勧告とは何でしょうか。

世界遺産登録を目指す遺産については、1年に1回開催される世界遺産委員会で登録すべきかどうかの話し合いが行われ、登録の可否が決定します。しかし、世界遺産委員会での話し合いに参加する委員国の代表は基本的には外交官で、遺産保護の専門家ではありません。そのため、イコモスやIUCN等の諮問機関が、遺産保護の専門家の立場から世界遺産委員会に助言を行います。その諮問機関が、世界遺産委員会の始まる前に推薦された遺産を現地調査し、調査結果をまとめて報告するものが「勧告」です。

ですので、「勧告」は遺産を推薦している国に対して出されると思われがちですが、世界遺産委員会に対して出されるもの。それが、今回のように推薦国に対してフィードバックされます。

今回出された「登録」勧告は、4段階の勧告の中で最も高評価のもので、諮問機関から「登録」勧告が出された遺産は、基本的にはそのまま世界遺産委員会で「登録」決議が出されると考えて良いと思います。

――「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の遺産名に出てくる"潜伏キリシタン"というのは、聞きなれない言葉ですが、どういうものでしょうか。

"潜伏キリシタン"という言葉を今回初めて耳にする方も多いと思います。"かくれキリシタン"という言葉の方が知られているかもしれませんね。

"潜伏キリシタン"というのは、徳川幕府によってキリスト教が禁じられていた17~19世紀の日本で、密かにキリスト教信仰を続けていた人々のことを指します。キリスト教が禁じられる前にキリスト教へと改宗した人々のことを"キリシタン"と呼んでいたため、その後、隠れてキリスト教信仰を続けた人々を"潜伏キリシタン"と定義したのです。では、なぜ"かくれキリシタン"ではダメだったのかというと、"かくれキリシタン"と区別する必要があったからです。

  • キリシタンたちを中心とする「島原・天草一揆」の舞台となった「原城跡」

    キリシタンたちを中心とする「島原・天草一揆」の舞台となった「原城跡」

1614年、全国的に禁教令が出され、キリシタンたちは信仰を捨てるか、隠れて信仰を続けるかの決断を迫られます。この決断というのは個人単位ではなく、集落などコミュニティ単位で行われました。この時に、隠れて信仰を続けた人々が"潜伏キリシタン"となりました。

その後、約200年を経て1873年に禁教が解かれます。この時にまた、"潜伏キリシタン"たちは決断を迫られました。キリスト教のカトリックに復帰するのか、仏教や神道へと改宗するのか、はたまた隠れて続けてきた信仰を続けるのか。ここで、隠れて続けてきたキリスト教由来の信仰を、解禁後も続ける人々が"かくれキリシタン"と定義されました。

つまり、"潜伏キリシタン"だった人々が、"かくれキリシタン"やカトリック信者、仏教徒、神道信者などへと変わっていったわけです。

なぜ遺産名が変更になったのか

――「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は以前、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」という名前だったと思うのですが、別の遺産なのでしょうか。

確かに、以前は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」という名前でした。これは当初、世界遺産登録を目指していた時の遺産名です。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、長崎の魅力として広く知られている教会群を遺産価値の中心にしたもので、2013年の文化庁文化審議会で推薦候補に選ばれました。しかし、同じタイミングで内閣官房の有識者会議で推薦候補に選ばれた「明治日本の産業革命遺産」が最終的に推薦されたため、2014年に再挑戦し、見事、推薦遺産に選ばれました。

  • 内閣官房の推薦候補で初めて世界遺産になった「明治日本の産業革命遺産」の「端島」

    内閣官房の推薦候補で初めて世界遺産になった「明治日本の産業革命遺産」の「端島」

その後、2015年秋に諮問機関であるイコモスの現地調査があったのですが、2016年の1月に出された中間報告で、今のままでは世界遺産登録は難しいという指摘をされてしまいます。簡単に言うと、世界遺産としての価値はあると考えられるけれど、それぞれの教会などの資産が、全体的な価値に対してどのような意味をもつのかがよく分からない、ということでした。

これは、日本にキリスト教が伝わり、その信仰が禁教の下で200年以上も守り受け継がれてきたという遺産全体の価値が、禁教が解かれた後に建てられた教会群では証明できない、という指摘です。もっと宗教弾圧を耐え抜いた点に焦点を当てた方が良い、と。この指摘を受け、長崎県はイコモスからの勧告が出る前に推薦書を取り下げ、推薦内容を練り直すことにしました。

確かに、世界中に数多くあるキリスト教関連の世界遺産と差異化を図るためには、的確な指摘だったと思います。そこで、遺産価値の中心を"禁教と弾圧"に置き直す中で、遺産名も「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に変更されました。

――イコモスとアドバイザー契約を結んでいたと聞いたのですが、これはどういうことでしょうか。

アドバイザー契約というのは、世界遺産委員会とイコモスの新たな試みです。これまで、推薦国とイコモスの間で意見交換することができなかったために、「登録」以外の勧告が出た時に、推薦書にどのような問題があるのか、修正は世界遺産委員会までに間に合うのかなどよく分からないことが多く、それが世界遺産委員会でも問題になっていました。

そうした問題などを解決するために考え出されたのが、アドバイザー契約です。この契約を結ぶと、推薦書を作る時にイコモスからアドバイスがもらえるため、推薦書の不備や価値証明が不十分であるなどの問題は、基本的にはなくなると考えられています。

長崎県は2016年2月に推薦書を取り下げた際に、イコモスとアドバイザー契約を結びました。これは、2017年2月までの1年間で、推薦書を作り直して提出することを目指していたので、できるだけ少ない手直しで推薦書の内容を登録にふさわしいものに変える必要があったからです。そこで、イコモスとのアドバイザー契約という方法を選んだのですが、これは日本初のケースです。

勧告を出す機関と、推薦書作成のアドバイスをする機関が同じであることに批判的な意見もありますが、勧告を出すのとアドバイスをするのは別のチームが行いますので、アドバイスを受けたからといって無条件に「登録」勧告が出るわけではありません。また、イコモスは様々な組織に属する専門家が集まる集団ですので、勧告とアドバイスが同じ機関であることに大きな問題はないと思います。