――これだけ長く業界にいらっしゃって、80年代にフジテレビがイケイケだった頃も見てこられたと思うのですが、今、そのフジテレビに元気がないと言われることについて、どう感じていらっしゃいますか?

まぁ、なんて言うのかな。フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」って軽いノリでずっと来たんだけど、時代が少しずつ変わってきて軽いノリじゃ生きてられなくなっちゃった中で、ネット系が進んで、みんな個々で物事を楽しむようになっちゃった。それで若いやつのテレビの見方が変わっちゃった。

それは仕方がないことなんだけど、アメリカだって4大ネットワークはみんな生きてるじゃない? だから、テレビっていうのは、そんな簡単に落ち込むことはないだろうとは思ってるけど、あまりにも朝から晩まで不倫問題ばっかやってるんじゃないよって。それじゃあ、文春様様、新潮様様になっちゃう。そういうことを朝から晩までいろんな番組でやるようなテレビに、どうしてなっちゃったんだというのが、一番だね。たしかに、瞬間的に数字はとれるかもしれないけど、大きいものになんでも飛びつけっていうだけじゃダメなんだよ。

――それは、フジテレビに限らずですね。

でも、最近フジが変わりつつあるなと思ったのは、ドラマだね。何を言われようと月9を辞めずに続けて、『コード・ブルー』なんていうのは、漫画から取ってきたわけでもなくて完全なオリジナルでヒットしたわけだよ。だから、いつまでたってもラブロマンスやってるんじゃなくて、若いやつに向けて作ったって若いやつは見てないんだから、もうちょっと真剣に、テレビを見直す時期が来たんだよ。フジはきっと良くなると思うから、テレビがこれまでどういう風にやってきたのかということの原点を、もう1回見直すときが来てると思う。

――そこはまさに、石田さんが伝えていくということになりますよね。

もう、前にフジがダメだった時代を知ってるのは、宮内(正喜)社長と俺くらいしかいないんじゃないかな(笑)。制作部門を切り離した時は「振り向けば12チャンネル」なんて言われた時代もあったんだから。そこから制作プロダクションを統合して、編成局の中に戻して、日枝編成局長になって、大部屋になった。でも、今はお台場に引っ越してきて、フロアがセパレートになって、みんなパソコンに向かっちゃってるんだから、「こんな面白い企画があるからやるぞー!」って誰かが言って、みんながワーって盛り上がるみたいなことがないんだよ。

――それこそ、石橋さんが日枝さんに直訴しに行くシーンを、そこにいたみんなで盛り上がったわけですもんね。

フジテレビの宮内正喜社長

そうそう。そういう熱さっていうのが無くなっちゃった。社屋の物理上、セパレートになっちゃうのは仕方ないんだけど、どうやったらもう1回その熱さを取り戻せるのか。そういう意味で言うと、編成局に制作や映画事業や広報を統合した試みっていうのは、いいと思う。これを判断した宮内社長の目線は、そのとおりだと思うね。

――宮内社長とはほぼ同期ということですが、そういった意見交換などはされるんですか?

そんなことはしませんよ(笑)

――最後に、まだまだ現役の石田さんですが、将来の夢はなんでしょうか?

俺ね、テレビやりながら谷村新司とか加山雄三とかのコンサートの演出もしてたし、CDのプロデューサーもやったし、なんでもやってきた。とんねるずも、コンサートの演出したり、野猿のステージもバックアップして裏方演出したり、フジテレビのイベントもいろんなことをやってきた。こうして74歳になって、テレビだけじゃなくて、この業界の仕事のだいたいのことはやり尽くしちゃったんだよ。だから、テレ朝でやってる『やすらぎの郷』(※3)に入居して(笑)、また今アナログ盤のレコードの人気が戻ってきたし、本当は好きな音楽聴きながら、残された人生を過ごしたいんだけどね(笑)

(※3)…テレビ朝日で放送されている、テレビ業界人専門の老人ホームを舞台にしたドラマ。倉本聰脚本。


●石田 弘(いしだ・ひろし)
1943年生まれ、東京都出身。日本大学芸術学部在学中からアルバイトをしていたフジテレビジョンに67年入社。ドラマ『三匹の侍』のADからスタートし、『こんにちはふるさとさん』などのディレクターをした後、事業局でビデオ制作を担当。制作に戻り、『リブ・ヤング!』『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』『とんねるずのみなさんのおかげです』などを立ち上げ、現在は『とんねるずのみなさんのおかげでした』のほか、『ミュージックフェア』『FNS歌謡祭』のエグゼクティブプロデューサー。