――『みなさんのおかげです』は木曜9時でスタートするわけですが、裏にはTBSの人気番組『ザ・ベストテン』があった時代ですよね。

この番組を始めるにあたって、貴明が「お笑いとかじゃなくて、アイドルとか女優を相手にバラエティをやれたらすばらしい」ってガンガン言うわけ。で、「分かった」っていうんだけど、『ベストテン』とぶつかっちゃうから、TBSにあいさつに行ったんだよ。そこで、「『ベストテン』のチャートに入ってるうちは、その歌手をうちが触ることはない。入る前とか、落ちた後とかに出演させるんで、どうか理解してほしい」ってお願いしたら、「わざわざありがとうございます」って感謝されたんだけど、一発目のゲストを松田聖子にしちゃった(笑)

――いきなりだまし討ち(笑)

最初、所属事務所は「そんなことしたら、うちは『ベストテン』に出られなくなっちゃう」って反対したんだけど、当時発売された「旅立ちはフリージア」っていうシングルが、フジテレビが開局30周年で、オリエント急行を呼んできて日本全国走らせたときのイメージソングとして、作ってもらった曲だったんだよね。そしたら、松田聖子はすばらしくて、「だって、フジテレビのイベントで作った曲なんだから、フジテレビに出るのが当たり前じゃない」って言ってくれて、ギリギリで出演が決まったんだよ。第1回の放送で、オリエント急行のセットを作って、貴明と憲武がじじいとばばあになって乗ってたら、本物の聖子ちゃんも乗ってるっていうバカバカしいコントをやって、それから聖子は何度も何度も、事あるごとに出てくれるようになった。

――他にも、小泉今日子さん、荻野目洋子さん、宮沢りえさんなど、錚々たるアイドルが出演されてましたよね。そこはやはり、石田さんの持つ音楽業界との人脈が大きかったんですか?

まぁ、そういうところがベースにあったよね。

――そうして、レギュラー放送がスタートして、『―みなさんのおかげでした』にタイトルは変わりながらも、30年がたったわけですが、この長い歴史の中で、特に印象に残っている事件・エピソードはなんですか?

一番印象に残ったのは、(木梨)憲武が盲腸から復帰する時にやった生放送。あれから生放送はやってないかな? 普通に復帰するのは面白くないから、「木梨憲武さんを偲んで」ってタイトル付けて、さも死んだごとくやった時だね。後から憲武が「何やってんの?」ってトボトボ出てくるっていうオチ。「死んだ」とは1回も言ってないんだけど、みんな死んだと思って大パニック反響になっちゃって、電話もバンバン来るわで大騒ぎ(笑)。「悪ふざけもほどほどにしろ」って言われたんだけど、あれくらい怒られたことはないよ。

――今で言う炎上のハシリですね(笑)

これが一番面白かったね(笑)

みやぞん(左)宅にやってきたとんねるず=9月28日放送『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP』より (C)フジテレビ

――あらためて、とんねるずさんの魅力も含めて、番組が30年続いてきた理由というのは何でしょうか?

まぁ、なにしろ番組開始当初は、こんなにお笑いがブームじゃなくて、彼らは歌も歌うわ、久世光彦さんの『時間ですよ』(TBS)とか、倉本聰さんの『火の用心』(日テレ)とか、うちでもキャニオンレコードを舞台にした『ギョーカイ君が行く!』とかドラマも出るわ、あんなにジャンルが幅広いやつがいなかったんだよ。

――美空ひばりさんともお付き合いがあったんですよね。

俺が演出やってたとんねるずのコンサートでリハーサルの時に、わんこそば持ってひばりさんが来るんだよ。『ミュージックフェア』で知ってたから、「どうしてアンタここにいるの?」って言われたけど、ひばりさんが陣中見舞い来るなんて、普通ないからね。

要は、そのくらい型にはまらない活動をしてたってこと。お笑いとは言いながら、セーラーズとか着て、格好があんなにシャープなやつはいなかったでしょう。昔のお笑いの人は、どっちかというとダサいタイプだったけど、とんねるずは身長は高いわ、みてくれは良いわ、歌も歌ってコンサートもやるわ、ドラマも出るわで、エンターテイナーの要素を全部持ってるんだから、それは人気が出るに決まってんじゃない。

――まさに、才能という意味での"タレント"ですね。そういった受け皿も、先ほど名前が出てきた松田聖子さんや小泉今日子さんといったアイドルの出演が実現できた背景にあるんですね。

でも、港は特にひどいことやらせてたけどね。キョンキョンなんて、猿の格好してバナナの皮踏んでひっくり返って、水の中に落っこっちゃうんだよ。それを事務所の偉い人が見に来て、文句言われるだろうと思ったらさ、「本人が楽しんでるから、まぁいいや。石田ちゃん、よろしくね」って帰っちゃうんだもん。でも、コントって言うより、半分"悪ふざけ"だよな(笑)

――たしかに(笑)

コントなんて通り越しちゃってるんだよ。オチなんて関係ないんだもん。それがウケたんだろうね。こういうことが、30年ずっと続いてきたということなんだよね。「食わず嫌い」も長くやってるけど、あの中でいろいろ芸を考えてやってるでしょ?

――どんな設定の枠を与えられても、そこで"悪ふざけ"にしてしまうんですね。

貴明ってTBSで『イシバシ・レシピ』なんて番組やるくらい、食い物にめちゃ強いんだよね。だから、「食わず嫌い」を考えたのも、貴明なんだよ。

――そうなんですか!?

(フジテレビ旧社屋の)河田町時代によく行く寿司屋があってね、そこで「誰でも嫌いな食べ物ってあるよね。そういうのを1個入れといて、将棋みたいな感じで対決させるってできないかな」とか言い出したの。

――その将棋という発想から「和」テイストの演出になったんですね。

そうそう。

――30年がたって、今後も番組は続くわけですけれども、今後の展望はいかがですか?

太田一平(チーフプロデューサー)次第。俺はもう、全部任せちゃってるから。

――でも、その人脈を生かして、番組への貢献はまだまだ期待されているのでは?

頼まれごとがあればね。4年前にも「矢沢永吉に出てほしい」ってあんまり言うからさ。しょうがねぇから永ちゃんに頼んで「食わず嫌い」に出てもらったんだよな。それは、とんねるずが「YAZAWA」って曲まで歌うくらい大好きで、特に貴明は矢沢の『成りあがり』って本を読んで憧れて、「よーし俺もやってやろう」って昔言ってたんだから、まさに矢沢のバラエティ版が貴明なんだよね。突っ張り方とか全部含めて。