『スタンド・バイ・ミー』の少年たちのように

一見、いつ列車が警笛を鳴らしながらやってきてもおかしくないような光景だが、よく見ると、所々、枕木の腐食が進み、線路脇では猫がのんびり昼寝をしている。

一之宮緑道に残された線路

つい最近、線路上で写真を撮影してSNSにアップしたタレントが書類送検されたが、もちろん、ここではそんな心配もなく、昔見た映画『スタンド・バイ・ミー』の冒険に旅立つ少年たちのように、線路の上を堂々と歩くことができる。また、線路の東側一帯は「一之宮公園」として整備されており、桜が植えられているので、春先はとてもきれいだという。

一之宮公園の先も緑道は続き、やがて、西寒川支線ラストランの日に写真を撮影したという場所で、森さんが歩みを止める。現在、この付近は家と家に挟まれ道幅が狭く、本当にここを列車が通過していたのかと思うが、当時の写真を改めて見てみると、家の軒先すれすれを列車が通過していたのが分かる。

昭和59年3月31日の西寒川支線最終日(撮影: 森和彦氏)

上の写真とほぼ同アングルの現在の写真

ただし、掲載した写真のほか、他にも数枚の写真を見せていただきながら周囲の様子を比較してみると、当時は家もまばらで随分と長閑(のどか)な風景が広がっていたのだ。短いようで長い30年という時間の経過が意識され、自分の人生に重ねてみると、何とも感慨深い。少し先で緑道は県道と交差するが、県道沿いにかつての大山街道にまつわる史跡があるので、ちょっとだけ寄り道してみよう。

かつての大山街道のにぎわいの名残

県道を右手に数10mほど行くと「一之宮不動堂」がまつられており、その前には江戸時代の大山街道の道標が立っている。大山街道には複数の道があるが、江戸から東海道を歩き、藤沢の西端の四ツ谷(藤沢市城南)から一之宮(寒川)に進み、「田村の渡し」で相模川を渡り、大山に通じるこの道は、最も通行量が多く行き交う旅人たちでにぎわったという。大山の阿夫利(あふり)神社参拝の帰りに、当時から名勝地であった江ノ島や鎌倉に立ち寄るのが人気で、それらの人々はこの道を使ったのだ。

かつての大山街道の名残「一之宮不動堂」

森さんによれば、こうした街道の道標は地元の人が奉納するのが通常だが、この不動堂の前の道標は江戸の人々が奉納しているのが興味深いという。観光ルートとしての大山街道が、いかに人気が高かったかの証左と言えよう。なお、この場所から相模川を挟んだ対岸には、「田村の渡場跡」の石碑が立っている。

西寒川駅跡地へ

さて、緑道に戻ると間もなく、「八角広場」と名付けられた八角形の噴水を中心とする広場に出るが、ここがかつての西寒川駅の跡地で、短い距離ではあるがレールも残されている。昭和35年に撮影された西寒川駅の写真を見ると、停車中の気動車の背後にそびえる鉄塔の位置から、ホームや改札がどの辺りにあったのか、場所をほぼ特定できる。また、昭和59年に撮影された改札口の写真を見ると、列車の向こうに建つ家々の屋根の形や電柱の位置は、今もほぼ変わっていないようだ。

この付近の住宅の多くは、西寒川支線廃止の一年前の昭和58(1983)年頃に造成されたという。住民の方に話をうかがうと、昭和58年に転居してきたが、列車は一日4往復しかなく使い勝手が悪かったので、ほとんど利用しなかったそうだ。旅客運転はしていたものの、おそらく廃止直前は利用客もまばらだったのではないか。

昭和35年西寒川駅。列車の背後に見える鉄塔の位置は今も変わらない(撮影: 高澤一昭氏)

なお、西寒川駅の先は、戦時中は「相模海軍工廠(こうしょう)」の敷地で、毒ガスや防毒マスクなどがつくられていたという。2002年に付近の道路工事現場でビール瓶に入った毒ガスが数本発見され、ニュースになったこともあった。

寒川神社参拝とご当地グルメ「棒コロ」

八角広場のすぐ脇からは、寒川駅行きと茅ヶ崎駅行きのバスが出ているので、このままバスで帰ることもできる。もし散歩として物足りなければ、緑道を先ほどの「ゲート広場」まで引き返し、広場からほど近い相模線の「大門踏切」の向こうの寒川神社の一の鳥居から、1kmほど参道を歩いて寒川神社へ向かおう。

昭和59年西寒川駅改札。列車の向こうに見える家は現在も変わらない資料提供: 寒川文書館)

寒川神社の参拝を終えたら、500mほどの所に相模線の宮山駅という無人駅があるので、ここから帰途につくのがオススメコースだ。なお、寒川には「さむかわ棒コロ」というご当地グルメがある。長細いコロッケで、町内の複数の飲食店で提供しており、店によって使用する具材が異なる。持ち帰り可の店もあるので、食べ歩きを楽しむのもいいだろう。

さむかわ棒コロ(とんかつ水龍、税込280円)

さて、神奈川県寒川町の"廃線"の旅、いかがだっただろうか。首都圏にも多くの鉄道路線跡があるが、多くは廃線後は道路や住宅地となり、鉄道の痕跡をたどるのが難しい中で、線路まで当時のまま残っている例などは珍しいのではないか。

寒川町観光協会によれば、今のところそれほど積極的にPRしているわけではないというが、鉄道ファンならずとも十分楽しむことができる散歩道であり、観光資源として十分な価値があると思う。最後に、相模線の歴史については『JR相模線物語』(サトウ マコト著)を参考にさせていただいた。この場を借りて感謝申し上げたい。

筆者プロフィール: 森川 孝郎(もりかわ たかお)

旅行コラムニスト、オールアバウト公式国内旅行ガイド。京都・奈良・鎌倉など歴史ある街を中心に取材・撮影を行い、「楽しいだけではなく上質な旅の情報」をメディアにて発信。観光庁が中心となって行っている外国人旅行者の訪日促進活動「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の公式サイトにも寄稿している。鎌倉の観光情報は、自身で運営する「鎌倉紀行」で更新。