前の世代のアニメキャラクターのテロリストって、政治家へのメッセージも持っていたし、さらに遡れば、黙示録的な人間だった。自分の命を代償に世界の終末を実現しようとしたんです。そういう大仰な何物も必要としていないんですよ。一人でいれば他人を不快にするだけ、ヘリに乗ればビルをふっとばす。それに見合ったかたちで他人に迷惑をかける。それは彼女の快感原則だから。だから、(過去の灰原は)いつも楽しそうにしてたんじゃないかと。その割には誰も覚えていないというさ。

灰原というキャラクターを描くことが、この映画の芯にあることは間違いない。そうすると、なぜ今ここでこれをやっているのかわからないという、周りを難解な部分で包囲するやり方しかありえない。だって本人は話さないし、周りの人間はわからない、それどころか覚えていないと言っているんだから。(ポスターのコピー)「おまえは誰だ」と言われても誰にも分からない。それがたぶん、今の時代の悪役というか、社会の敵のありよう。

――それに対して後藤田は正義や守るものを考えたりしますが、明は「ムカつくからぶっ飛ばす」くらいの行動原理で動きます。

「あいつには絶対負けたくない」とね。言ってしまえば、明と灰原はネガとポジで同じ種類の人間だということ。だから同じようにボールをついているし、でかい機械を操縦しているし。違うところがあるとすれば、明は警察官だということ。

――その対比がより明確になりました。

キャラクターって単独では成立しなくて、他と対になっているから。それは主人公とヒロインという関係じゃなくて、同じ種類の人間ということです。だから、高畑としのぶさんだったり、明と灰原だったり。意外な組み合わせなんだよね。

――その関係に挟まれて翻弄される人がいる、という構造ですね。

今回は真ん中に男がいるということ。隊長だったり佑馬だったり。三角関係って基本的にそういうものだから。恋愛だけが三角関係じゃなくて、非相似形な戦いにも三角関係があるんですよ。非相似の敵対関係じゃなく、間にワンクッションある。でも普通は真ん中にいる人間は見えない。それは読者のこと。二人だけは論争は成立しなくて、論争を聞いている人間がいるから成立する。第三の人物が必ず必要んなんだよね。要するに人間関係というのは三角形でないと動けないんだというのが私の理屈なんですけど。今回は大きい三角形と小さい三角形がある。オヤジの三角系と子供の三角系。

普通、第三の人物って画面に出さないし、出さなくてもできる。だから画面に三人いたら、客観的な映画だと思って間違いない。情緒だけで作っていない、ロジックがあるという証拠なんだよね。普通は映画って情緒で売るから、第三の人物は登場しない。でも、それは僕が監督だからそう理屈で考えるのであって、普通はお客さんは気がつかなくていいし、気がつかないように作る。

ただ、僕の映画が好きだというお客さんは基本的にしつこいから、そのへんは必ず追求してくるし、考えるから、ちょっとサービスでヒントを残しているんです。それも言ってみればエンターテインメント。推理小説と同じ。推理小説はサービスなしにありえないから。その上で、映画の場合は人間性のバックボーンなしには成立しないから、いろんなことをやるしかない。


ディレクターズカット版では、シリアスなばかりでなく『THE NEXT GENERATION パトレイバー』のシリーズ編で見せた隊員たちの"楽しい"日常描写も織り込まれている。バカバカしいシーンも、1年のシリーズを経た背景があればこそキャラクターの奥行きが垣間見える要素となる。塩だけじゃない隠し味が仕込まれているのか、牛乳が出るタイミングが絶妙なのか。我々がその意図に近づくには、黙々と食べ尽くし探るしかない。

■プロフィール
押井守
1951年生まれ。東京都出身。大学在学中、自主映画を制作。1977年、タツノコプロダクションに入社。テレビアニメ『一発貫太くん』でアニメ演出家としてのスタートを切る。1980年、スタジオぴえろに移籍し、鳥海永行氏に師事。1984年、スタジオぴえろ退社。以降、フリーに。代表作は『うる星やつら』シリーズ、『機動警察パトレイバー』シリーズ、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)、『イノセンス』(2004年)、『スカイ・クロラ The Sky Clawlers』(2008年)など。

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