大阪といえば、ディープで人情味のある雰囲気を想像する人も多いのではないだろうか。実際に大阪には、昭和のディープな空気を色濃く残す喫茶店が今でも無数にひしめいている。多彩な顔ぶれがそろう大阪の喫茶店から、今回は3店を紹介しよう。

大阪の喫茶店は個性派ディープだ(写真は「マヅラ」店内)

南洋のお嬢さんへの想いをリアルに

"ディープ"にもいろいろあるが、最初に紹介する「マヅラ」はまごうことなき"大阪ディープ"の香りが漂う店だ。同店があるのは、大阪駅前第1ビルの地下。大阪駅・梅田駅から歩いて5分程度、いわゆる"キタ"に位置している。ビジネスマンが多く行き交う一帯とあって、出勤前や外出中に休息するビジネスマンの姿を多く見かける。

「マヅラ」の入り口は2カ所あり、どちらの入り口でもなぜか"ジョニー・ウォーカー"の像が迎えてくれる

この店の内装は少々異色で、60~70年代のSF映画のようなレトロな宇宙船をモチーフとしている。独特だがギラギラチカチカしているわけではなく、意外なほどに落ち着く雰囲気だ。

同店の創業は、戦後すぐの1946(昭和21)年。同ビルの地下に入ったのは大阪万博の頃だという。御年95歳を迎える代表取締役の劉盛森さんによれば、レトロ宇宙船風の内装は万博の影響を受けてできあがったものだそうだ。客が"宇宙"でくつろげるように店舗は100坪と広く、椅子も大きめとなっている。

内装以上に謎めいているのが、その店名。劉さんに伺うと、「マヅラ」とはインドネシアの島の名前なのだそうだ。戦前、劉さんが旅したインドネシアの島の名がマドゥラ島だったという。

その島で、劉さんはひとりの美しいお嬢さんと出会った。恋に落ちたのか……など野暮なことは聞かなかったが、ともかく劉さんが島を去るとき「もしも将来自分がお店をつくったら、この島の名前をつけるよ」とそのお嬢さんに約束したのだそうだ。

「マヅラ」のオーナーは、御年95歳の劉盛森さん。大声でしゃべり、そして快活に笑う。そのエナジーも大阪商人だ

戦前に南洋の島で沸き上がった劉さんの想いが、戦後、遠く日本は大阪の地で、おそらく当時のインドネシアとは似ても似つかぬディープなコーヒー文化につながったのだ。

取材した日は暑く、のどが渇いていたので、まずは大阪の隠れた名物「ミックスジュース」(330円)をオーダー。そのあとにいただいたのが、試行錯誤の末1960(昭和35)年に編み出したというこだわりの自家焙煎ブレンドコーヒーだ。いまも変わらぬ味、かつここ20年ほどは250円という安価で提供し続けているという。

台湾出身の劉さんだが戦前から大阪に住んでおり、今では心の底から大阪商人だ。95歳にして声もスマイルも元気闊達な劉さんそのままの、愛すべき店がそこにあった。

大阪の隠れた名物「ミックスジュース」(330円)。このあと劉さん自慢のブレンドもいただいた

●information
マヅラ
大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル B1F

大正モダンの正統派

次は、"キタ"から南に下がった"船場"エリアの店を紹介。大阪のど真ん中を貫く御堂筋から瓦町通を東へ入ったところにある「平岡珈琲店」は、「大正時代の大阪は、いったいどんな街だったのだろう……」という夢想を自然と盛り上げてくれる店だ。

同店が位置するのは、地下鉄御堂筋線本町駅から歩いて3分ほどのまさに大阪の中心。谷崎潤一郎の『細雪』を思い出すが、現在の船場はいわゆるビル街となり、谷崎の頃とは違った顔をしている。

平岡珈琲店は、その谷崎がまだ30代半ばの1921(大正10)年に創業された老舗中の老舗である。関西に現存する最古の喫茶店ともいわれる店だ。本稿のテーマは"昭和ディープ"だが、同店はさらに一歩上をゆく"大正モダン"である。

珈琲店と、のれん。この組み合わせが、逆に大正モダンの心意気を感じさせる。のれんにはシンプルに「珈琲 平岡珈琲店」と書かれている

「珈琲」と大書されたのれんをくぐり、こぢんまりした店内に入る。5人ほど座れるカウンターがあり、テーブル席が4つ。カウンターの中には物静かなマスターの小川清さんが立っている。店内の落ち着いた空気は、小川さんが身にまとっている大人の雰囲気そのものだ。

同店は"喫茶店"ではなく、"珈琲店"である。どうして日本人が喫"茶"店という言葉を聞いてコーヒーを出す店をイメージするようになったのかは浅学にしてわからないが、やはり喫茶店ではなく珈琲店と呼びたい店はあり、平岡珈琲店はまさしくそういう店だ。

「平岡珈琲店」内観。左の壁は貸しギャラリースペース。正面には昭和10年頃の古時計が掛けられ、味な時間を刻み続ける

この珈琲店に、創業当初から愛され続けるかわいらしいメニューがある。「手作りドーナツ」(150円)だ。小川さんは、注文のコーヒーをいれるとき以外はずっと、カウンター奥でドーナツを揚げている。揚がったばかりのドーナツは食欲をそそる油の香りを漂わせ、食べればパリっとした食感で、甘さ抑えめの純朴な味わい。大正の創業時から味も作り方も変えていないという。グアテマラをベースとした自家焙煎のコーヒー「平岡ブレンド」(380円)にも、当然ながらよく合う。

大正の創業期から変わらない人気の「手作りドーナツ」は150円。テイクアウトも可能だ

グアテマラのウエウエテナンゴをベースに、コロンビアとジャバをブレンドした「平岡ブレンド」(380円)。深みと飲みやすさが共存した味わい

うるさいこだわりではなく、ゆるやかなこだわりだからこそ心地よい。その心地よさの背後に100年近く変わらぬ大正モダンの香気が漂っているなんて、実に最高じゃないか。

●information
平岡珈琲店
大阪市中央区瓦町3-6-11

駅馬車の幌を抜けて

キタ、船場ときたら、"ミナミ"も忘れてはいけない。"船場"エリアからさらに南下すると、市営地下鉄のなんば駅がある。同駅に直結する地下街・NAMBAなんなん(いわゆるなんなんタウン)の一角にある店が、喫茶店「馬やど」だ。御堂筋線・千日前線なんば駅だけでなく、南海電鉄の難波駅からも歩いて数分。まさにハート・オブ・難波という立地である。

NAMBAなんなんの地下街に店を構える「馬やど」。「馬やどの珈琲は私のエネルギー」という看板の文字もなんだか頼もしい

地下街の喫茶店というと、さほど個性的な内装などないように思われるかもしれない。しかし"レトロ宇宙船"のマヅラの例でもわかるように、さすがに大阪の喫茶店は一味違う。入店して早々、まさか目の前に駅馬車の幌がドーンと姿を現すなど誰も予想がつかないだろうが、実際に現れるのである。

「馬やど」に入ると、店のど真ん中に、アメリカ西部を彷彿とさせる大きな幌ふうのゲートが。思い切ったインテリアのチョイスに思わず頬が緩んでくる。幌を取り囲む店内の壁は、中央ヨーロッパの木組み小屋風……というのだから、まさにミクスチュアな大阪ディープの本領発揮である。

店に入るとまず目に入る駅馬車の幌。入り口(写真向こう側)から幌を見ると、どうしたってくぐりたくなる

ロゴの「馬」は縁起のよい"左馬"。創業は1957(昭和32)年で、前出の2店と比べれば古くはないが、50年以上の堂々たる歴史を誇る。件の幌は「オーナーの趣味です」と、勤続43年で1974(昭和49)年から店長役を務める刀祢康治さん。以前は馬に関わる骨董品も飾られていたという。

壁は、「ドイツ風かアルザス風かあるいはスイス風かの木組み小屋のイメージ」とのこと。76席と店内は広い

客層は、その立地からか地元の常連客が圧倒的に多い。刀祢さんいわく「昔からずっといらしているご年配や、近所の銀行などで働く背広のビジネスマン、場所柄(電器街として知られる日本橋が近いので)電器店の店員、それから、ショッピングにきた主婦、学生など若い方も多いですね。私を含め店員はざっくばらんに話ができますし、お客さんとしても雰囲気がラクなのかもしれませんね」。

今回は、カレースパゲティとコーヒーのセット(980円)をお願いした。カレーはスパイシーで少し辛め、麺にはイタリアNo.1のバリラ社製のものを使用しているという。シンプルで落ち着ける味わいのブレンドコーヒーは、単品では470円となる。

メニューや接客へのこだわりを聞くと、「こだわりなどはとくにありません」とそれこそざっくばらんに話してくれた刀祢さん。その気楽さを求めてか、ひとりまた1人と、今日も馬車の幌をくぐる。

カレースパゲティは、コーヒーとセットで980円

●information
馬やど
大阪市中央区難波5 NAMBAなんなん

レトロでディープな香りを漂わせる喫茶店には、ともすると入りにくい雰囲気を感じる人もいるかもしれない。しかし、ぜひ気軽に足を踏み入れてほしい。一歩入ればそこには、その店にしかない魅力的な空気が満ち満ちているはずだ。

※価格は全て税込。記事中の情報・価格は2015年6月時点のもの

著者プロフィール:唐津雅人(からつ まさと)

東京都出身。毎日新聞を経て、1998年よりフリーランスライター。旅、世界遺産を中心に、環境、ビジネス、IT関連などの書籍・記事を手がける。著書に「羽田 vs. 成田」「国境とはなんだ」(マイナビ新書)など。「旅」はライフワーク。