――実際、相当変わっていると思います(笑)

矢口監督「最近あらためて読んでみたらかなり違っていましたね(笑)。スローライフ研究会なんて原作には微塵も出てこないですから。でも、映像表現として最高のものに仕上げてくれるのなら、原作の細かいところをなぞってくれなんて言わない方だったので、すごくありがたかったです。子作りするには最高の相手でした(笑)。原作モノを手掛けるのは初めてだったのですが、三浦さんじゃなければ、こんなにスムーズには進まなかったかもしれません」

――先ほど「林業」と「祭り」というキーワードが出てきましたが、この映画を作る以前、「林業」についてはどのようなイメージがありましたか?

矢口監督「ビックリするくらい何もなかったです。『林業』という言葉はもちろん知っていましたが、そこから何かを具体的にイメージしたことはなかったですね。知らないとか以前に失礼な話ですけど」

――だからこそ映像化に対するモチベーションが上がったのかもしれませんね

矢口監督「まったく勇気君と同じ気分でした。こんなに遠いのか、こんなに山深いのか、すごい駅だ、すごい森だ、虫に刺された、死ぬ! みたいに、自分が体験したことがそのまま主人公の勇気君に反映されています。俺だったら絶対に言わないな、みたいなことはなく、これ全部俺、みたいな感じで素直に書けたんじゃないかと思います」

――ちなみに、脚本を書くにあたって、主人公の名前を変えるということは考えなかったのでしょうか?

矢口監督「それはないです。やはり三浦しをんさんのところの子どもであって、親権は彼女にあるので(笑)」

――長い取材や撮影を通して、林業の現場は監督の目にはどのように映りましたか?

矢口監督「自分にはムリだなって最初に思ったんですけど、撮影が終わって帰るときもそう思いました。ただ、ああいった暮らしは、それはそれでありだなと。携帯の電波が本当に入らない地域があちこちあったんですよ。それで最初はヤバイと思っていたんですけど、ずっといると非常に心地よくなってきた。誰からも連絡が来ない。こちらからしなければならない連絡もできない。逆にそれを売りにした観光地があってもいいんじゃないかと思いました。電波がなくて、仕事ができないのが売りの観光地(笑)」

――ほんの数年前まではそれが普通だったんですけどね

矢口監督「そうなんですよ。ちょっと前までは携帯なんてなかったのに、それをまったく思い出せないぐらい便利な世の中になっている。そういう意味では少しタイムスリップした気分を味わえる場所ではないかと思います」

――それ以外に印象に残ったものはありますか?

矢口監督「鹿ですね。鹿が人より多い。そして普通に車にはねられている。お隣が奈良県なんですけど、奈良公園なんて鹿がマスコットになっていたりするじゃないですか。だから、鹿は可愛くて、みんなに愛されているだろうと思っていたんですけど、山の人はみんな鹿が大嫌い。山を荒らして、植えた木をダメにしちゃうので。鹿さえいなければって林業をやめていく方もいらっしゃるくらいで。それに加えて鹿料理もあったりするので、鹿がすごく印象に残って、原作にない部分のエピソードも入れていきました。ヨキというキャラクターの味付けに一役買ってもらったところもありますね」

――ヨキは原作でも中心的に描かれているキャラクターですが、監督自身のヨキ像について教えてください

矢口監督「まず金髪ではないだろうと。辺鄙な村に都会のチャラっとした異物が放り込まれることで生まれる違和感が見どころになるのに、金髪のヨキがいるとちょっとバランスがおかしくなる。なので、現地の人はほぼ黒髪で、勇気君だけ茶髪。ヨキは完全に土着の、野生の山猿みたいな感じで、口より先に手が出る、勇気君を痛めつける、村における最悪の恐怖という描き方をしたかった。なので、"天才"であるという描き方は抑え目にしています。天才だったら勇気君が憧れちゃいますから。そうではなく、あいつさえいなければって思わせるような恐怖の対象にしたかった」

――原作よりもその部分は強いですよね

矢口監督「ただでさえ長居したくない村なのに、一番最悪なのはあいつだって思わせるぐらい強烈なキャラクターが、なぜか映画の最後には、離れがたいと思えるくらい最高に仲の良い仲間になっている。それくらいの変化を描けたら、お客さんも勇気と一緒に、もう離れたくないと思えるくらいに愛せる村を描けると思ったので、ヨキのキャラクターをかなり強烈にしました」