挑発的な初手

コンピュータソフトの指し手を着手するのは、もうおなじみとなったロボットアームの「電王手くん」。開発したのは株式会社デンソーで、同社の産業用小型ロボットのシリーズで垂直多関節ロボットの「VS-060」をベースに作られているという。産業用ロボットの分野は、日本が世界に誇る技術だ。伝統文化である将棋との組み合わせは一見異質だが、どちらも日本人独特の精神が生かされているという点で共通している。このアイデアは、さすがドワンゴである。

電王手くんが着手する際は、強い光が放たれる

その「電王手くん」が初手を指す動きを始めると、控室はざわめいた。
将棋の初手は、普通は飛車や角の大駒を働かせる意味で▲2六歩か▲7六歩と相場が決まっている。だが、電王手くんが動かしたのは一番右端の歩。初手▲1六歩だった。

図1(初手▲1六歩まで)

ロボットがいきなり誤動作を起こしたのか? とも心配されたが、やねうら王の指定した着手で間違いないという。▲1六歩は悪手というわけではないが、人間でいえば挑発的な指し手である。第2回将棋電王戦では、直前に奇抜な手を仕込むことも可能だったが、今回のルールでは不可能だ。つまりやねうら王は、この大一番に自力で奇抜な手を偶然に選んだことになる。

磯崎氏は、やねうら王の初手を見てこの表情

佐藤六段も思わず天を仰いだ

挑発に乗らず定跡に戻る

やねうら王が意識しているかどうかはともかくとして、挑発的な初手からしばらくは緊張感のある展開が続く。佐藤六段が挑発に乗れば、いきなり大乱戦になる恐れもあったからだろう。

しかし、佐藤六段は自重して、慎重に駒組みを進めた。これは乱戦を恐れて消極的になったわけではなく、相手の誘いに乗らずに駒組みを進めたほうが有利な展開にしやすいと判断した結果だろう。事実局面は、人間側にとって満足な展開に進みだした。それが次の局面である。

図2(15手目▲6八飛まで)

図2は、やねうら王が▲6八飛と飛車を回ったところ。「四間飛車」と呼ばれ、将棋では歴史のある定跡の作戦。立ち上がりの数手は挑発的な指し手だったが、佐藤六段の慎重な対応で定跡形に戻したと言えるだろう。ただし、この戦型は現在のプロ間ではあまり指されていない。その理由の説明は、もう少し局面を進めてからにしよう。

プロとして負けられない戦型

定跡形に戻ってから局面は進み、迎えたのが次の局面だ。

図3(37手▲4七金まで)

後手の玉形は「居飛車穴熊」と呼ばれる囲いだ。玉を自陣の一番隅に深く囲って、周囲を金銀で固めている。将棋をよく知らない人でも、印象的に後手の玉のほうが安全に見えることだろう。

もちろん、これだけで後手有利と断言できるほど将棋は簡単ではない。プロで「居飛車穴熊」が指されるようになったのは、もう何十年も前のことで、以来本局のような戦いは何百局も指されてきたのだ。しかし、その戦いの歴史の結果として「四間飛車対居飛車穴熊の戦いは、四間飛車側が勝ちにくい」という認識が生まれたのも事実である。

あまたのプロ棋士が何十年もの歳月をかけて育て上げた「居飛車穴熊」という至高の作戦。これで負ければプロの歴史がコンピュータによって否定されることにもなりかねない。プロ側にとって負けてはいけない戦型になったのである。

佐藤六段は昼食に末広膳を選んだ

昼食休憩中の佐藤六段。凄い表情だが、普段の対局でもこの感じ

対局場は普段土俵が設置される場所。頭上には重さ6トンを超える吊り屋根がある

ちゃんこやの昼のランチで食べた深川めし。両国周辺は美味しくて安いランチがたくさんあります