1997年にはロックの殿堂入りを果たしたビージーズ。2001年にはラスト・アルバムとなった『ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン』をリリースした。2003年のモーリス他界後、幾度も再結成が計画されたが実現には至らなかった。写真はロビン・ギブ (C)BANG Media International

ビージーズのロビン・ギブが5月20日、イギリスにて死去した。享年62歳だった。

ロビンは、癌との闘病の末に息を引き取り、妻ドワイナ、兄バリー、37歳の娘メリッサ、2人の息子、39歳のスペンサーと29歳のロビン・ジョンら家族はここ数週間、ロンドンの病院にずっと付き添っていた。

遺族は「ビージーズのロビン・ギブの遺族はここに、ロビンが長い闘病と腸手術の末、亡くなったことを深い悲しみとともにお知らせします。この不幸に際して、遺族のプライバシーを尊重していただくよう、ご配慮をお願い申し上げます」と声明を発表している。

ロビンは昨年、別の症状で腸の手術をした際、腫瘍が見つかり結腸と肝臓の癌と診断された。最近になって一時的に改善したと思われたが、昨月肺炎と診断され、次第に症状は悪化していったという。

今年2月にロビンは、自分がいかに素晴らしい気分で、癌との闘病で目覚ましい回復を見せているかを語っていた。さらに、ロンドン・パラディアムで開催され、負傷したイギリス軍兵士を支援するチャリティコンサートでは、ソルジャーズと共にステージに登場し、同バンドの「愛はきらめきの中に」と「獄中の手紙」の2曲を披露して、観客のスタンディングオベーションを受けていたほどだった。

ビージーズは、そのキャリアで2億2,000万以上のアルバムセールスを記録したが、そのキャリアには多くの悲しむべきこともあった。30歳の若さで弟のアンディを心不全で亡くし、さらに腸管のよじれによる合併症でモーリスを突然亡くし、2003年に同バンドは解散している。

ロビンはその兄弟2人の死から立ち直ることができなかったようで「モーリスの死からどうやって立ち直ることができるっていうんだい? そんなのできないよ。これからもないだろうね。死を受け止められないんだ」と生前に語っていた。

ビージーズに何度も会いインタビューをした「BANGショービズ」の代表リック・スカイは、哀悼の意を表し「ロビンの死は大変痛ましいことです。私たちは、立派な人間、そして過去50年で最もすばらしい作曲家の一人を亡くしてしまいました。ロビンとその兄弟は、魅惑的なラブソングとダンスソングの数々をこれまでに残してきました。慰めとなるのは、それらの歌がポップのクラシックになり、人々が音楽のハートを失わない限り永遠に続いていくことでしょう」哀悼の意を表している。

(BANG Media International)

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