メサジェの作品の重要な要素には、写真をはじめとするさまざまな表現手段を掛け合わせたメディアミックスの手法がある。例えば、ギリシア神話に登場する口から火を吹く怪物キマイラ(キメラ)を描き出した『キマイラ』は、アルフレッド・ヒッチコック監督の撮影手法であるクローズアップを用い、人の身体のパーツ写真をコラージュし、これにペインティングしている。メサジェの創り出したキマイラは、蝙蝠のような姿で、ホラー映画のワンシーンのように叫んでいるような口元が恐怖を感じさせるものの、目を乳房に置き換え、ブタのように広がった鼻の穴が加わると、どこかユーモラスな姿に見えてくる。

同様に写真を活用した『私のトロフィー』は人の身体のパーツ写真を大きく引き延ばし、この写真に絵を描き込み、パーツの上で物語が展開している。例えば、目の写真には鼻にかかるように蛇か龍の胴体のようなものが3つのアーチを作っており、その横には蛙、綱引きをする子どもたちが描かれている。掌の写真には指紋のような絵が描かれているが、そこには古城が描かれ、麓には雪におおわれた村が描かれている。もう一方には指の間から草が生え出ていて、動物たちの姿が見える。いずれもここからなにか物語が立ち上がりそうな気配を漂わせている。また、『私の願い』は無数の人の身体のパーツ写真を全体で円形になるように紐で吊り下げたものだ。

メサジェの人体への興味は違った形でも展開されている。2006年に制作された『ふくらんだりしぼんだり』は、脳や胃などの内臓、足や腕などの外部を模した身体のパーツを大きなオブジェとしてかたどり、これを空気圧で膨らませたり、萎ませたりしている。実にさまざまなパーツが膨らんだり萎んだりする様はユーモラスで、思わず笑いがこぼれてしまうが、しばらく見ていると、バラバラだが不思議とひとつの人体のように見えてくる。人の「生」を感じさせる作品だ。

『キマイラ』1982-1984 ここに描かれたキマイラはどちらかと言えば、怪物というよりは幻獣といった方が近いかもしれない

『私のトロフィー』 1968-1988 物語の世界を描き込まれた顔はこれから語られる物語の語り部のものなのだろうか? 掌からはまだ誰も知り得ない物語世界がこぼれ落ちてきているようだ

『私の願い』1989年 人の目や鼻などの顔のパーツのクローズアップは言うに及ばず、男女の陰部に至るまで、身体の隅々のパーツを納めた無数の写真を、まるで絵馬を飾るように(教会でも同じようなものがあるそうだ)吊り下げられている

『ふくらんだりしぼんだり』2006 子どもが思わずプレイルームと勘違いして飛び込みそうになっていた。たしかにどのパーツもどこか愛らしい。これこそグロカワの極致かもしれない

『掌の線』1988-1990 「掌の線」など一部の作品の展示作業の様子を会場の最後に用意されたシアターで見る事ができる。サンダル履きのメサジェが陣頭指揮を執って、時には自ら壁に文字を描き、会場で作品が創り出されていく