――星新一さんといえば、日本のSF作家の第1世代のお一人で、現在その作品を映像化した番組もNHKで放送されていますが、星作品との出会いについてうかがえますか?

「子どものころ、まだ星新一という名前も知らずに、歯医者さんの待合室でショートショートを読んだんですね。雑誌の名前も憶えてないけれども、行くたびに星さんの作品を。順番待ってる間に読み切れちゃう長さなんですよね」

――そのときのご感想は?

「なんておもしろいんだろう、なんていい文章なんだろうと思ったんですよね。ホントに簡潔なんだけれども、すごく心に残って」

――その後は、ご自分でお買い求めになるわけですね。

「ある日、書店で『妄想銀行』という短編集を見つけて、『これか』と。それ以降、買い集めたというか」

――そして、星さんの作品を手始めに、ほかのSF作品も読まれるようになったと。

「まず、星さんの作品を知って、そしてそこからの流れで小松左京さんや筒井康隆さんを知って、さらにいわゆる本格的なSFを読み進め、SFマニアになり……」

――そういった中で、いわば星さんを卒業するようになる……。

「星さんが不幸だったのは、多くのファンが星新一作品から入ったがゆえに、ある日『オレたちには、もう星新一なんかいらないんだ』と。分かりやすすぎるがために、子どもでも分かったような気になっちゃう」

――そうですね。

「大学時代に、別な大学に進んだ親友がSF研に入ったんだけれども、『あそこは、ダメだ』って言うんですよ。なんでかって聞いたら、『みんな、まだ、星新一を読んでる』」

――なるほど。

「ところが大人になってから、あらためて読んでみると愕然とする。『こんな苦い大人の小説だったのか』ということが分かる。『実はラストのオチの果てに、長編小説1冊分ぐらいの余韻があるんだな』ということに気がつくわけですよ」

――はい。

「基本であって、またそこに戻ってくる。そういう人のような気がしますね」

――星作品の特長は、どこにあるんでしょう?

「誰でも星さんみたいに書けるかというと、星さんの作品でショートショートブームみたいなのが起こって、ほとんどのSF作家の方々、それからミステリ作家の方々、さらには純文学の方もショートショート書かれたんだけども、結局残ったのは星さんだけだったと」

――ええ。

「それは何かというと、徹底して人間というものを客観視できる。そういうことだと思うんですよね」

――そこが、星作品のすごいところなんでしょうね。

「ところが、じゃ、自分が似たようなものを書きたいかというと、僕は星さんよりはある程度、通俗というか、あそこまで突き放すのではなく、もうちょっと人間のドタバタのほうにいっちゃうんだろうなと、今書いてて思いますね」

――それはやはり、ある種のバリの部分……。

「そうですね。多分、星さんはそのバリを削って削って、というふうにしたんでしょうね。文章にしても何にしても」

――ところで、昭和40年代に書かれた星さんのエッセーを読みますと、当時のSF第1世代の方々の交流がとても楽しく描かれていて、すごくうらやましく思えるんですが……。

「楽屋話というか。勃興期だったからこそ、あまりまだSFというものに市民権が与えられていなかったからこそ、同好の士の方たちで盛り上がったんだろうなと。僕ね、何でもそうなんですけど、草創期のころの話って大好きなんですよ」

――後のオタク界のノリって、そのころの日本のSF界のそれに近いものがあったんじゃないでしょうか?

「そういう意味では、オタクムーブメントであるとか、草創期に立ち会えたっていうのはね、僕にとっては一生の中でも幸せなことだったなあと思いますね」