――まず、平山亨さんと知り合われたキッカケから、うかがえますか?

「伯父の小野栄一が『そっくりショー』の司会などをしていたタレントなんですけれども、芸能プロダクションもやっていて、それを手伝ってまして……」

――はい。

「その伯父から、渋谷のバーで潮健児さんと一緒になったという話を聞いて、ちょうどショーの仕事があったので、ぜひ潮さんに出ていただきたいと。そのとき、潮さんが入院してらっしゃるというので、お見舞いがてらお願いに行ったんですよ」

――潮健児さんといえば、『悪魔くん』の2代目メフィストや『仮面ライダー』の地獄大使などを演じられた東映の俳優さんですね。

「行ってみると、ちょうどそこにお見舞いに来ていらしたのが、平山亨さんですよ。もう、2大神様に出会って『わぁー』と(笑)」

――すごい方々がそろいましたね(笑)。

「これは今だから言えることなんですが、そういったご縁もあって、晩年の潮さんにうちの事務所の顧問という形で顧問料をお支払いしたり……」

――『星を喰った男』という本の出版にご協力なさったりも……。

「それを当時、平山さんが唯一知ってくださっていて、『ありがとうな、潮ちゃんの最期看取ってくれてな』とおっしゃっていただいて。その後、平山さんについて、いろいろなところでお話をうかがったりするようになったんですね」

――平山さんを慕われるのは、どういった理由からなんでしょう?

「平山さんは、自分だけのために仕事をしてらしたんじゃないってところですね。あれだけ多くの作品を手がけられたモチベーションは、東映の京都撮影所で一緒だった有能な人たちが、みんな会社からリストラされかかっていたからなんですね」

――映画が斜陽化したために、整理される人員が出てしまう……。

「それで一足先に東京のテレビ部に移っていた平山さんは、『悪魔くん』の企画を出してヒットさせる。それを手始めに"企画の平山"と言われるくらい、ひたすら企画を立てて山ほど番組を作った」

――『仮面ライダー』シリーズをはじめ、『人造人間キカイダー』『がんばれ!!ロボコン』『秘密戦隊ゴレンジャー』……。

「仕事を増やせば、より多くのスタッフを使えると。(当時から)東映はいろんな部門を持っていたから、リストラされると映画が好きで入ってきた人たちが、駐車場の管理だとかに回されちゃうわけですよ」

――映像とは関わりのない業種に配置換えされてしまう……。

「番組を作れば、テレビとはいえ、子ども向けとはいえ、映像を撮れる。そういう他人に仕事を与えるのがモチベーションという生き方。これが僕が自分の人生の師だな、と思える点ですね」

――プロデューサーとしての平山亨さんに見習うべきは、どんな点でしょう?

「石ノ森章太郎さんがいかに天才であったか、ということを本当にとうとうとおっしゃる。それは水木しげるさんに関してもそう、横山光輝さんに関してもそう、作曲家の小川寛興さんにしても、渡辺宙明さんにしても、監督も役者さんもみんな天才なんだとおっしゃる」

――はい。

「そういう天才の人たちを呼んできて、好きにやれる場を作るっていうことですね。1つの作品を作るのは小さなことで、そうじゃなくて、場、フィールドを作る。みんなが遊べるフィールドを作れる人間が、僕は天才だと思うんですよ」

――それができるのが、優れたプロデューサーであると……。

「ラジオで米澤嘉博さんについて話してくれと言われたときにしゃべったのは、コミックマーケットという巨大なシステムを運営していたから米澤さんが偉いんじゃなくて、すごいのはサークル参加者や一般参加者が、そこで遊べるっていうところ」

――なるほど。

「システムを運営することじゃなくて、場を作ることなんだと」