――唐沢さんのmixiの日記を拝見しますと、『刑事コロンボ』を観たという記述がよく出てきますが、『コロンボ』の魅力はどのあたりにあるとお考えでしょう?

「昔はとにかく、コロンボと犯人の知恵比べというか、対決とかよくできてるな、というのがあったんだけれども、その後は出演している俳優さんとかテレビドラマとしての作りのほうに目がいきますね」

――なるほど。

「あとは、小池朝雄さんをはじめとする当時の吹き替え陣の中に新劇の俳優さんたちが、よく出てくるんですよね。そういうのが残ってるのが貴重ですね」

――『刑事コロンボ』以前の吹き替えは大抵、大学で英語を勉強している方なんかに翻訳を依頼するから訳は正確なのでしょうが、セリフとして読んだときに尺が合わなかったり、ブレスの位置が違うとか、あと日本語として硬い表現になってしまう……。

「今、DVDで出ている『コロンボ』の第1話『殺人処方箋』では、犯人役のジーン・バリーの吹き替えを彼がかつて主演した『バークにまかせろ!』も吹き替えた若山弦蔵さんがおやりになってますが、それ以前に収録された別バージョンがあるんですよ」

――ええ。

「そのときのバージョンでは、コロンボもまだまだ『ウチのカミさんが……』とか言ってなかったんだけれども、それが人気になってくると、翻訳のほうにもフィードバックしてくる」

――はい。

「あのあたりも日本の吹き替え文化の中でも、珍しいことだったんじゃないかな、と思いますね」

――広川太一郎さんの吹き替えの特徴は、台本どおりにしゃべると日本語のセリフが原音より短い場合に……。

「後ろに『なんかしちゃったりなんかして』って、付け加えて埋める(笑)」

――それが逆に、広川さんの芸風になった……(笑)。

「吹き替え文化というのは、日本とアメリカでまったく違ってですね、アメリカにも吹き替え文化ってあるんですけれども、ほとんどがコメディアンであるとかね、日本で新劇の役者さんを起用したりするのとは大きく違う」

――なるほど。

「広川太一郎さんや山田康雄さんの業績ばかりをデータにして、それで日本の吹き替え文化が分かった、とするのは大きな間違いだと思うんですよ」

――はい。

「アメリカの吹き替え文化を研究して、日米の吹き替え文化の違いを明確にしたうえで、なぜこういう違いができたのか、っていうことを研究する必要がある」

――そこまで必要なんですね。

「なおかつ、役者さんと翻訳の方の間の関係とか、そういうことまでやって初めて、なぜ日本の吹き替え文化は、ここまで質が高くなったのかを語ることができると思うんですよ」

――海外のそれに比べて、日本の吹き替えは質が高いという話はよく聞きますね。

「1975年に公開された映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』のDVDが出たときに、世界共通特典映像として日本語の吹き替えバージョンというのが入ったんですよ」

――はい。

「だから海外の人は、山田康雄さんや納谷悟朗さんが吹き替えた音声を聞きながら、その日本語のセリフを英語に直訳した字幕が画面の下に出るのを観るわけですよ(笑)」

――(笑)。

「日本語吹き替え版のオリジナルのギャグをちゃんと翻訳して字幕に出すわけね(笑)。これはなぜかというと、日本の翻訳がキャスティングなども含めて、いかに質が高いかということの証明のような気がするんですよね」