借金して作った『VERSUS』は"証明"のため

日本で順調にキャリアを積みハリウッド進出を決めた北村監督。彼は日本での活動をこう振り返る。

「『VERSUS』の頃は、日本にはアクションやエンタテインメント作品がなかった。「なんでなの?」と周囲に聞くと、みんな『お金がないから無理』という。僕はそれが許せなかったんですよ。作ってもいないのに、『ハリウッドや香港には勝てない』と。それが間違いだと証明したかったから、借金までしてこの映画を作ったんです。そしたら世界で認められ、『あずみ』の話が来た。やっとでかい予算で日本本来の時代劇を思いっきりやれると思いましたね」

その後『ALIVE』、『あずみ』、『荒神』、『スカイハイ』のTVシリーズに映画版、『ゴジラ FINAL WARS』と、とにかく2000年から2004年まで、監督は休みなく動き続けた。そして、ついにデビュー前からの公言通り、北村監督はハリウッドへ向け動き出す。

「『VERSUS』の頃からミラマックス(アメリカ大手映画会社のひとつ)と契約してましたし、ハリウッドからのオファーもありましたよ。日本ではいい話の連続で嬉しかったけど、このままこの流れに乗り続けているとハリウッドには行けない、一度この流れを止める必要があるんじゃないかと。『ゴジラ~』を終えた時点で、また一からやり直す事にしたんです。ハリウッドが自分の戦う本来のリングだと思っていたので。日本でメジャー映画をガンガン撮れる恵まれた時期にすべてを捨てリセットする。これはかなり根性がいる事です。でも、これが出来るから僕なんですよ」

充電期間中に轟いた雷鳴

『ゴジラ』シリーズの最終作を監督し、日本での活動に一区切りをつけた北村監督は、ハリウッドデビューに向け、約2年間の充電期間に突入する。

「日本はアクションとエンタテインメントには適さない土壌だったけど、それでも出来るって事を証明できたので、もう日本ではいいだろうと。ただ、本当に燃える事のできる良い企画が来るまで、2年は仕事しなくても待つつもりでしたね。ここまでノンストップで動いてきて相当消耗していたので、2005年は旅行したり、友達とバンドを組んだり、色々と遊んでました。でも、これが大事。これが出来なくなるときがクリエイターとしてはやばいよね」

しかし、充電しつつもハリウッド進出を準備していた北村監督は、1人の女優と運命的な出会いを果たし、再び日本で映画を撮ることになる。アクションと笑いが満載された、愛のロックオペラ『ラブデス』だ。