――さらに続けて、当時のお話をうかがいたいのですが、1962年に放送が開始された『コンバット!』では、すでにレギュラーでご出演なさってますね。

「これは当時36%っていう視聴率を獲ったというくらい、すごい番組だったですね。というのは、ヨーロッパが舞台ですから。ドイツとアメリカとの戦いですね」

――ノルマンディーに上陸してから、ドイツのベルリンまで行く間の話ですよね。

「ですから日本の兵隊は出てこないということがあって、比較的客観的に見られる。でもどこか、いわゆる勧善懲悪みたいな、『水戸黄門』みたいな番組ですね(笑)」

――ドイツ軍は、悪役という……。

「そうそう。悪代官が出てくるみたいな(笑)」

――この作品をおやりになって、どんなご感想をお持ちですか?

「あの『コンバット!』っていうのは、声優という仕事をすごく育んでくれた番組だというふうに思ってますね。まあ、時代的な背景もさることながら、言葉のやり取りもスピーデイー、登場人物も多い。当時TBSではマイクが1本しかないところに、みんなが砂糖に群がるアリのように……そういう雰囲気の中でやっていったんですけども、出演者同士のチームワークとか、しゃべり方、日本人がラジオドラマやるような感じでやったっていうような記憶がありますけどね」

――やっぱり1時間番組の構成として、15分のロールが3ロールあるような構成だったんですか?

「『コンバット!』の時代には、大分ロールが分かれるようになりましたけども、さらに昔は録音テープの限度があって、始まったら29分間ノンストップでいくと。ロールの終了30秒前にトチって、もう一回頭から始めるというようなことがいっぱいあった時代ですね。だから非常に緊張していた。いつも緊張していた。今はほら、トチっても『あ、そこんとこ、ちょっと抜きましょう』っていうので楽ですね」

――デジタルで編集してますからね。

「あの 緊張が全然ないですね。それが私たちの修行、昔の大工さんがカンナで木を削るような職人芸だったと思いますね」

――かなり鍛えられたことと思いますが……。

「鍛えられましたねえ。でも僕は、その前が新劇でしたから、その舞台でいじめられたことに比べれば大したことありませんでしたけども。厳しさは、舞台のほうがすごかったですね」

――この『コンバット!』、かなり日本人に根強い人気がありますね。この間まで甲子園やっていましたけど、高校野球の応援に必ず演奏されますよね。

「そう、行進曲ですね」

――当時のエピソードをなにかお聞かせいただけますか。

「当時、私、なにを隠そうギャラが4,500円でありまして。で、主演のヴィック・モローが日本に来ましてね、『君、これでいくらもらってるんだ』って言うから、紙に『4,500』って書いたんですよ。そしたら彼は、ドルだと思ったわけ。『すごいなー、そらすごいなー』っていうんですよ。当時、1ドルが360円時代ですからね。360円の4,500倍貰っていると思ったわけ。ところがね、実際はドルに換算すると10数ドルにしかならない(笑)」

――先ほど、お話にもありましたが、当時、マイクが1本だけとか……。

「TBSの場合はマイクが1本ありまして、それでそこにレシーバーですな。耳に入れるレシーバー、線が切れてるのがありまして。音がずっとこう伝わってるんでしょうけども、それを使ってだぁーっとマイクの前に行ってやるわけですよね」

――ほかに、どのようなご苦労がおありでしたか。

「ある夜、大嵐がありまして。次の日にどうしても録音しなきゃいけないってんで、みんな集合したんだけれども、スタジオの中が床下浸水しちゃってて。で、スタジオに行ったら、まずディレクターから長靴が支給されましてね。その長靴を履いてやった、というような。それでタイトルがね、『砂漠の鬼軍曹』って言うんですよ。全員、長靴履いて水浸しの中で、『軍曹! 静かに足音を立てずに、直ぐ其処に敵がいます!』とか言うんだけれども、ジャブジャブジャブジャブと音がするわけ。だけど砂漠なんだよ、画は。でもジャブジャブジャブジャブと音がする。『どういうわけかなー』って、視聴者は思ったかもしれないけれども、それでも済んじゃったんだよね。そういう不思議なエピソードの中でやったこともありました」