新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。

本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。

第20回目は、漫画家のかっぴーさんにお話をうかがいました。

  • 会社員から転身を遂げた漫画家のかっぴーさん

    第20回目は、会社員から転身を遂げた漫画家のかっぴーさん

Change
脱サラし、漫画『左ききのエレン』で人気漫画家に

「夢に破れた人はごくわずかしかいません」

漫画『左ききのエレン』の作者である人気漫画家のかっぴーさんは、元広告代理店勤務。『左ききのエレン』は、実際に働いていた頃の出来事や感情に着想を得た物語です。

  • 『左ききのエレン』(C)かっぴー・nifuni/集英社

    『左ききのエレン』(C)かっぴー・nifuni/集英社

脱サラし、漫画家に転身したかっぴーさんですが、夢を叶えた今だからこそ、全力でやり切る大切さが身に染みてわかると言います。

  • 全力でやり切る大切さが身に染みてわかると話すかっぴーさん

夢に破れた人はごくわずかしかいない。その真意を探ります。

Background
漫画家よりモテそう(笑)。
デザイナーを志し、美大に入学

「漫画家になりたい」。 そう初めて夢見たのは、かっぴーさんが小学校低学年だった頃。漫画が好きで、ボールペンでノートに自作の漫画を描いては、クラスで回し読みをしていたそうです。

ストーリーを考えるのが好きでしたし、友だちがどんなリアクションをするのかにも興味がありましたね。


  • 笑顔のかっぴーさん

しかし、思春期にさしかかると、漫画を描いていることを隠すようになったと苦笑いします。

モテないんじゃないかと思って(笑)。相変わらず家では描いていましたが、誰にも見せなくなりました。


  • 中学生時代のかっぴーさん

    中学生時代のかっぴーさん

モテるためにカッコいいことがしたい。この意識が、将来の進路決定に大きな影響を与えました。

高校の文化祭でお揃いのクラスTシャツを作ろうという話になり、クラスのみんなからイラストの制作を頼まれたんです。カッコいいTシャツを作りたくてシュッとしたイラストを描いたんですが、それを見た先生から「デザイナーに向いてるんじゃない?」と言ってもらえて
漫画家よりモテそうだなと、デザイナーを志すようになりました(笑)。


  • かっぴーさんがデザイナーを志したきっかけ

美大を卒業するとデザイナーになれるという話を耳にしたかっぴーさんは、武蔵野美術大学に狙いを定め、見事合格。一度決めると突き進むのは、元来の性格なのだとか。その一方で、周りと違うことをしたがる天邪鬼な部分も持ち合わせていると自身を分析します。

  • 美大生時代のかっぴーさん

    美大生時代のかっぴーさん

周囲はデザインの勉強にストイックに打ち込んでいましたが、それだけじゃプロのデザイナーとして生きていくのは難しいのではないかと思っていました。それで一般大の学生たちと仲良くするようになって学生団体に所属し、イベントを主催したりクラブで流す映像を作ったりしていましたね。


  • インタビューに答えるかっぴーさん①

美大では浮いた存在だったそうですが、クリエイティブディレクター(CD)と名乗り、多くの人を巻き込んで何かを作り上げた経験は、後に活かされることになります。

Abandon
真正面から真剣に向き合い、清々しくデザイナーを断念

一貫して広告代理店勤務を志望していたかっぴーさんは、(株)東急エージェンシーに就職。入社後は東急百貨店のポスター制作を長らく手がけたそうです。

パリコレなどの写真を見ながらトレンドを読み取ってポスターに反映するのですが、仕事自体は楽しかったですね。すごく目立つものではないですけど、華やかな百貨店の一部を彩るわけですから、納得感はありました。


  • かっぴーさんが東急エージェンシーに勤めていた頃

    かっぴーさんが東急エージェンシーに勤めていた頃

ここで活きたのが、美大生時代に学生団体に所属していたときの経験です。

肩書きとしてはデザイナーでしたが、実務的にはCDでした。デザイン力や発想力よりも、クライアントである百貨店との話をまとめられるグリップ力が求められましたから。学生団体での経験もあってか、他人に意図を伝えたり、建設的に議論したりするのが得意だったので、順調に進めることができたのだと思います。


  • インタビューに答えるかっぴーさん②

けれど、デザイナーではなくCDとして力量を積んだことで、思わぬ壁にぶち当たってしまいます。

テレビCMを作る部署に異動になったのですが、まるで戦力になりませんでした。前のポスター制作の部署でCD的な立ち振る舞いをしていたものの、職種はデザイナーですので、当然求められるのはデザインの力です。「自分のスキルはCDにならないと発揮できない」と痛感しましたが、組織の慣習上、CDに出世できるのは早くても15年後くらい。絶望しましたね。


  • インタビューに答えるかっぴーさん③

ただ、このまま落ちてはいきませんでした。どうすれば楽しく仕事ができるようになるのか、必死に頭を悩ませ、ひとつの結論を導き出します。

苦手なデザインが得意になれば仕事が楽しくなるかもと、デザインの勉強を一から叩き直すことにしました。それまでは、できるだけ苦手なことを遠ざけ、得意なことで勝負しようとしていたのですが、真剣に向き合ってみようと考えたんです。


  • インタビューに答えるかっぴーさん④

宣伝会議のアートディレクター講座に通い始めたかっぴーさん。苦手意識を持っていたにもかかわらず、講座ごとに出される課題ではそのほとんどで上位3名に入る好成績を連発します。

周囲はざわつき、神童扱いでした(笑)。でも、最後の授業だけ惜しくも4位。課題発表のプレゼンではスーツを着て、動画まで作って気合い入れて臨んだので、めちゃめちゃ恥ずかしかったのを覚えています。


  • インタビューに答えるかっぴーさん⑤

最後の授業を担当した講師が、『くまモン』のキャラクターデザインでも有名な水野学さんでした。かっぴーさんが上位3名を逃した理由を尋ねると、こんな答えが返ってきたそうです。

「企画はぶっちぎりにおもしろかったけど、デザインが下手だね。」

この言葉に希望が持てました。「俺はデザインだけが唯一できない優秀なクリエイターなんだ!」と。ポジティブにデザイナーを辞める決心が付いたことは今でも良かったと思っています。もし、後ろ向きな気持ちでデザイナーから逃げていたら、その後はうまくいってなかったかもしれません。


  • ポジティブにデザイナーを辞める決心が付いたと話すかっぴーさん

清々しく諦められたのは、真正面から真剣に向き合ったからこそ。デザイナーを辞め、CDとして生きることを決めたかっぴーさんは、次のステージに歩みを進めたのです。

Trigger
レアな人材を目指してWeb制作会社に転職。
入社初日に描いた漫画が運命を動かす

  • 「面白法人カヤック」へ転職した頃のかっぴーさんの名刺

東急エージェンシーを退職し、転職したのはWeb制作会社「面白法人カヤック」でした。

転職先の条件としては「裁量権を持ってプラニングできる」「クリエイティブに強い会社」「クライアントと直で仕事ができる」という3つを挙げていて、これからは絶対にWebが主流になるといった確信もあってカヤックに入社しました


  • 面白法人カヤック時代のかっぴーさん

この決断には緻密な計算もあったそうです。というのも、大手広告代理店出身のCDはそもそも市場において希少価値が高く、しかも、Web制作の知識を併せ持った人材は当時ほとんどいませんでした。

たとえCDの中ではビリだったとしても、Web制作の知識を掛け合わせればレアな人材になれます。なので、カヤックの後、また転職するつもりでした。入社前の面接でも「指名で仕事が入るようになったら辞めます」と表明していましたし。


  • インタビューに答えるかっぴーさん⑥

しかし、結果的にはカヤックでサラリーマン人生にピリオドを打ち、漫画家に転身します。そのきっかけは、入社初日に自己紹介を兼ねて漫画を描いたことでした。

なぜ、自己紹介を漫画にしたのかというと理由があって、社内でもレアなキャラを打ち出したかったからです。自分が携わってきたことで、かつカヤックの事業内容になかったのがCM制作でした。漫画を描けば、CM制作の絵コンテを作れることも伝えられますから。インターネットあるあるをギャグ漫画に仕上げると、社内で評判となりました。


  • 面白法人カヤック時代のかっぴーさんとフェイスブックポリスのイラスト

その漫画が『フェイスブックポリス』。「小学生の頃にクラスで回し読みしていた楽しさが戻ってきた」と言います。社内向けに日報で描き続けた作品が世に出ると、反響を呼びました。

  • 『SNSポリス』(C)かっぴー

    『SNSポリス』(C)かっぴー

そして、かっぴーさんの転機となる作品が産声を上げます。『左ききのエレン』です。

Debut
『左ききのエレン』に込めた想い。
突発的な使命感に駆られ漫画家デビューを決意

  • タブレットで漫画を描くかっぴーさん

仲が良かったデザイナーの退職の餞(はなむけ)に描いたという『左ききのエレン』。そのモデルは、1970年代に日本の女性アートディレクターの先駆けとして活動した石岡瑛子さんだとかっぴーさんは明かしてくれました。

東急エージェンシー時代に仕事をしていた東急百貨店のロゴを作ったのが石岡さんでした。石岡さんは日本の広告業界を飛び出し、ニューヨークでファンションデザイナーとしてさらに飛躍を遂げますが、かつての伝説を聞く機会もあって憧れを抱いていましたし、業界の末席で生き様に触れている感覚がありました。


  • 『左ききのエレン』 (C)かっぴー

    『左ききのエレン』(C)かっぴー

その石岡さんが亡くなったのが2012年のこと。

どういう想いで石岡さんが東急百貨店のロゴをデザインしたんだろうと仕事をしながらずっと想像していましたし、勝手に受け取っているつもりでした。ですが、手の届かないところでい亡くなってしまった。言葉で表現するのは難しいですが、自分の気持ちを昇華させたくて、『左ききのエレン』を描きました。


  • タブレットで漫画を描くかっぴーさん②

この漫画は絶対に描き上げなければならない――。

どちらかというと戦略的にキャリアを築いてきましたが、このときばかりは突発的な使命感が芽生えたそうです。『左ききのエレン』がネットメディアの作品賞で最優秀賞に輝くと、出版社から連載のオファーが届きました。

「俺は漫画家になるのか」。そんな考えが脳裏をよぎります。

『フェイスブックポリス』が話題になったことで漫画を描く広告案件がいくつかあったので、幸い収入の心配はありませんでした。あと、「ダメだったらサラリーマンに戻れるだろう」と楽観視していて、ひとまず3年の期限を設けて漫画家になることにしました。


  • タブレットで漫画を描くかっぴーさん③

カヤックを退職し、設立した会社の名前は「なつやすみ」。

「なつやすみ終わります」って言えば戻りやすいと思って(笑)。


  • インタビューに答えるかっぴーさん⑦

かっぴーさんいわく、“退路を用意して”漫画家デビューを果たしたのです。

Belief
本気で挑戦しないと、本気で諦められない。
夢を見て見ぬふりせず、やり切る期間が必要

「漫画家になった当初は不安や焦りは全く無かった」とかっぴーさんは振り返ります。

  • お気に入りの本を手にするかっぴーさん

子どもの頃の夢を叶えられずに大人になるケースがほとんどですが、夢に破れた人はごくわずかです。なんとなく現実を察して夢がフェードアウトしていくだけで、本当の意味で破れるまでは挑戦していません。自分もそうでした。最大限の努力をして諦められたら幸せだと思って、頑張ることだけをノルマに課しました。


  • かっぴーさんお気に入りの『左ききのエレン』主人公 朝倉光一の1シーン (C)かっぴー

    かっぴーさんお気に入りの『左ききのエレン』主人公 朝倉光一の1シーン (C)かっぴー

3年の期限が過ぎた今、自身の経験から「夢に賞味期限をつけろ!」と訴えます。

『左ききのエレン』にも「夢にも賞味期限をつけてよ」というセリフがありますが、やりたいことがあるのなら期限を区切って挑戦したほうがいいと思います。その期間、全力でやり切る。叶えば最高ですが、夢に破れたとしても、ちゃんと諦められて納得して別の道に進めるはずです。


  • 『左ききのエレン』の1シーン(C)かっぴー

    『左ききのエレン』(C)かっぴー

本気で挑戦しないと、本気で諦められない。純粋におもしろい漫画を描いてたくさんの人に届けたいと今後を見据えますが、退路を用意していた3年間に自戒を込め、自身の漫画家人生もこれからが正念場と位置付けているそうです。

  • 読者メッセージとしてかっぴーさんがオリジナルで描いてくださった朝倉光一のイラスト

    読者メッセージとしてかっぴーさんがオリジナルで描いてくださった朝倉光一のイラスト

「夢に賞味期限を」との考え方はとても厳しく、受け入れるのも難しい。それでも、後悔を残さずに幸せを感じながら生きていきたいと願うなら、夢を見て見ぬふりせずに全身全霊でやり切る期間が人生においては必要なのかもしれません。

  • 漫画家かっぴーさん
  • インタビューの様子をYouTubeでも公開中

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アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。


Photo:永山昌克

[PR]提供:アート引越センター(アートコーポレーション)