新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。

本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。

第16回目は、元スノーボードオリンピック選手の長谷川奈賀子さんにお話をうかがいました。

  • 第16回目は、元スノーボードオリンピック選手の長谷川奈賀子さん


Change
キャリアゼロから派遣社員を経て、
米国公認会計士へ

専門学校に電話で相談したとき、何もかもがわからなさすぎて、自然と涙がこぼれたこともありました

米国公認会計士の資格を取得し、現在は栃木県大田原市の藤沼会計事務所に在籍する長谷川(旧姓・森)奈賀子さん。

2002年のソルトレークシティオリンピック・女子ハーフパイプに出場を果たした彼女は、まだまだ先行き不透明だった引退後の派遣社員勤務を回顧し、当時の心境を吐露しました。

  • 選手当時の長谷川さん

キャリアゼロの状態から派遣社員を経て、米国会計士へ。

その並々ならぬキャリアチェンジを成し遂げた裏側には、つらい過去を乗り越えてきた彼女の強さがありました


Background
突然の父の失踪。車中泊生活を強いられるも、
オリンピック出場権を獲得

世の中はバブル景気の真っただ中。

経営者である父親が新潟県越後湯沢にマンションの一室を購入したことがきっかけで、長谷川さんは小学生の頃からスキーを始めます。

  • 1番右が長谷川さん

週末は練習に励む日々。その入れ込みようは、高校卒業後の進路にスキーのインストラクターを志望するほどだったそうです。

でも、テストに落ちてしまい、インストラクターは諦めざるを得なくなって

そんなときに出会ったのが、スノーボードでした。

負けず嫌いな性格が功を奏し、姉二人に必死に追い付こうとスキーに夢中になっていた経験が糧となったのか、スノーボードの腕前はメキメキ上達。

貪欲に練習を重ねた結果、たった1年でスポンサーが付くまでになりました。

しかし「スノーボーダーになる」と決心した矢先、思いがけない事態が長谷川さんを襲いました。

20歳のとき、父が会社と家庭を残し、財産を持って失踪してしまったんです。

自宅を出なければならず、家族は離散状態になりました。

バブル崩壊の憂き目に遭い、帰る家を失った長谷川さん。以降、車で全国各地の大会を巡るという過酷な車中泊生活を余儀なくされてしまいます。

好成績を収めれば、賞金が手に入りますよね。なので、生きるために絶対に勝ってやろうという気持ちが強かったです

思い返せば、究極の状況に追い込まれていたから頑張れたのかもしれません。

どんなに苦しくても、スノーボードをしているときは忘れられる――。

“男っぽい”アクロバティックな魅力に惹かれていた長谷川さんは、当時女子選手にしては珍しかった縦回転を取り入れ、「マックツイスト」と呼ばれる大技を武器に、次々と好成績を収めていきました。

努力が実り、ついにはソルトレークシティオリンピックへの出場を果たします。

オリンピックまでの道のりは非常に厳しいものでした。20代前半で遊びたい盛りというのもありましたし(笑)。

コーチからは「心技体をバランスよく鍛えれば、必ずオリンピックに出られる。だから、感情は捨てろ」、そして「目標の達成に向けて何が必要かを考えてそれを実行しろ」と常に言われていました。

心で思う感情より、頭で考えた戦略を優先せよ。そんなコーチの教えは今も胸に秘めているそうです。


Teaching
30代で勉強漬けの日々。
コーチの教えを応用し、米国公認会計士に合格

念願のオリンピックでの結果は、残念ながら予選敗退。

敗因は、同年にカナダで開催されたワールドカップにピークを合わせてしまったことと、怪我を防ぐために雪上練習の機会を少なくしていたこと。長谷川さんは思うような成果を残せませんでした。

失意のまま帰国すると、追い打ちをかけるように膝の前十字靭帯を損傷。

手術後、リハビリを終えて復帰するも、肩の脱臼や足首の捻挫などの怪我が積み重なり、満身創痍の身体は悲鳴を上げていました

最後に出場した全日本選手権で転倒し、脳しんとうを起こしたんです。

身体はボロボロ。周りには、私がもうチャレンジすることのできない技を次々に繰り出す年下の選手たち。

限界を感じ、引退を決意しました。

こうして約10年の現役生活にひっそりとピリオドを打った長谷川さん。しかし途端に、目を覆いたくなる現実が横たわっていることに気づいたと言います。

引退の少し前からスポンサーも失っていたので、家賃やトレーニングにかかる費用はすべて実費だったんです。それで常に借金があり、貯金はまったくない状態が続いていて……

父がいなくり、失ってしまった生活や家族のことを考えると「これ以上、落ちたくない」と、急に怖くなりました。

脳裏に浮かんだのは、現実から目を背け遊び続けてしまった父の末路。大好きだったスノーボードに別れを告げ、堅実な仕事に就く道を選びました。それが「派遣社員」だったのです。

派遣で働くことが流行り始めていて、とにかくお金を稼ごうと時給の高さに惹かれて派遣会社に登録しました。

よく海外に遠征していたので、英語を使う仕事を希望したのですが、「あなたの英語レベルでは紹介できる会社はありません」と言われてしまって

それでも粘り強くお願いしてみると、外資系の信託銀行で郵便物を開封する仕事を1週間限定で紹介してもらえました。

派遣社員としてリスタートを切ると仕事ぶりが評価され、1週間の予定が2年にわたって数部署でアシスタントとして働くことに。

この職場で「簿記を取って契約社員として働かないか」と声をかけられたことが長谷川さんの人生を大きく変えました。

本を一冊読んだだけで簿記検定に臨んだのですが、手も足も出ずで(笑)。

独学では無理だと判断し、専門学校への入学を決めました。

専門学校で勉強を始めると、2度目の受験で簿記3級を取得。その後、簿記2級にも合格し、次に掲げたチャレンジが「米国公認会計士」でした。

一般企業で活用できる会計の知識と、英語を一緒に学びたいというのが米国公認会計士を志した理由です。

30代も半ばを過ぎ、一生食べていくのに困らない資格を取っておきたいとの考えもありました。

米国公認会計士になるには、大学の卒業が前提条件。

高卒の長谷川さんには約60単位が必要だったため、会計士の試験勉強と大学を掛け持ちしての勉強漬けの日々がスタートしました。

若い頃に勉強をしていなかったので、教科書を1ページ読むだけ眠くなっちゃうんですね。

正直、途方に暮れましたが、全ページを日数で割って逆算し、地道に進めていきました。

  • 当時の勉強の様子

教科書で理解したはずなのに、いざ問題集となると解けないことも多かったという長谷川さん。けれど自己嫌悪に苛まれながらも、感情を捨て、やるべきことを淡々とこなしていったそうです。

そんな苦労が報われ、4年かけて米国公認会計士の試験に見事合格。長谷川さんは、スノーボーダー時代のコーチからの教えを応用したのでした。


Future
未来の自分に期待して戦略的に逆算すれば、
どんな苦難にも光が差す

昨年の結婚を機に栃木県大田原市に移り住んだ長谷川さんは、「かつての父のように、経営に悩む人たちを救いたい」と中小企業の経理をサポートしています。

夫も事業を営んでおり、妻として、また、会計の従事者として支えられることが嬉しいと目を細めますが、失ってしまった家族の温もりを取り戻したいという意思を感じました。

波乱万丈な半生を振り返りつつ、「自身が体現してきたようにハードルはどんどん乗り越えていってほしい」とこれから新しい1歩を踏み出す人へエールを送ります。

つらい時期が自分を作る」という言葉を最近知ったのですが、まさにその通りだと思っていて。

つらい時期は、自分が生まれ変われるチャンス。未来の自分に期待して戦略的に逆算してみれば、どんな苦難にも光が差すはずです

無謀に思える壁に挑み続けることによって、死ぬときに後悔せず「良い人生だった」と納得できるのではないでしょうか。

こう話す長谷川さんは、心技体を意識した戦略思考を伝えることで、社会人としても立派なスノーボーダーを育成するような仕事をしてみたいと夢を語ります。

今おなかに新しい命を授かっているのですが、「育てる」ということを意識するようになりました。

自身の子どもの子育てはもちろんですが、スノーボード界にも何かを還元したいという思いがあり、将来は講演などを通して勉強の大切さを伝えることで、選手の育成・セカンドキャリアの形成をサポートしていきたいですね。

現役を引退し、勉強に打ち込んだ30代はスノーボードから距離を置いていたそうですが、40代を迎え、その気持ちにも変化が起きているようです。それは、心が満たされている証。

決して安住せず、さらなる高みを目指す。そんな飽くなき挑戦心が、人生を好転させるのかもしれません。

***

アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。



Photo:Kei Ito

[PR]提供:アート引越センター(アートコーポレーション)