"天は二物を与えず"とは、「1人の人間が多くの才能や資質を備えているということはない」(大辞林より)ということわざだが、そんな常識を打ち破る人物がいる。猛勉強で国家資格を取る医学博士と、笑いの才能と努力で真打ちまで昇進した落語家――。まさに"二物を与えられた"立川らく朝師匠は、笑いで健康情報を伝える"健康落語"という、これまた常識を打ち破る噺を生み出した。

それを体現する番組が、BS日テレで放送されている『Dr.らく朝 笑いの診察室』(毎週月曜20:54~21:00)。収録の合間の師匠に、この異色の健康番組にかける思いや、自身が異色の経歴になった理由などを聞いた――。


立川らく朝1954年1月26日、長野県生まれ。1979年、杏林大学医学部卒業後、慶応義塾大学医学部内科学教室に入局。2000年、立川志らく門下に入門してプロの落語家として活動を開始し、2004年に二つ目、2015年に真打昇進。健康教育と落語をミックスした「健康落語」といった新たなジャンルを開拓し、全国を公演で飛び回る。

――医学博士から落語家になるというのはとても異例の経歴ですよね。もともと医学博士になったきっかけは何だったのですか?

ロクなきっかけじゃないですよ(笑)。私、理科系で手に職を持つのが良いなと思いながら、勤め人にはなりたくなかったので、そうするとだいたい医者って決まっちゃう。心理学にも興味があったんで、アメリカ映画かなんかでスーツ着て事務所でカウンセリングするスタイルがカッコいいなと思って、精神科医になりたいなんて憧れもありました(笑)

――この前の月9ドラマで、福山雅治さんがカッコいい臨床心理士の役を演じてました。

でも、当時の日本の精神科医はそんなスタイルじゃなかった(笑)。それで内科医になったんです。「自分が大病してお医者さんに助けてもらったから、自分と同じ苦しみを他の人に味わせたくない」とか、カッコいいこと言えれば良かったんだけど(笑)

――そこから落語家になられるわけですよね。

大学で落研(落語研究会)を創って、ハマっちゃってたんです。で、医学博士の国家試験が終わってから、医者になろうか、落語家になろうかを随分悩んだんですが、結論が出る前に医学博士の研修が始まっちゃたんで、気がついたらどっぷり医者をやってました。だから、医者になってからもずっと悩んでいたんです。

――そして、落語家になりたいという思いが、爆発するときが来るんですね?

落研の連中たちと飲むと、私がいつも「本当は落語家になりたかった」って愚痴るんで、後輩が立川談志の「あなたも落語家になれる」という本を貸してくれて、談志が社会人を弟子に取ってくれると書いてあったので、すぐに電話したんですけど、ずいぶん古い本だったので、もうそんなことはしてなかった。そこで、私の師匠になる立川志らくがやってる「らく塾」っていう素人向けの落語セミナーを紹介されて、そこで一席やったんですよ。それが、落語をやりたい気持ちの火に油を注いじゃったんですね(笑)。42~43歳くらいのときかな。

――医学博士としての経験もあったことから、笑っているうちに健康教育もできてしまうという「健康落語」を発明されたんですね。

企業の健康管理をしてる知り合いと飲んでて、「落語の"ように"楽しく健康教育ができたらいいな」という話をしてたんですよ。でもその人は「落語"で"健康教育をやる」って勘違いして、後日「やってちょうだいよ」ってお願いされちゃったんです。私は「そんなこと言ってないよ」と応えたんですが、ふと「落語で健康を語るっていい機会だな。これは天がやれと言ってんだな」と思って引き受けて作ったのが、最初の健康落語です。それがウケたもんだからシリーズにして、今では70~80本くらいになってます。

――ケーシー高峰さんの「医事漫談」とは全然違いますね!

ケーシー先生は完全に演芸ですから(笑)。こっちは本当の健康情報を入れながらギャグもやるので、比率は5:5くらいかな。病気にまつわる人間ドラマや喜怒哀楽、そういうものを表現して、健康の啓発をしようと思ってるんです。

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