――今後の活動の展望は、いかがでしょうか。
おかげさまで6月くらいまでいろいろ入ってて、パンパンなんですよ。10年以上テレビをやってきて、表現したいことのコアの部分はあまり変わらないので、今までできなかった手法をいろいろ試すという期間になると思いますね。
――地上波を作るということもあるのでしょうか?
基本的に今までみたいなバラエティをやるつもりはあんまりないですけど、今、地方局が面白いと思ってるんです。地方局の若い子たちが「一緒にやりましょうよ」と言ってきてくれて。
――地方局が面白いというのは、どんな部分ですか?
やっぱりトライしてますからね。かつてのテレビ東京はそうだったんですけど、追い込まれたときの無鉄砲さみたいなことってあるじゃないですか。でも、勝ち始めると負けられなくなって、さっきの話に戻りますが、失敗できなくなってくるんですよね。地方局はTVerで全国に配信できるようにもなったので、そこのカウンターパンチみたいなことに乗っかるのも面白いかなと思って。
――執筆活動はいかがでしょうか?
今『群像』で山を舞台にした小説の連載をやってますけど、文芸誌に自分みたいな素人が入り込んで「マジヤバいな」と思いながら書いてます(笑)。『POPEYE Web』でも書いてますし、連載以外でも月に4~5本は何かしら書いてますね。それだけでも結構大変なんですけど、もう1本書籍も書かなきゃならなかったり、アニメの原作や脚本系のお仕事もありますし、なんかいろいろやってますね。
――フリーになって半年ですが、順調という感じですね。
いつまでこれだけいろんなお話がもらえる時期が続くのか分からないですけど、自分がやるべきことを選んでやっているうちは、大丈夫かなと思いますけどね。佐野さんもそうですけど、飲みの席でつながった人と仕事するパターンがめっちゃあるんですよ。半分以上はそうですね。
――上出さんから企画を持ち込むという形もあるのですか?
基本はないです。余裕がないですから(笑)。企画を考えてくれと言われることはしょっちゅうあるんですが、それに対しても本当にやりたいことがあったら本気で打ち返すくらいで。なんとなくの企画を出したりしたこともありますが、やっぱり全然気持ちが乗っていないのでどうせ実現しませんし、通っちゃったら通っちゃったでやらなきゃいけませんしね。食にまつわるプロジェクトみたいなのをやろうかなとか、自分でやりたいこともあるんですけど、誰発とかってどうでもよくて。自分がアイデアを作って誰かがやってくれるとかでも全然いいんです。1個アイデアが浮かぶと、その企画書を朝まで書いちゃうんですけど、「でも、これ誰がやるんだろう」とか「時間ないな」ってペンディングしちゃってますね。
■テレ東の命運を左右する若手ディレクター
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”を伺いたいのですが…
『オモウマい店』(中京テレビ)の北山流川くんですね。僕があの番組で「これは最高だ」と思ったシーンを撮った男なんですよ。それは、取材した店のOAをその店で一緒に見るということ。これって、誠実に番組を作ってる人間じゃないと絶対にできないことなんですよね。OAを見て被写体から「話が違う」って言われて揉めるのをADが処理するのがテレビの当たり前だった中で、そうじゃないということがあのシーン一発で分かるんです。
それに、あれをやることで、今後も被写体を傷つけたり、裏切ったりすることができないという仕組みに自ら突入していったわけですよね。そこに僕は最大限のリスペクトを持っているのですが、それを流川くんは何の気なしにやったらしいんです。この抜けた感じもすごいし、かなりリスペクトしています。
――どのように知り合ったのですか?
東海地方のテレビ制作者フォーラムみたいなのが毎年あって、各局の若手がその年に作った番組を出品するんですけど、その審査員に呼んでもらったんですよ。それから、『オモウマ』の若い子たちと飯に行くようになって。あの番組は本当に若い子たちが頑張ってますよね。
――古巣のテレ東でも、若手の大森時生さんが『Raiken Nippon Hair』『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』や、最近では『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』といった番組を作って話題になってます。以前取材したとき、上出さんのことを「尊敬と畏怖の念があります。作り方とか思想とか、共鳴するところや見習いたいと思うところが多いです」と話していました。
タイプは全然違うんですけどね(笑)。僕はどちらかというと訳わからなくなりながら体で作る人間で、彼は賢いので緻密に頭で作る人間ですから。でも、時生くんには頑張ってほしいですね。彼がどうなっていくのかが、わりとテレ東の命運を左右する気もします。