――そして昨年6月にテレ東を退社されましたが、改めてそこに至った経緯というのは。
11年いたので、まずシンプルに結構いたな、と。学ぶべきことは十分学んで、あとは会社に価値を還元していくようなフェーズだったのかもしれないんですけど、僕が全力でやるべきだということと、会社の方向性に齟齬があって、そうなると良きものは生まれないから去ったということですかね。
――どのような齟齬があったのでしょう?
僕はなぜそれを作るべきなのかとか、なぜそれを世に出す必要があるのか、ということを無視できないんですよ。だけど企業として当然、ビジネスが一番優先されるというのがある。テレビ局は国に与えられた免許事業なんで、それでいいのかという問題は別にあるんですけど、ここまで業界として貧すると、目の前の利益の優先順位がどんどん上がるわけですよね。だから、「こういう世界を目指すべきだ」と言っても、やっぱり後回しになる。そのスパイラルに入ったら、投資ができないしトライができなくなって、「他であれがこれだけ売れてる」というのを見つけて、そのマイナーチェンジでやろうということが、どんどん増えていくわけですよ。でも、僕なんて人が作ったもののマイナーチェンジなんてできないし、苦手なんで、トライして失敗しに行きたいんですよ。それがあまり許されない状況になってしまった気がしていて。
ただ、フリーになったら失敗できるかというと、今度は自分の生活がかかってくるんで。でもまあ贅沢しなければ生きていけるので、もっといろいろ失敗できるように1人になったという感じですね。自分の失敗が会社のダメージとして受け取られてしまい、それが経験の蓄積として捉えてもらえないような雰囲気が、僕にとっては苦しかったんです。でもやっぱり地上波の面白さは十分知っているので、名残惜しい部分もいっぱいあります。
――伝搬力や影響力というところでは、日本ではやはり地上波が一番大きいと。
それももちろんなのですが、不意打ちできるというのが面白いですよね。何となく見ていたら「えっ、何これ!?」って人を驚かせたいというのが、僕の中のベースにあるんです。YouTubeだとそうはならないですから。
――『蓋』(※)なんて、まさにその例でしたよね。
そうなんです。これができる装置が他にあるかなと考えても、あんまりなくて。街頭ビジョンというのもありますが、それはそれで結構規制があったり、前提としてクライアントのためのものというのがあるので、やっぱり地上波は面白いんですよね。
(※)…2021年9月に深夜3~4時台で15回にわたって放送された10分枠の番組。大都会の“蓋”の下に流れる渋谷川の暗渠で暮らす「地下人(チカンチュ)」に迫るというフェイクドキュメンタリーで、アーティスト・Dos Monosとコラボレーションした。
――退社の決断は、フリーの先輩である奥様(大橋未歩)にもご相談されたのですか?
僕が会社員として向いてないということを、どう考えても妻は気づいてましたからね。そもそも、コロナ前から1カ月に1~2回しか会社に行ってないんですよ。ロケして家で編集して会議をリモートにすればいい話なんで。だから辞めるというのは当然の結果として彼女は待っていて、「こっからだね!」みたいな感じでした。
■読者を信じて書ける…文章の魅力
――フリーになってから最初に手がけられたお仕事は何ですか?
文章ですね。読むのも書くのも遅いんですけど、文章は大好きなんで、連載も始めました。
――文章の魅力は、どんなところでしょう?
自由ですね。道具が少ない分、自由度が高いし、情報量が少ない分、受け手も書き手も自由なので、読者を信じて書けるんです。文芸誌で書いてたりするんですけど、あのジャンルって本当に文章好きな人が買うじゃないですか。だから、“次のための5行”とか“次のための1ページ”とかがあっても許してくれるという思いが、どこかにあるんですよね。ちょっと甘えてるかもしれないですが(笑)
――最初のつかみでグイッと引き寄せるのがセオリーの地上波とは、反対の世界ですね。
こういう創作の現場は今まで経験がなかったので、楽しみながら苦しみながらやってますね。飽きっぽい性格なんで、『ハイパー』にしても突然本にしたり、ポッドキャストにしたり、マンガにしたりしてますけど、いろんな方法を採りたかったんですよね。