• ウッチャンナンチャンの内村光良(左)と南原清隆

――本当にいろんな番組を手がけられてきた高須さんですが、特に手応えのあった仕事を挙げると何ですか?

『ウンナンの気分は上々。』(TBS)は、やっててすごく面白かったですね。「ウンナンが友達を作る」というコンセプトから始まった番組だったんですけど、最初にウンナンの2人旅をやったんです。なんでそうなったかと言うと、松本としゃべってるときに「俺、浜田と2人でどっか行けって言われたら、1億円あっても嫌やわ」って言ってたのを覚えてて、それは芸人のウンナンも同じだろうと思ったんです。だから、スタッフがそこにいないで2人きりのウンナンを見たい。要は、オフのウンナンの会話を覗き見する感じにしたいので、外はほとんどロングショットで、旅館の部屋には定点のカメラしかないという撮り方をしました。

ところが、上がってきた素材を見た演出の人から「これで大丈夫か一度見てくれない?」と編集所に呼び出されたんです。当時のバラエティは、カメラ目線で言わないと響かないというのが常識たったんですが、何も起きないし、画は遠いし、もちろん目線もないし、声も張らないわけですよ。でもその違和感が僕には新鮮で、「テロップでツッコミ入れたらどうかな?」って提案して、 “縦スーパー”を入れたんです。

――ありました! ありました!

手持ちカメラもそばまで来ないし、スタッフの姿も見えないから、旅館の居間でシーンとした時間が流れているだけなんだけど、黙ってるだけの2人が妙に面白くて、「妙な間…」って入れたり。他にもウッチャンがあくびを何度もしているだけの画に「眠くなってきた内村光良32歳」とか、縦スーパーを画面のど真ん中にあえて汚すようにして入れてみたんです。

――画が広くて余白があるから、ど真ん中に縦でスーパーを入れることができたんですね。

ナレーションも一切入れずに、説明も全部縦スーパーでやってましたね。2人は一応、カメラが回ってる上での会話をしてるんですけど、スタッフが誰も入ってこないので、本当にボーッとしてるんです。立ち上がって窓を見て、戻ってきて何分かしたらまた立ち上がって窓を見てという動きを繰り返して、「なぜか外が気になる内村光良32歳」ってテロップを入れると、何も起きない画が途端に面白く見え始める、新しい表現方法が生まれたんですよね。

――本当にスタッフが誰もいなかったんですね。

車で移動するときも、車載カメラだけで撮っていたんですが、当時のバラエティではほとんどなかった撮り方でしたね。

■フジではできなかった『6人の村人』

あと、『6人の村人!全員集合』(14年、TBS)っていう番組も面白かったですね。僕がやりたい企画で「村の会」っていうのがあって、志村(けん)・内村(光良)・三村(マサカズ)・岡村(隆史)・日村(勇紀)・田村(淳)というメンバーが集まるバラエティがあったら面白いなと思ってたんですよ。ほかにも、浜田(雅功)・今田(耕司)・上田(晋也)・太田(光)の「田の会」とか、松本(人志)・萩本(欽一)・杉本(高文=明石家さんま)の「本の会」とか考えてたんですけど、「村の会」をやるならTBSだなと。『気分は上々。』の恩もあるし、フジテレビだと班があって「あの人はうちの班の演者だから」というのがあったので、合ちゃん(合田隆信、当時部長)に話したら「絶対にうちでやりたい!」って言ってくれて。

それで出演オファーしに行くんですけど、この企画がズルいのは、「このメンバーでやります」って企画書を持っていくから、断ったら「あいつだけ出ないのかよ」ってなっちゃうんですよ(笑)。それでみんなOKしてくれたんですが、放送日が決まらないまま撮ったんです。なぜなら、みんなMCやってるから、裏でかぶらない時間がなかなかないんですよ。それで、とりあえず6人のスケジュールが空くときに撮っちゃって。

――志村さんとか内村さんとか岡村さんとか、普段はシャイだけどコントメイクをするとスイッチが入るような人たちが不思議と集まりましたよね。

淳以外はみんなそうなんですよ(笑)。でも、彼がいるからあの中で回し役になってくれて、絶妙なメンバーになりました。だから『6人の村人』は、またやりたかったんですけど、結局1回だけなんです。志村さんも亡くなってしまったんでね…。

■上田晋也に予感した「古舘さんみたいになる」

――ダウンタウンさん以外で、この人はすごいなと感じたタレントさんを挙げるとすると、誰になりますか?

これはもう、上田晋也ですね。『気分は上々。』で「海砂利水魚」から「くりぃむしちゅー」に改名する少し前から上田とはなぜかしゃべることが多くて、ロケの現場とかでちょこちょこ相談されたりしてたんですよ。当時は本当に仕事がなかったと思うんですが、その頃、テレ朝の深夜で『虎の門』という番組が始まって、「うんちく王」って企画を書いたんですね。ここに、いとうせいこうさんや伊集院光さんが入ってくれるんですけど、上田も参加したらいいんじゃないかなと思って推薦したんです。

当時はうんちくなんて全然持ってなかったらしいんですけど、やっぱりあの流れるようなしゃべりが素晴らしいとずっと思ってたので、ある日、大阪の特番の帰りの新幹線で一緒になったとき、「どうしたらいいですかね」ってまた相談されたから、「俺、上田っていずれは古舘(伊知郎)さんみたいになってると思う」って話したんですよ。「僕がですか!?」って驚いてたんですけど、「いやなれる。そこを狙ったほうがいい」って言ったんです。

それから、パソコンを持ち歩いて勉強を始めて、次の日に収録がある番組のすべての情報を想像して、5秒・10秒で言えるうんちくを貯めていったんですよね。上田は「大学受験よりも勉強しました」って言ってましたけど、そうやってどんどんスキルが上がって、どこでもうんちくが言える男になっていったんですよ。もちろんしゃべりがうまくて「古舘さんみたいになる」と言ったんですけど、ここまで軽妙に、しかもゲストを嫌がらせずにギリギリのところで面白くまとめ上げる能力は、すごいなと思いますね。

  • くりぃむしちゅーの上田晋也

――あの上田さんのスタイルは、努力の賜物だったんですね。高須さんの言うとおり、上田さんは古舘さんの後で資生堂枠の『おしゃれイズム』をやることになりました。

ニュースもやってますからね。当時のマネージャーで今は事務所の社長の大橋(由佳)さんもすごかったんですよ。うんちく王のキャラクターができたら、それをどっぷり上田にやらせて、どんどん仕事が増えていくんですけど、有田(哲平)が呼ばれない。そのとき、大橋さんは「ノーギャラでもいいから有田を使ってください」ってテレビ局に言うんです。だから、『虎の門』にもノーギャラで出てたんですよ。“くりぃむしちゅーはどっちも売るぞ!”っていうあの心構えはすごいなと思いましたね。

――『虎の門』に出てた有田さんって、上田さんがうんちくを披露するたびに嫉妬して不機嫌になるという立ち位置でしたよね(笑)

そうでしたね(笑)。それで、今や有田も自分の新たなキャラを出して面白い番組をいくつもやってるのは、くりぃむしちゅーの力ですよね。いやぁ、すごいですよね。

――上田さんはアドバイスしてくれた高須さんに、足を向けて寝られないのでは?

いやいや、そんなことないですよ(笑)、僕がいなくても売れていたと思います。でも彼がすごいのは、僕が結婚したときに連絡が来て、あんなに忙しいのに「食事したいです」って言ってくれて、「ここは僕が」ってお代も出してくれて、帰りにプレゼントもくれて。そういう気づかいもできる素晴らしい演者ですよね、僕は今も大好きですね。