富山湾へと流れる内川を眼前に、対岸へとかかる橋にはステンドグラスの飾りも

ヨーロッパでベニスと言えば水の都。中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」などの別名をもつ。美しい街並みの中をゴンドラと呼ばれる手漕ぎボートが人や物資の輸送を助けていることでも知られている。

この富山の地にも、ベニスを彷彿させる街並みがあると聞き、これまでのアグレッシブな取材で疲れた体を癒やそうと、取材班は射水市を目指した。

目的地は「川の駅 新湊」。あたかも女性の心を彷彿とさせるような、目まぐるしく変化する富山の空模様。朝見た快晴の空は、海に近づくにつれて低く雲が集まり始める。小雨がぱらつきだしたそのとき、お目当てのスポットへと到着したのだった。

そこには、海を目指して流れる緩やかな川の流れとともに、果てしなく続くノスタルジックな光景が展開されていた。少し雲の出ている空から落ちていた雨も、いつのまにか止んでいた。誰ともなく、この川が注いでいる海に向かって歩を進める。その光景の美しさの中で、取材班に言葉など必要なかった。生命の母なる海に呼ばれるかのごとく、自然と川に沿って歩き始めたのだった。

かすかに漂う磯の香。川岸につながれた数々のボート。そして、ドラマチックな演出をする川にかかった橋。中世ヨーロッパのベニスに生きていれば、きっとこのような景観を目の当たりにしたに違いない。大自然に恵まれた富山の、もうひとつの顔がここにあったのだ。

心が穏やかになる優しい風が海から吹き抜ける射水市の橋

こんな景色を眺めながら、ゆったりアフタヌーンティーと洒落こみたい。そんな気分になる街並みが、ここ射水市にはある。そして、橋を2つ過ぎた路地に、取材班の心を見抜いたとでも言わんばかりのカフェ「uchikawa六角堂」は姿を現したのだ。

畳屋を改装してあるカフェ「uchikawa六角堂」。オーガニックカフェとして地域では知られている

店内には、太陽の光が降り注ぐ大きな窓と、そしてキッチンカウンターから見えるオーガニックな品物の数々があった。

階段をあがり、2階のカフェへと案内される。そこには、畳屋の面影を残す鴨居がそのままインテリアとして残されていた。客席のソファも深くて座り心地がいい。そのまま我々は時の流れを止めるがごとく、紅茶とサンドウィッチのセットを注文したのだった。

ゆったりとまどろんでばかりもいられない。いつまでも紅茶を飲みながら、景色の中で時間を止めていたい気持ちに後ろ髪を引かれる思いで、次なる目的地、小矢部市を目指すことにする。

次なる目的地を目指すものの、さっきまでの異国情緒が抜け切れない。果たしてこの状態のまま、取材をすることができるのだろうか……。しかし、取材の内容を聞かされた途端、思わず小躍りをしてしまいそうになった。なぜなら源平合戦でその名を知らしめた、木曽義仲と、共に戦った女武者である巴御前がターゲットだったからだ。それまで生気の抜けたようだったレンタカーは、突然、魂を吹き込まれたF-1カーのごとく、目的地を目指したのだった。

この小矢部市、砺波平野にあり散居村の景観がひろがる地域として知られているが、実は歴史深い地としても名を馳せた場所。今から800年ほど前、武士が世の中に台頭し始めた時代、そこにこの地の魅力を解き明かすキーワードがあるのだ。

当初、政権を握った平家に対して、伊豆に流罪の身ながら源頼朝が旗揚げをする。やがて関東を制圧した頼朝は、京の都を目指す大軍を送り込む。それに呼応して挙兵したのが木曽義仲だ。頼朝の軍勢が到着する前に、平家としてはこの反乱分子を討ち取りたい。そこで平家は、約10万人にも及ぶ軍勢を、義仲追討のために派遣したのだ。

迎え撃つ義仲軍は約5万人。これでは戦う前に雌雄が決していたとも言える。しかし、果敢にも義仲はこの不利な状況に怯むことなく戦いを挑む。その傍らにいたのが巴御前だ。

彼女は男勝りな性格だけでなく、強力で弓の名手としても知られていた。義仲と巴御前は、牛の角に火のついた松明を縛りつけ、平家の軍勢に向けて突進させる。これに驚いた平家の武士たちは混乱してしまい、それから襲い掛かってきた義仲らを防ぐこともできず、敗走をすることになる。その戦いの場所となったのが小矢部市にある倶利伽羅峠だ。現在、倶利伽羅峠は、小矢部市から石川県津幡町までつながる倶利伽羅いにしえの街道ハイキングコースとして親しまれている。

まず取材班は、峠の入り口にある埴生口に向かった。ここには義仲が戦勝祈願した国の重要文化財に指定されている埴生護国八幡宮がある。なんとも生唾が湧き出てしまうお宝ではないか! さらに、そこで驚愕の事実と向かい合うことになる。何と目に飛び込んできたのは、台座を含め約9m、重量5トンという巨大な源義仲像ではないか。

何でもこの像は、日本最大級として知られているそうだが、初めて見た取材班にとっては圧巻のひと言だ。しかし、いつまでも感嘆のうめきをもらしながら見とれているわけにはいかない。先ほどから気になっていた前方にある階段へと足を向けたのだった。

その数、103段という少しばかりメタボリックな体にはつらい石段をあがると、そこには埴生護国八幡宮の社殿が待ち構えていた。静寂な森に囲まれたたずむ姿。社殿の周囲を眺め歩きながら取材班は厳かな空気を感じ、800年前の源平合戦を前に戦勝祈願している義仲の情景を思い浮かべたことは言うまでもなかった。

今回は立ち寄れなかったが、倶利伽羅いにしえの街道には、源平合戦で平家軍を撃ち破った「火牛の像」など当時の源平合戦の歴史に触れ思いを馳せることができる場所が数多くあるので、特に歴史ファンにはお勧めだ。

日本最大級の源義仲騎馬像

義仲が戦勝祈願した埴生護国八幡宮

火牛の像

牛の角に燃え盛る松明を結わえ付けた「火牛の計」で、劇的な勝利を得た義仲を称えて、現在、小矢部市では関係自治体と協力して「義仲・巴」のNHK大河ドラマ放映実現に向けたプロジェクトを推進中だ。圧倒的な勢力を誇る相手に果敢に挑戦し、新しい時代を切り拓く礎となった木曽義仲は、現代に生きる人々に勇気と希望を与える一つの象徴である。平成23年10月23日から開始した署名活動では20万人の署名が集まっていると言う(平成25年9月末現在)。

また、倶利伽羅いにしえ街道では、歴史国道イベントなどの催しをとおして、義仲・巴の魅力を情報発信するとともに、新しい取り組みとして、オーディオドラマ「猛将 木曽義仲」を制作し試聴会やWeb公開を実施。義仲・巴のゆかりの地をめぐる小矢部市観光周遊バス「義仲・巴号(平成25年11月24日迄)」を走らせるなど大河ドラマ誘致に力を入れている。

(C)義仲・巴プロジェクト

●information
新湊内川橋物語
小矢部市 義仲と巴
大人の遊び、33の富山旅。