経済キャスターの鈴木ともみです。連載コラム『経済キャスター・鈴木ともみが惚れた珠玉の一冊』をお読みいただき、ありがとうございます。この連載を始めてから、多くの良書と出合い、その著者の方々へのインタビューを通して、さまざまな刺激をいただき、心が豊かになっていく自分を実感するようになりました。本当に光栄です。そして、いつの日からか、支えて下さっている多くの読者の皆さまに対して、その恩返しができれば、と考えるようにもなりました。そこで、私が出会った著者の方々の中でも、特に心にしみる言葉を与えて下さったお二人をゲストにお迎えし、2回に渡り、春の特別企画として鼎談形式でお送りしたいと思います。

鼎談のゲストは美容家・メイクアップアーティストの小林照子さんと公認会計士の平林亮子さんです。お二人の歩んできた時代背景や育った家庭環境はバラバラですが、小林さんの著書『人を美しくする魔法』(マキノ出版)、平林さんの著書『競わない生き方』(ワニブックス新書)には、共通する人生成功術、若い社会人の皆さんやビジネスパーソンの方々の心に響くメッセージが数多く詰まっています。

戦前に生まれ、戦中・戦後、生きることに必死だった10代を過ごしたのち、高度経済成長期に社会人となり、右肩上がりの仕事人生を歩んでこられた小林さん。一方、安定成長期に生まれ、バブル経済期を含め豊かな時代に幼少期&思春期を過ごすなか、学歴主義の優等生として生きる苦しみから、時には自殺願望をも抱いていたという平林さん。

仕事人として、女性として、颯爽(さっそう)と美しく輝く今のお二人の姿には、各々に葛藤のなかで生きた10代、そしてそこで確立した『芯』の"強さ"と"自信"が表れています。10年後、20年後、30年後、40年後、50年後…。あなたが「好きと言える自分」「人として豊か」でいられるためには…。美と人生の達人たちがあなたに贈る珠玉のエールの数々。皆さんの人生を応援する鼎談となっていると思います。

小林照子さんプロフィール

美容研究家・メイクアップーアーティスト。1935年、東京都生まれ。(株)コーセーにて、美容研究や商品開発、教育などを幅広く担当し、1985年には同社初の女性取締役となる。1991年、人の外見的な魅力(美)と心の輝き(ファイン)をテーマとした研究・創造を追求する「美・ファイン研究所」を設立、所長となる。美容に関する後進育成のために1994年に「フロムハンドメイクアップアカデミー」、2010年に「青山ビューティ学院高等部」を開校し、校長として就任。多岐にわたるビューティ・コンサルタントビジネスを展開しながら、現役のメイクアップアーティストとしても活躍している。4月8日、京都四条室町にトータルビューティを実現するサロン「リバイタライズサロン Sion Kyoto」をグランドオープン。2013年4月に京都四条室町に「青山ビューティ学院高等部 京都校」開校予定。「自分を知りたい」外見と内面の分析ができる『和=美』サイトはhttp://wannabe.be-fine.net

平林亮子さんプロフィール

公認会計士。「美人すぎる公認会計士」としてTVやラジオ、雑誌など数多くのメディアに出演中。お茶の水女子大学在学中に公認会計士二次試験に合格。卒業後、太田昭和監査法人(現・新日本有限責任監査法人)に入所。国内企業の監査に多数携わる。2000年、公認会計士三次試験合格後、独立。企業の経営コンサルタントを行う傍ら、講演やセミナー講師など多方面で活躍。テレビの情報番組のコメンテーターを始め、ラジオ、新聞、雑誌など幅広いメディアに出演している。

前編をお読みいただく上での参考記事


鈴木 : 小林さん、平林さんどうぞよろしくお願いいたします。お二人は初対面なんですよね。実は、私はお二人とそろってお会いできる日を大変楽しみにしておりました。と言うのも、お二人には数々の共通点があると思っていたからです。表面的には、ご職業にも接点はなく、年齢差も40歳あり、歩んできた時代背景や育ってきた家庭環境も対照的ですので、普通であればなかなかお二人の間に接点や共通点は見つかりにくいはずですが、お二人の著書には共通する人生訓やメッセージが数多く託されています。

小林 : それは不思議だし興味深いですね。

平林 : 私と小林さんとの間に共通点があるなんて、恐れ多いです!(笑)。

鈴木 : その共通点をご紹介する前に、おもしろい発見があったので、ひとつご紹介しましょう。実は、小林さんの人生の年表をたどっていきますと、戦争を境にした日本経済史の年表そのものになるのです。まずはその年表をご覧ください。

小林照子さんがお生まれになった1935年から現在までの日本経済史

(1)1939年~1945年 第二次世界大戦
(2)1945年~戦後復興
(3)1955年~1973年 高度経済成長期
(4)1974年~1986年 安定成長期
(5)1987年~1991年 バブル経済期
(6)1992年~現在 失われた20年

小林 : まぁおもしろい。(戦争を境に記した)日本経済の歴史は私の人生の歴史とぴったり重なるのね。

鈴木 : そうなんです。さらに、その年表にお二人それぞれの人生を重ねてみますと…。

日本経済史とお二人の歩み

小林照子さん

1935年生まれ。戦前に生まれ、(1)戦中、(2)戦後に幼少期&思春期を過ごす。(3)高度経済成長期に社会人となり仕事人生を歩んでいく。(4)(5)(6)の時代へ。

公認会計士 平林亮子さん

1975年生まれ。(4)安定成長期に生まれ、(5)バブル経済期を含め豊かな時代に幼少期&思春期を過ごす。バブル崩壊が鮮明になった金融破綻1997年頃、社会人となり、(6)失われた20年のなかで仕事人生を歩んでいく。

平林 : おもしろいしわかりやすいですね。

小林照子さん(右)と平林亮子さん(左)

小林さん「思春期の頃に自分の『芯』がつくられました」

鈴木 : 照らし合わせていくと、お二人が歩んできた時代背景は対照的です。小林さんはまさに戦争に翻弄される子供時代を過ごしてこられました。戦後の貧しい時代、ご両親の失業やご病気、東京から山形への疎開…。壮絶なご経験だと感じます。

(小林照子著『人を美しくする魔法』「はじめに」より抜粋)
私の人生のスタートは、人とは少し違っていました。2人の父に、3人の母。5人の親たちはバラバラの個性を持っていました。複雑な家庭環境で育ち、子ども時代は学校帰りに畑仕事の手伝いをして、両親を食べさせるのが私の役割でした。周囲の目から見れば私はさぞ「かわいそうな子ども」だったことでしょう。でも、子どもの私には、それが当たり前の日常です。自分が不幸だと思ったことはありませんでした。今振り返ってみると、こうした子ども時代を過ごしたことが、人と比べない生き方や自分の信念に従った生き方をする基礎になっています。

小林 : 私がいつも基準としているのは、やはり幼少期、思春期(10代)の頃の経験や価値観で築き上げられたものなのです。その頃に、自分の『芯』がつくられました。ですので大人になってからも、常にその『芯』に聞いて行動していますね。

「思春期の頃に自分の『芯』がつくられました」と語る小林さん

鈴木 : 一方、恵まれた時代、恵まれた家庭環境のもと文武両道の優等生だった平林さんも特異な10代を過ごしてきたと言えそうですね。

(平林亮子著『競わない生き方』第二章「心が軽くなる、ストレスフリーメソッド」より抜粋)
私は、大学を卒業する頃まで、自殺願望を持っている人間でした。実際にはリストカットすらしたことありませんから、どこまで本気だったのかはわかりませんけれど。でも、歩道橋の上で「次の車に飛び込むぞ」と半日過ごしたことはあります。駅のホームで「次の電車に飛び込むぞ」と過ごしたこともあります。なぜだかはよくわかりません。とにかく自分を肯定できなかったのです。恵まれた家庭で何不自由なく育ち、学校でも優等生だったのですが、とにかくこの世に存在していることが苦しかった。消えてなくなりたかった。「生きていればいいことがあるよ」なんていう言葉はまったく耳に届きませんでした。今冷静になって振り返ってみると、単なる甘えだったのだと思います。苦労がないから「生きる」ことに集中できず、だからといってやりたいことなんて見つからない。それで「自分には価値がない」と落ち込んでいったのだと思います。

平林 : とにかく家でも学校でも優等生でいなくてはいけないことが辛かったです。東大出身の父から言わせれば「東大は普通に勉強したら受かる大学」なのだそうです。そういう親のもとで、私も高校までは、成績も良く、陸上部では県内でも有数の選手と、まさに絵に描いたような優等生でした。

鈴木 : ストレートでお茶の水女子大学に合格。優等生人生まっしぐらですね。

平林 : それでも、私は自分で勝手に限界ラインを引いてスネてました。「東大に行けなかった私は落ちこぼれ」。大学に合格したときも、そんな思いを抱きました。もちろん、表面上は明るくさわやかな優等生を演じてましたが、中身は常に自分を肯定できずにスネる毎日。10代の頃は呼吸するのも辛かったんです。

小林 : それは本当に辛かったでしょうね。私はメイクアップアーティストとして多くの方々のお顔に触れているからわかるのですが、平林さんの場合は、お顔を含め、とても上品で優美な外見をされてるから周りは完璧を求めてしまうのよね。人は第一印象でその人の性格や内面を決めてしまいがちだから。学校も家族も皆が期待してしまう。そして平林さん本人は、それに応えようとすればするほど、辛く苦しくなってくる…。葛藤の日々だったでしょうね。

平林 : わかっていただけて、本当に嬉しいです。10代の頃は、なかなかわかってくださる方とも出会えず、はけ口もみつからずに、とにかく苦しかったです。

平林さん「学歴主義の価値観を壊してくれる出会いに恵まれました」

鈴木 : 平林さんがその葛藤の日々から抜け出せたのはいつですか?

平林 : 大学に入ってからです。学歴主義の価値観を壊してくれる出会いに恵まれました。

(平林亮子著『競わない生き方』第一章「私はこうしてストレスフリーになりました」より抜粋)
「落ちこぼれ」て入ったと思っていた大学には、素晴らしい学生がたくさん通っていました。本当に楽しく話ができて、みんな自分の考えをしっかり持っていたのです。公認会計士試験を受けるために、大学と並行して通いだした専門学校でもそう。それまで眼中にもなかった大学(偉そうな言い方をしてごめんなさい!)の学生が、公認会計士試験に一回で合格していく姿を目の当たりにしたのです。しかも、専門学校で出会った彼らは「学歴」とか「偏差値」という概念にとらわれていない!(中略)これは本当にショックでした…。(中略)彼らは「落ちこぼれ」意識を持ってくよくよしている私なんかより、生き生きしていてとても楽しそうに見えました。そんな彼らが公認会計士試験に一回で合格して行ったのです。東大生でさえ、一回で合格するのは難しいと言われている試験に。(中略)そういった出会いに大きな衝撃を受けたと同時に、ここから、学歴という名の武装を解除するトレーニングが始まります。人と会っても「学歴」や「出身」や「年齢」を聞かない、ということからスタート。そのほか、「会社名」や「役職」など、相手に先入観を持ってしまうような情報を得ないようにする、というトレーニングを重ねました。

小林 : そうやって、いろいろな人と出会い、自分とは違う考え方や価値観を持ってる人たちと接することは大事よね。時にはぶつかることも必要。エネルギーを持って反対してくる人は、一度共感してくれれば一気に強力な味方になってくれたりするから。

平林 : 落ちこぼれて入ったと思っていた大学や専門学校の仲間たちとの新たな出会いのなかで、私はそれまで持っていた価値観にとらわれない生き方を見つけられたように思います。

平林さんは「学歴主義の価値観を壊してくれる出会いに恵まれました」と語った

鈴木 : またその後、公認会計士試験に合格、しかも大学在学中に、という事実が改めて自信にもなったでしょうし、さらなる目標へとつながっていくのでしょうね。

小林さん「夢に向かっていく気持ちがないと、やはり心は折れやすい」

小林 : 基本はそこですよね。目標や夢を持って前に進むこと。夢に向かっていく気持ちがないと、やはり心は折れやすい。私が、疎開先の山形から東京に出てきた理由は、演劇のメイクアップ・アーティストになりたいという夢を抱いたからでした。ただ、なかなかそう簡単になれる職業ではない。そこで、夢への第一歩としてまずは化粧品会社コーセーに就職したんです。

(小林照子著『人を美しくする魔法』「夢を持っていれば、どんな仕事も楽しくなる」より抜粋)
夢を持ち続けて努力する。
与えられた仕事を一生懸命にやる。
一見、夢とは遠いように感じる仕事も一生懸命にやって、その夢は決して手放さない。
この3つのことを心がければ、いつか必ず、夢を実現することができます。19歳で東京に戻った私は、メイクアップを学ぼうと美容学校の夜間部に入学(中略)。卒業すると、同級生はみな、美容院に就職しました。私がやりたいのは演劇のメイクアップの仕事です。夢があるのに、その夢をどうしたらかなえられるのか、その手段がわからない。悶々とした日々を過ごすうち、新聞の求人広告が目に飛び込んできました。化粧品会社の小林コーセー(現在のコーセー)が、美容指導員を募集していると知ったのです。「化粧品会社に入れば、メイクアップの勉強ができるはず!」就職試験はかなりの倍率でした。周りを見渡すと、みんな学歴は高そうだし、美人ぞろい。着ているものも洗練されています。さすがに落ち込みましたが、熱意をわかってもらうしかないと、半ば捨て身で面接試験に臨みました。(中略)結果は見事に合格。何千人もの志願者から選ばれたのは、私を含めわずか6人でした。「あなたが合格したのは、笑顔がいちばん素敵だったからですよ」初出社の日、そう言われた私は、「なんて私は幸運なんだろう!」と驚き、喜びながら、化粧品会社での仕事をスタートさせました。入社して最初の2年間は、美容指導員として山口県の化粧品店を回りました。当時は、新幹線はありませんから、メイク道具一式の入った重いトランクを抱えて、夜行列車で行くのです。それも寝台車ではなく、経費節約のために三等車の硬い座席に座ったまま仮眠を取り、翌々日の夜明け前にようやく目的地に到着するという具合です。約1カ月の出張中は休みもなく、旅館を転々としながら、朝から晩まで町の化粧品店を回ってメイクやスキンケアをし、化粧品の実演販売をします。若かったとはいえ、かなりのハードスケジュールです。「私がやりたかったのは、こんな仕事じゃないわ」難関を突破して入社した同期の新人たちは、音をあげてほとんどが辞めてしまいました。でも、私はこの仕事が楽しくて仕方がなかった。私には「演劇のメイクアップ」をする」という夢、目標がしっかりとありました。そのためには、いろいろな人の顔を借りて、メイクアップをさせてもらうというのはとてもよい勉強になります。普通は、大きな店でも10人か20人集まればいいほうです。しかし、私は一日に100人以上のメイクアップをしたこともあります。私が一人ひとりのお客様の個性を生かしたメイクをするのを見て、お店の主人がこういって宣伝してくれたのです。「今度、東京から来た美容部員さんは、一人ひとり違う顔を作ってくれるよ!」私は嬉々としてメイクし続けました。いっしょに地方回りをしていた先輩たちは、ほとんどがただ商品の説明をするだけでした。「給料は同じなんだから、もっと要領よく、らくして化粧品を売らなきゃ損よ!」といわれたこともあります。でも、私にとっては、来る日も来る日もたくさんの人の顔に触り、メイクをさせてもらえるというのは最高に幸せなことだったのです。

平林 : 私も同じようなことを感じます。私の場合は、「大きく立派な夢を掲げてスタート!」というタイプではないのですが、「一見、夢とは遠いように感じる仕事も一生懸命にやって、夢や目標を手放さなければ、いつしか想いはかなう」ということを実感しています。

(平林亮子著『競わない生き方』第一章「私はこうしてストレスフリーになりました」より抜粋)
いわゆる「成功者」の本を読んだりすると、「想いは必ずかなう」って書いてあることが多いのですが、それは本当だなって感じています。でも、解釈が難しい。「想いはかなう」というのは「なんでもかんでも想い通り」なる、ということとはちょっと違うんですよね。(中略)形は違うかもしれないけれど、自分が望んだようになっていく。これが「想いはかなう」の本当の意味なのだと思います。そして、「想いはかなう」にはもうひとつ意味があると感じています。実は、自分が「こうしたい」「ああしたい」と動くと、ことごとく思い通りに行かないことが多いのが常。そういう意味では、人生は思い通りにいかない理不尽なものなのかもしれません。例えば、「本を書きたい」という想いがあったとき。これをかなえるためにどうしたらいいかを自分なりに考えてみるとしましょう。そして、例えば、出版社に企画書を持っていったりするのですが、実際は、門前払い同然となることも多い。それじゃあ、と出版社の人を紹介してもらったり、とにかくいろいろ試行錯誤してみる。でも、なかなかうまくいきません。ところが、あきらめかけた頃、ふと、書籍の執筆依頼が飛び込んできたりするのです。たいていの場合、自分が最初に作った企画とは、ずいぶんと違うものだったりするのですけれど。そして、一番書きたかったものとは違うけれど、その一冊を一生懸命に書き上げてみると、次の執筆の依頼も来るようになったりして、だんだんと、本当に書きたいものに近づいていく。いつしか、最初の企画も実現されたりする。つまり、当初自分が妄想したのとは程遠いルートとスケジュールで、想いが実現するのです。これが、「想いはかなう」のもうひとつの意味です。実際、ベンチャー企業の経営コンサルタントとしてクライアントさんとのビジネスに関わる中で、想いが実現する場面をいくつも見てきました。(中略)自分の想いを貫き通すためには、自分の想いのために他人にも動いてもらわないと願いがかないません。自分で書いたシナリオ通りに、他人が演じてくれる必要があります。でも、他人がそうそう自分の思い通りに動いてくれないことなど、少し考えればわかります。だから、自分が「こうしたい、ああしたい」とあんまり積極的に具体的に動いても、他人はそのシナリオ通りには演じてくれず、「うまくいかない」ということになるのです。そこで、シナリオをあえて空白にしておくのです。大きな設定だけ作ったら、あとはフリートークに身を委ねる。そうすれば「面白そう!」と思ってくれた仲間と一緒にシナリオを作っていくことにつながります。そして、自分の想いが「互いの想い」となって実現していくのです。(中略)もしかすると、最初はスターバックスを目指していたかもしれないけれど、人波に押されているうちにドトールにたどり着くかもしれない。でも、コーヒーを飲んで一服したかったという目的は果たせる。それでいいのではないでしょうか。

小林 : そういうものですよね。どんな仕事でも、一つひとつの仕事を一生懸命にすると、また新しい話がやってくる。やればやるほど、どんどん大きな仕事、幅広い仕事ができるようになってきます。すると、また新しい依頼がやってくる。そのうちに自分のしたかった仕事に出会える。私もその連続で今日まで仕事を続けてきたし、さらにこれからももっと大きな夢を実現させたいなと思っています。実はこの春から、京都で新しいサロンを開きますし、来春には青山ビューティ学院の高等部京都校を開校する予定です。日本の美しさの象徴はやはり京都にあると考えていたから、その京都でサロンと学校を築けるのは本当に嬉しいことです。私は常々、世界に向けて日本の美を発信していきたいという夢を持っていて、それを口にしているものだから、それを知った方が、今回の京都のお話を持ってきてくださったの。やっぱり夢や想いは言葉に出すべきなのよね。

(小林照子著『人を美しくする魔法』「言葉にする、文字に書く。五感が夢を引き寄せる」より抜粋)
夢をかなえるには、頭の中で考えているだけではダメ。文字に描いたり、言葉にしたり、人に語って、共有する。そうするとかなうと、私は信じて20代から実践しています。「こうなりたい!」と思うことは、まず口に出す。文字に書く。今ではたくさんの本にこの方法は書かれていますが、実際にやっている人はそれほど多くないように思います。簡単でお金おかからない方法です。愚直に実行し、この方法を習慣として身につければ、あなたは大きく変わっていくことでしょう。(中略)私自身ももちろん、「やりたいことはどんどん語る、どんどん書く」ことを習慣にしています。10代からずっと憧れていた舞台メイクの仕事が実現したのも、夢を持ち続け、語り続けたのを覚えていてくれた人がいて、その人の紹介で私を訪ねてきた人がいたからです。最近では、「引き寄せの法則って、まさに私のことだなあ」と思うほど、言葉に出したこと、話題にしていたことがすぐ、実現することがあるんです。(中略)「坂本龍馬をテーマにした舞台のヘアメイクと衣装を、トータルでやってもらえませんか?」という話が来たのです。実は最初は、ヘアメイクはともかく、衣装まではできないとお断りしたのです。しかし再度強く依頼され、私は考え直しました。「これはまさに『人を舞台で輝かせる』という、10代に演劇サークルで活動していたときに私が描いた夢だわ」そして、今だったら、これまでいっしょに仕事をしてきた衣装のプロにも協力してもらえば、衣装も含めトータルでやれるかもしれない、ということに気づいたのです。結果的にはヘアメイク、衣装をすべてやらせていただくことになり、とてもエキサイティングな経験となりました。

平林さん「ブログなどにも自分の夢や想いを書くようにしているんです」

平林 : 私もそう思います。なるべくブログなどにも自分の夢や想いを書くようにしてるんです。

(平林亮子著『競わない生き方』第三章「ちょっとうまくいく、成功メソッド」より抜粋)
ニ十代の頃のブログを読み返していたら、自分の「夢」みたいなものが書いてありました。いやいや、夢というほど強く大きなものではないのですが、「こんなことができたらいいな」という希望が三つ書かれていました。ひとつめは、自分の本をもっともっとたくさんの方に読んでいただきたい、ということ。ふたつめは、自分の本を漫画やドラマや映画へと発展させたい、ということ。三つめは、雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなど、さまざまなメディアでお話させていただきたい、ということ。これらは、当時の私がよく周囲に話していたこと。今の自分より、もっと積極的で、生きる気力が強かったことがよくわかります(笑)。とはいえ二十代なら、もっととんがっていてもいいくらいですよね。もっとも先輩方から言わせれば、三十代だってとんがっていなくてはいけないのかもしれませんが。(中略)過去の自分の発言に責任を持つということはなかなかしんどいなあ、とも思いますが、同時に「書いておいて良かったな」とも思いました。だって、希望がだいたいかなっているから!書籍については、出版社から執筆のご依頼をコンスタントにいただけるようになり、年間三、四冊ほど執筆させていただいています。とあるテレビ番組では少しだけですけれど、ドラマ化も実現しました。メディアについては、雑誌の連載をいくつか経験させていただきましたし、テレビでもラジオでもインターネットでもお話をさせていただいております。これも、ブログに書いたり、誰かに話したからだと思っています。「言葉の力」が実現させてくれたのだと。

小林さん「近いうちにニューヨークに出店します!」

小林 : だから私、ここでも言葉にしておくわ。「近いうちにニューヨークに出店します!」日本の良さを世界中に伝えるために!

平林 : すごい!ニューヨークですか?

鈴木 : なぜ、ニューヨークなんですか?

小林 : ニューヨークを選んだのは、世界に向けたエンタメとビューティの発信地だからなの。もし、数年後にその発信地がニューヨークではなく、他に移っていたらそこを目指すけれど。今はやっぱりニューヨークね!

平林 : なんだか本当に実現できそう。私も楽しみになってきました。

小林 : 実現したらニューヨークに遊びにきてね(笑)。

一同 : いいですね!(笑)。

(※鼎談の続きは「後編」に続きます)

小林さん&平林さんが贈る「Prime Word」

  • 「様々な人との出会いによって価値観は形成される。ひとつ一つの出会いに感謝する」

  • 「どんな仕事でも目の前にある仕事に全力を尽くせば、夢も引き寄せられる」

  • 「夢や想いを声や文字にすれば、いつか実現する」

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執筆者プロフィール : 鈴木 ともみ(すずき ともみ)

経済キャスター、ファィナンシャルプランナー、DC(確定拠出年金)プランナー。 中央大学経済学部国際経済学科卒業後、ラジオNIKKEIに入社し、民間放送連盟賞受賞番組のディレクター、記者を担当。独立後はTV、ラジオへの出演、雑誌連載の他、各種経済セミナーのMC・コーディネーター等を務める。現在は株式市況番組のキャスター。その他、映画情報番組にて、数多くの監督やハリウッドスターへのインタビューも担当している。