織田信長、毛利元就、北条氏康……戦国時代の大名たちは、一人で国を統治していたわけではありません。武田信玄が着々と領土を拡大できたのも、優れた能力を秘めた重臣たちが、異なる意見を言ったり、過ちを指摘したりするサポートがあったからとも言われています。
ビジネスシーンでも、リーダーを上手に支えられる社員は、リーダーや同僚に信頼されるだけでなく、仕事・組織を円滑に動かしていくキーマンです。この連載では、戦国大名(リーダー)を支えた家臣たちの「リーダーを支えた視点・言葉・ふるまい」を紹介します。
今回は、戦国時代から江戸時代へ移り変わる、大きな変化の中で、リーダーが打ち出した理念や制度を理解できないメンバーを諭し、見事に風向きを変えた部下のお話しです。
戦国から江戸へ。激変する時代の中で
今から403年前の1615年、大阪夏の陣で江戸幕府は、豊臣宗家を攻め滅ぼしました。これにより約150年間続いた戦国時代は終わりを告げたといわれています。
幕府は同年7月に元号を「元和(げんな)」と改め、天下平定の完了を宣言。これに伴い、幕府は一国一城制や武家諸法度など、さまざまな新制度をつぎつぎと施行し、急速に支配体制の強化を図っていきます。
現代社会も、国外・国内情勢の変化、技術革新などにより、人々の意識や価値観、ライフスタイル、働き方などが、短期間で大きく変わる「時代の節目」があります。変化のスピードが急速であればあるほど、対応できない人も多くなるもの。その節目を読み、部下の意識やビジネスへの取り組み方を変えていくのもリーダーの役割といえるでしょう。
徳川家康以上に声を荒げた本多正信
戦国時代から江戸時代へ。徳川家康(以下、家康)は、新しい時代を支える制度・戦略の策定・実施をリードしたといわれています。しかし、その変化が、あまりに大きかったため、家臣の中には、家康が打ち出した理念や制度を理解できず、反発する者も数多くいたようです。
そのため家康は、自分の考えを理解できない家臣に対し、いらだち、声を荒げることが多くなったそうです。そんなとき、家康と家臣の間に割って入り、なんと、家康以上に声を荒げて家臣を諭した人物がいました。家康と共に江戸幕府の基盤を固めた重臣、本多正信(以下、正信)です。
タイミングを見計らい、冷静に諭す
正信は「殿のお心が、なぜ分からぬ! この大馬鹿者どもがーーー!!」と一喝。これには家康も驚き、「言い過ぎではないか!」と正信をたしなめたそうですが、正信の叱責は止まらず、家臣たちは無言になり、家康までが黙り込んでしまったとのこと。そのタイミングを見計らい、正信はこのように続けたと伝えられています。「殿が大きな声を出したが、決して、お前たちを憎くて『怒って』いるわけではない。お前たちを頼りにしているからこそ、愛情を持って『叱って』いるのだ。この違いを分かってくれ」と。(注)
(注)上記エピソードは伝承であり、内容については諸説あります。
社長が経営戦略の変更を前触れなく社員に伝えたら、動揺して騒ぎだしたので、事業部長が間に入ってきたという構図でしょうか。しかし社長まで黙らせるとは!!
怒ると叱るは違う
コーチングの考えによると、「怒る」という行為は、「けしからん」「許せない」「なぜ言うことをきかない」といった感情を出すだけで、相手の反応を全く考えていない行動です。
一方、「叱る」という行為には、「相手に気付いてほしい」「相手を育てたい」「相手に良くなってもらいたい」といった意図が込められており、相手の反応を考えています。
正信は、家康になりかわり、この違いを明確に示すことで、家康の真意を伝え、家臣の認識を改め、組織の結束を図ったのではないでしょうか。
ポジティブな表現がアイデアをつくる
また、ビジネスシーンにおいては、「怒る」と「叱る」のように、ネガティブな表現をポジティブな表現に言い換えることで、チーム全体に前向きな空気を作ることができるといわれています。
ポジティブ心理学の研究によると、ポジティブな感情は、人の視野を広げ、りリラックスすることで、思考が柔軟になり、クリエイティビティを高めるそうですよ。
怒られているというネガイティブな空気を、期待されているがゆえに叱られているのだ、というポジティブな空気に変えた正信。彼は、その機転と才覚でリーダー家康を生涯支え続けたと伝えられています。