武田信玄、上杉謙信、徳川家康……戦国時代の大名たちは、一人で国を統治していたわけではありません。徳川家康が天下人になれたのも「徳川四天王」と呼ばれる優れた重臣たちが、異なる意見を言ったり、過ちを指摘したりするサポートがあったからとも言われています。

ビジネスシーンでも、リーダーを上手に支えられる社員は、リーダーや同僚に信頼されるだけでなく、仕事・組織を円滑に動かしていくキーマンです。この連載では、戦国大名(リーダー)を支えた家臣たちの「リーダーを支えた視点・言葉・ふるまい」を紹介します。

今回は上司である武田信玄の意見にたてつき、逆に諭した部下のお話し。戦国時代ですから、下手すると解雇どころか命も取られます。チャンレンジャーですねーー。

  • 上司にたてつく?

武田信玄を叱った馬場信春

今から450年前の1568年、当時の駿河・遠江(現在の静岡県中西部)を支配する今川氏を攻め、その領地を制覇しようとしていた甲斐の虎、武田信玄(以下、信玄)は、人生の絶頂期を迎えていました。

現代ならば、経営戦略がことごとく功を奏し、急成長している企業のトップといったところですね。この勢いに乗る信玄を、自らの行動によって諌めた馬場美濃守信春(以下、信春)という重臣がいました。何故、こんなことを信春はしたのでしょう?

守りたかった武田ブランド

今川氏は公家(貴族)と盛んに交流し、居城である今川館には、数多くの財宝があったといいます。今川氏が収集した財宝の焼失を惜しんだ信玄は、館から宝物・名物を運び出すよう家臣に命令しました。まさに火事場泥棒(笑)

それを知って行動を起こしたのが信春でした。現場に駆けつけた信春は、「(信玄が)貪欲な武将として後世の物笑いになる」と叫び、周囲の制止を振り切り、財宝を次々と火中に投げ込んだと伝えられています(※)。

※武田氏の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍鑑」より

そのとき燃え尽きた財宝の数々は、おそらく途方もない価値のあるものばかり。その価値を灰塵にしてまで信春が守りたかったもの、それは武田家の「ブランドイメージ」だったのではないでしょうか。

戦国時代の危機管理術

時間をかけて構築してきたブランドイメージも、リーダー(経営者)の誤った判断や行き過ぎた行動により一瞬で失墜します。経営トップの発言・態度・行動がマスコミやインターネットを通じて拡散し、社会にネガティブな印象を与えた結果、ブランドイメージを損ねることもよく目にしますね。

  • 武田ブランドを代表する軍旗「孫子の旗」

それだけに、業績が伸びている企業のリーダーほど、ブランドイメージには神経を使いたいもの。もし、リーダーが自己の能力を過信している場合、その過信をいさめ、冷静な判断を促すのは部下の役目であり、危機管理術です。目先の利益にとらわれず、武田ブランドの象徴である信玄ならびに武田家の評判を後世まで守ろうとした信春の行動は、まさに命がけの「ブランドマネジメント」であり「危機管理」だったのではないでしょうか。

信頼がリーダーと部下を結ぶ

もし、信春が何もせず、信玄の命令通りに事が運んだ場合、おそらく「今川家の財宝を盗んだ、強欲で浅ましい武田家」というレッテルを貼られたでしょう。信春の行為を知った信玄は「さすが7歳年上だけある」と語り、信春の器量を改めて評価し、己を深く恥じ入ったそうです。

このエピソードにおける信玄の発言・行動は、ビジネスで部下のやる気を引き出す方法としてよく知られる「承認」「報酬」スイッチの考え方。信玄は、部下である信春の真意を一瞬で見抜き、公の場で評価し(承認)、多大な恩賞(報酬)を与えたのではないでしょうか。

このエピソード以前より、共に試練を乗り越えてきた二人の間には、おそらく強い信頼関係が結ばれていたと思われます。そのうえで、部下(信春)の「危機管理」を理解した上司(信玄)は、「承認」「報酬」を与え、部下はやる気と更なる上司への信頼を深めたことでしょう。